山田結月さん
名古屋大学経済学部 進学
都立国立(くにたち)高校
【その他の合格大学】
明治大 経営
中央大 商
立教大 経済
東京女子大
~「自分は自分、人は人」自ら茨の道を選び、挫けることなく志を貫いた完璧少女!?。恩師の原田先生をはじめ、信頼を寄せる人と手を取り勝ち取った名大合格への道~
ー受験お疲れ様でした。名大合格おめでとうございます!少し遡ってお話伺ってもよろしいですか?高校は都立国立(くにたち)高校、名門ですね。なぜ国立(くにたち)高校に?
小学校を卒業するとき、将来年表というものを作成したんです。私はそのとき高校の名前なんてあまり知らなかったけれど、「国立(くにたち)高校に行きたい!」と書いている友達がいて、調べてみたら楽しそうな高校で。私も国立高校に行きたいと思いました。
ー早くに決まってたんですね。
はい。なので、中1から塾に通っていました。
ー中学時代は勉強漬けの毎日?
勉強と部活漬けでした。自分で言うのも恥ずかしいんですけど、学校の成績も割とよくて、陸上部でも都大会3位入賞する成績で、周りからは完璧少女って言われてました(笑)
ー今もそう思いますよ。では、国立(くにたち)高校に無理なく入れたのかな?
いや、それが、学校の成績はほぼ「5」なのに、受験勉強となるとなかなか点数がとれなくて、国立(くにたち)高校には推薦入試で合格しました。
ーそうなんですね。それだけ学校の内申は完璧だったということですね。高校入学後、大学受験を意識し始めたのはいつ頃ですか?
高3の夏・・・いや、本格的に大学受験をスタートさせたのは浪人してからかもしれません。
ーえっ(驚)!
私にとっては国立(くにたち)高校に入学することが全てだったんです。それが実現したら、その後のことは何も考えていなくて。入学後は器械体操部に入部して、部活も楽しんでいました。高3になってからは文化祭で重要な役割を担っていたため、高3の夏休みは文化祭に捧げました。
ーでは高校生活は高校生活で満喫できたんですね?
うーん、楽しかったけど、もっと勉強すればよかったと思います。一生懸命勉強してた方が、もっと楽しかったはずです。結局、大学受験を意識しないまま高校生活は過ぎて行きましたね。特に行きたい大学もない、やりたいこともない、そんなテンションでとりあえず早稲田と明治を受験しました。
ーそして、現役のときは残念な結果に?
はい。その結果をみて、本格的に大学受験をスタートし、予備校探しを始めました。
ー予備校探しの基準はありましたか?
まず、志望大学を私大から国立(こくりつ)に変更することを反対しない予備校がよかったです。高2の時に京大・名大・早稲田・慶応のオープンキャンパスに行ったんですけど、名大が一番楽しそうだったんです。高校受験の時も、国立(くにたち)高校が楽しそうで行きたい気持ちが強かったから頑張れたと思う。だから大学受験も、知名度とか大学のレベルとかじゃなく、本当に行きたい大学に向けて頑張りたいと思いました。
ー背中を押してほしかったんですね。
自分でも国立(こくりつ)受験は無謀な気がして、親にも言えていませんでした。見学に行った大手予備校でも、リスクが大きすぎるから早慶を志望するようにと早慶コースばかり薦められたりして・・・心が折れそうになりましたね。
ーそんな中、国立受験を決意したきっかけは?
高校のときに通っていた個人塾の先生が「浪人するなら一橋くらい受けてみれば?」と言ってくれたんです。国立受験も無理じゃないのかも・・・と嬉しくて涙が溢れました。母に名大志望を報告したのもその日です。
ー結月さんの人生を支えた一言だったんですね。その個人塾は続けられなかった?
はい。浪人生も受け入れてはくれるんですけど、朝早くから塾が開いてるわけではないので、自習室も使えなくて。私は家だと勉強できないので、朝から夜まで拘束してくれる塾が良かったんです。
ー一会塾のほかにも入塾候補はありましたか?
はい。大手予備校が二つ候補にありました。私が求めていた「面倒見のいい塾」に一会塾はぴったりだったのですが、ただ小人数である分だけ値がはるなー、と・・・質は劣るかもしれないけど大手に行こうか悩みました。
ー結月さんは特待生でしたね?
はい!悩んでいたとき、スタッフの方に特待生制度があることを教えて頂きました。入塾テストを受けて特待生になれれば費用も安くなると。
ー見事特待生を勝ち取ったわけですね。おめでとうございました。
費用が変わらないのなら、もう迷うことなく一会塾でした。
【山田結月さんの受講票】
1週間に29.5時間を33週間続けて受講
ー一会塾で一年間授業を受けて、この先生がいたから合格できた!みたいなエピソードはありますか?
原田先生です(即答)国語の原田先生がいなきゃ、無理でした。
ー具体的に原田先生の授業について教えて頂けますか?
原田先生は、厳しい先生です。私は優しく褒めちぎるタイプの先生は苦手だったので、原田先生の厳しくも優しいメリハリのある授業が好きでした。ニュアンスや感覚で解きがちな現代文も、筋道立てて論理的に答えを導きだす方法を教えてくれて。初回の授業は、正直原田先生の厳しさに怖気づいてしまったのですが、一度どうしても納得いかない問題について原田先生とぶつかったことがあるんです。先生は、一生徒の意見を真剣に聞いてくれて、私の考えにも理解を示してくれて、そのうえで私が納得いくように、納得するまで解説してくれました。本当に生徒想いの信頼できる先生だと感じて、最後まで必死についていきました。
国語科 原田友弘講師
ー先生を信じきること、大事ですよね。予習や復習は、どのように行っていましたか?
授業の予習に時間をとられ、復習の時間確保が難しかったです。私は授業を一語一句復習するのではなく、苦手な部分を中心に復習し、授業で習ったことを他の問題にも応用できるように自分の中で一般化し噛み砕いて理解する、という方法をとっていました。
ーそれはどの教科でも使える技術ですね。私は結月さんの日本史の勉強方法が印象に残っています。自分と対話するかのように、声に出して勉強していましたよね?
やっていましたね。日本史の教科書を空で言えるくらいになれ、と言われていました。でもただ丸暗記するのでは頭に入ってこないので、妹に教えるようなイメージで口に出し、「ん?それは違う。だってこうだから」みたいに、声に出しながら頭の中を整理していました。
山田さんの日本史を担当した 佐藤一郎講師
ー結月さんは文系ですが、数学はいかがでしたか?
実は現役の私大受験の時も英・数・国で受験したんです。ある人に、数学が苦手じゃないなら頑張って続けてみたら?とアドバイスをもらったからです。数学はとにかく問題数をこなしました。増子先生から「数学は分野ごとに解法ルートを用意しておくのが良い」とアドバイスをもらいました。いくつかパターンを用意しておけば、混乱した時に落ち着いて冷静に、自分の引き出しから解法を引っぱり出せるからと。それは意識していましたね。
数学質問員 数学科 増子講師
ー国立(こくりつ)受験に向けて、抜かりなく準備を勧められたんですね。それでもやはり厳しい道のりだったと思いますが、心折れそうになったことはありますか?
ありますよ。センター直前で倫理と政経が全然伸びなかったときとか。そういう時は走ってました。自習室飛び出して、走ってました!
自習室の写真
ー結月さんは不安を口に出して嘆いている印象はありませんね。
不安はあまり口に出さないようにしていました。話し始めると長くなるから。その時間勉強した方