大鹿美花さん 東京慈恵会医科大 医学部 (渋谷教育学園 渋谷)
~医学部の数学で求められているのは、スピードと正確さ、毎日徹底的に計算力を磨きました。苦手な英語は2回の復習と単語を克服。教室を出たらすぐそこに質問できる先生がいる。一会塾の温かな雰囲気が大好きでした。~
~私の開発したシャカリキ計算ドリルを実直にやっていただいたのが大鹿さんでした。物理受験しか受けられなかった北海道大・医学部を出願したのは戦略の勝利と言えるでしょう。センター86%で2次での逆転合格はあっぱれでした。~
【大鹿さん その他の合格大学】
北海道大学 医学部
日本医科大学 医学部(正規合格)
順天堂大学 医学部(一般Bとセンター併用で2つで正規合格)
昭和大学 医学部(正規合格)
東京医科大学 医学部(特待生合格)
東邦大学 医学部(正規合格)
日本大学 医学部(正規合格)
杏林大学 医学部(正規合格)
北海道大学(医)にも合格した大鹿さんがなぜ東京慈恵会医科大を選んだのか?大鹿さんが、医歯薬進学2月号(2020年1月12日発売)で記事になりました。ご希望の方には記事を郵送させていただきます。
(医歯薬進学で取材を受けた14人の先輩たち)
(※※):聞き手=数学科スタッフ 川浦
(※※) 今日はインタビューということで、大鹿さんが慈恵に合格されました。ここに合格するまでのプロセス、結構過去からいきますと小学校からスタートして、中学、そして高校で大学受験、ここに至るまでの一連の、どういったことがあったのかとか、スポットスポットで質問をさせてもらいたいと思いますので、よろしくお願いします。
(大鹿) お願いします。
(※※) 最初の方からですけれども、小学校のころからいきましょうか。大鹿さんは小学生のときって、どんな小学生だったんですか。
(大鹿) 小学校は記憶があるのは4年生ぐらいからなんですけど、もう4年生からはサピに行っていて。
(※※) SAPIXね。
(大鹿) そのころから勉強というものを始めたんですけど、すごく楽しくなってきて、小学校より塾がいいみたいな感じでした(笑)
(※※) 塾がメインね。塾っ子だったということだね。何がそんなにはまっちゃったの。
(大鹿) サピってシールがもらえるんですね。どんどん解けていって、丸を先生からもらって、シールを集めると商品に変えられて、シールを集めることがすごく楽しくなって。褒められるのもすごく楽しくて、わりと裏切らないというか、勉強した分だけシールをくれるみたいな。
(※※) やった分が、そのままということなんだね。サピでの成績とかはどうでしたか?
(大鹿) いや、トップではないです。24クラスあったんですけど、アルファというクラスがあって。
(※※) アルファって一番トップじゃないの、違うの?
(大鹿) アルファは、6個クラスがあったので。
(※※) アルファがトップの中の、またさらに細分化されているの。
(大鹿) はい。そのアルファには行っていました。
(※※) すごいね。じゃあ、結構、塾中心の小学生だったということか。じゃあ、中学生のころってどうでしたか。
(大鹿) 中学生のころは部活もやりつつ、私はあんまり小学校が好きじゃなかったので、一応第一志望に入学できて、すごい学校生活が楽しくなりました。
(※※) 中学に入ってからは、学校生活はどうでしたか?
(大鹿) 学校が本当に大好きだったので、塾とかは行かずに学校の勉強を頑張っていたりとか、勉強は本当に学校だけでした。
(※※) そうだったんだ。じゃあ、小学校で1回サピが終わって、中学はずっと塾に行っていなかったんだ。高2までいかなかったです。
(※※) 中学はそれで、高校1・2年生のころってどんな感じですか。
(大鹿) 高校1・2年は、いったん勉強に疲れてしまって、また家族の病気なども重なって精神的に病む時期に入ってしまいました。ちょっといったんそこで勉強が初めて嫌になって・・・・小4から中3ぐらいまでは、勉強がわりと楽しくてしょうがなかったんですけど、高1の後半からは勉強って何が楽しかったんだっけみたいになって、本当に勉強をしなかったです。でも、何もすることもなく、暗黒時代みたいな(笑)
(※※) 第1次暗黒期みたいな感じ(笑)。
(大鹿) そういう感じです。
(卒業生のつどいで談笑する大鹿さん:一番左)
左から2番目:森さん(岐阜大学 医学部合格)
左から3番目:成美(恵比寿校スタッフ)
左から4番目:大住さん(神戸大学 医学部合格)
(※※) でも何かきっかけがあって、またちょっと前向きになれたということ?
(大鹿) はい。家族の病気がいったん解決して、家のことが落ち着けるようになりまして、あとはクラス替えによって人間関係も落ち着いて、周りも勉強をし始めて、周りの刺激も受けるようになって、自分も勉強しなきゃとか、そこら辺で第1次暗黒期を抜けたぐらいから、医学部を本格的に目指すようになったんですね。
(※※) それがだいたいどのくらいなの。
(大鹿) それが高2の夏とかです。
(※※) 高2の夏、病み明けね。
(大鹿) 病み明けです(笑)
(※※) これが夏ぐらいなんだ。
(大鹿) はい。それで将来のやりたいこととかが確定したということで、一応目指して。
(※※) じゃあ、高校はこのぐらいからで塾っていつごろ行ったの。
(大鹿) 高2の終わりぐらいに一会塾ではなく、自習型の医学部専門予備校に入りました。自分はすごい大人数のところが苦手だというのは実感していたので、少人数のところを探しました。またその予備校は授業をしない塾だったので。授業をしなくて個別に指導をしてくれる、良さそうだと思って途中で入ってみました。
(※※) それは高2の終わりから高3までずっと。
(大鹿) 高2の終わりから、高3の途中ぐらいで辞めました。始めた瞬間から1カ月ぐらいで辞めたくなって。だから個人のサポートをあんまり全然してくれなくて、一応行ってはいるんですけど、課題もやらずに休むことも多くて、ほぼ行っていないみたいな。
(※※) ほぼ行っていないという感じになったんだ。
(大鹿) 在籍だけしているという感じで。
(※※) そんな感じになったんだね。ということは、結局独学なの、ずっと。
(大鹿) ほぼ独学です。
(※※) 独学ということですか。それで高3のときの受験って、どうだったんですか。
(大鹿) 高3の受験は、高3の夏ぐらいから第2の病み期ぐらいに。
(※※) 高3のいつから。
(大鹿) 夏ぐらいから第2の病み期みたいになって、本当に鉛筆すらも持たないぐらい勉強をしなくなって、自分が医師にならなくてもよくないって考えちゃってきて、医学部を目指している人は、わんさかいて、全然自分じゃない人が医者になれば、世の中的にもオーケーかなみたいになってしまいました。医学部はいくつか受けたのですが順天堂だけ1次は通過しました。でも成績は散々な結果でした。たぶん順天堂は、まだ女子差別問題が明るみに出る前でしたが、私は内申書がよかったので、内申書だけで通ったんじゃないかって思います。内申書がよくて現役ということが有利だったのでかなと思います。たぶん試験の成績じゃなくて通ったんだろうなと思いました。
(※※) もう少し現役時に点数がよかったら受かったかもしれないね。
(大鹿) そうですね。
(※※) いろいろあってこういう状態の中で、一会塾と出会ってもらって1年間頑張ってもらったわけなんですけれども、一会塾に入ったきっかけを教えてください。
(大鹿) きっかけは、やっぱり大人数のところが苦手で、でも1年間学校がなくなった分、授業をしないというのはだめだと思っていて、少人数で授業をやっているところを探していて、駿台の市ヶ谷ということも考えたんですけど、まずは家に近いということで地元の医学部専門予備校を選びました。歩いても行けるようなところだったので。
体験授業に行ったときも、私は英語が苦手だったんですけど、英語の先生がすごくいい先生だったので、取りあえずそこに籍を、入金して入りますということになったんですけど、その後にその塾で数学の授業で、取りあえずこれをやってみましょうって言われて渡されたプリントのレベルが、自分にとってはあまりに基本的すぎて、医学部へ受かるということを考えたら逆に不安になってしまいました。でも入金もしているしどうしようって考えていたんですけど、やっぱり1年で終わらせたいと思っていたので、もう1回納得するところを見つけようと思って、次に家に近かったのが一会塾でした。
それで面接に来て体験授業を受けて、そのときは英語を受けたんですけど、山口先生の。その授業がすごくよくて、英語もすごくよかったのと、あとは春休みのプリントみたいなのをいただいたんですけど、それがわりとレベルもしっかりしていて、ここだったらちゃんと苦手な英語も克服できて、数学も力を付けられるなと感じました。あとは本当に塾の雰囲気がよかったです。なんていうか全体に温かい感じで・・・それをすごく肌で感じたので、絶対ここだって思いました。
(英語科:山口先生)
(※※) ありがとうございます。それで実際に入塾してもらって、この1年間頑張ってもらって一会塾はいかがでしたか。具体的に教えていただけますか?
(大鹿) まず思ったのは雰囲気のよさ。やっぱり勉強し続けるのって、一番雰囲気が大切だなと思うので、その雰囲気のよさが、やる気とかを継続させていただいたなというのは。
(※※) その雰囲気のよさというのは、もうちょっと具体的に言うと、どういうものですか。
(大鹿) 例えばガミガミ勉強しろって言わない。自習室から疲れて休憩していたら、疲れているねとか、そういう小さい一言もそうですし、自分がつらいと言ったら、ちゃんと話を聞いてくれるとか、不安に思っているんだとか伝えたら全部聞き取って、じゃあ、こういうふうにしていこうとか、すごく自分を見てくれるというので、受け入れてくれている、かつ、見てくれてアドバイスもしてくれてというのが、すごく雰囲気がいいなって。
(※※)なるほど。
(大鹿) 2つ目はやっぱり少人数のクラスで、授業中に自分が分からないことを、ばんばん質問できる。私、授業中に手を挙げるとか本当に苦手なタイプだったので、1けた台の人数しかいないので、先生もずっと本当に近くにいらっしゃるので、すぐに質問できたりとか。
(4人教室)
(5~10人教室)
(※※) 実際にはしていたの。
(大鹿) 授業後の方が多かったかもしれないんですけど、演習時間に。
(※※) よくやっていたよね。
(大鹿) すぐ分からないところを解決できるというのは、すごく良かったです。
(※※) あとは?
(大鹿) 3つ目は塾の環境。先生がいわゆる職員室みたいなところにこもっていないというのがすごくよかったです。授業の担当の先生が。授業が終わったら、教室を出たらすぐ先生がいて。
(恵比寿校の受付)
(※※) もうね、そこしかなかったの(笑)
(大鹿) そうなんですか。すぐに捕まえられるといいますか(笑)
(※※) 自分もそこしかなかったんだよね。そういうのもあるんですけど、でもあれはあれで、よかったんですね。
(大鹿) 質問にすぐ行けるという感じが。
(※※) ありがとうございます。ちょっと話が変わりまして、ここから受験勉強についての話で、大鹿さんの得意な教科と、どちらかというと苦手な教科、それぞれの勉強法というか、自分が工夫したこととか、そういったことを教えてほしくて。得意な科目というのは、どちらかというと物理、数学とか、そっちの方でしょう?
(大鹿) はい。そうですね。
(※※) これはどういう勉強をしましたか。
(大鹿) 特に数学の方が得意だったんですけど、数学はシャカリキ計算ドリルというのがあって、仲野先生の数学が、佐藤悠太先生もそうなんですけど、仲野先生は特に難しい問題で、しゃかりきの方で最初すごいミスばかりしていたんです。でもミスするからといって、解くスピードを遅くするんじゃなくて、解くスピードは変えずに、ひたすらやり続ける、己との戦いみたいな感じで、本当に手をどれだけ速く動かせるか勝負で、ずっと計算をやるということをしっかりやって、たとえば仲野先生の問題は解答を見ずに30分は考えるというふうにして、自分でちゃんとした解答を、じっくり解くということを後半でやって、ばーっと解くということと、じっくり解くということの二本立てで勉強をしていたので、スピードと正確性みたいな両方を身に付けられたかなと。
(シャカリキ計算ドリル他)
(数学科:仲野先生)
(数学科:佐藤悠太先生)
(※※) うまくやっぱり塾の、言われている通りのことをやってくれているよね。じゃあ、ちょっと苦手な方を聞いてみようかな。英語とかですか。
(大鹿) 英語ですね。英語はひたすら毎日触れるということで、あとは手を動かさないと私はわりと覚えない派なので、単語は書いて覚えて、読解を毎日やって、授業の復習は必ず2回やって、それもすべて一会塾で言われたことを毎日繰り返していて。あとは単語が、わりと重要かなって思いました。
(※※) 単語はどんなふうに勉強したんですか。
(大鹿) 始めたのは夏休みなんですけど、夏休みは毎朝200個ぐらい書いて。
(※※) 毎朝200個をぱっと書く。
(大鹿) 塾に来る前に、ぱっと書いてということをやっていました。なかなか成績上がる実感はできなかったですけど。
(※※) 上がる実感がね。でも上がった実感って、どこかであったの。最後までなかった。
(大鹿) 実感としては数字、私の偏差値で60を超えたとかは、わりと伸びたのかなと思ったんですけど、手応え的にはなかったので。英語で初めて手応えを感じたのは入試問題です。
(※※) 入試のとき。そこで結構、すらすらいけたわけなんだ。
(大鹿) そうなんです。解き終わるみたいな。
(※※) その実感ということで言うと、ほかの教科でも実感というのがあった教科ってありますか。
(大鹿) 化学です。
(※※) 実感があった。
(大鹿) 数学とか物理って解けたら解けたなので、わりと分かるんですけど、化学は現役のとき、英語と化学がほぼ同レベルで全然苦手だったんですけど、化学は一会塾に来てからどんどん上がって、化学も数学と物理みたいに解けたという感覚になれたのは、すごくうれしかったです。
(※※) これはどんな勉強をしていたの。
(大鹿) 川原先生の授業の復習もそうなんですけど、標準問題精講というのを、ずっと進めていて、私はこの二本立てが自分にはすごく合っていたなと思います。この2本を、ずっとぐるぐるやっていました。
(化学科:川原先生)
(※※) 標準問題精講と、あともう1つって何だっけ。
(大鹿) 化学の川原先生のプリントです。授業の復習とか。
(※※) ありがとうございます。いろいろ本番での体験というのもあるじゃないですか。入試を受けて、いろいろ受験生がこれから目指されるんですけど、そういう受験生に、ちょっと体験したから言えること、アドバイス、ちょっと何かいただけますか。本番での体験を、本番の試験を経て、何か受験生にアドバイスをするとしたら、何かありますか。
(大鹿) やっぱり医学部は、そうじゃない学校もあるんですけど、だいたいスピード重視とか、後半が難しかったりするので、どう前半の時間を短縮するか、スピード重視だったという感じなので、基礎かな。スピードを速められれば基礎のところなので、基礎力というのが重要かなって。基礎がどれだけ速く解けるか、速く正確に。慈恵とか、ほかの大学もやっているとは思うんですけど、四角1の小問が全問正解しないと、あとは見ない大学とかもわりとあるので、間違えずにスピードを速める。
(※※) 確実に解けるところは、速く正確に解けということでしょうか。
(大鹿) はい。
(※※) 今、大学にまいりましてどうですか、授業とか。何かサークルに入られたの。
(大鹿) 硬式テニス部です。
(※※) どうですか、大学生活は。まだ1年たっていないですもんね。
(大鹿) 思った以上に忙しいです。
(※※) それは勉強。
(大鹿) 勉強も部活も鬼のように降ってくる(笑)
(※※) 相当あるんだね。
(大鹿) はい。なので、それをいかに要領よくやるかみたいな。
(※※) 結構意外と受験のときよりも大変。
(大鹿) めりはりですね。遊びも入れたいので、もちろん大学生なので。遊びをもちろん全部取っ払ったら全然簡単なんですけど、やっぱり遊びというところを入れると、勉強するという時間においては、浪人の方が大変かもしれない。
(※※) がーってやらないと、つらいということなんだね。慈恵に行きたい子ってたくさんいると思うんですよ。東京慈恵をこれから目指そうとしている後輩の人たちに向けて、何か一言いただければなと思いまして、東京慈恵のよいところ、広報宣伝部長になったつもりで、ちょっと紹介してください。
(大鹿) 慈恵の一番いいところは、先生との距離が近いということだと思います。先生ともそうですし、OB、OG、それも今は70歳、80歳の方ぐらいまで。そのOB、OGと先生方の、チーム慈恵がすごく強いなって感じています。
(※※) ありがとうございました。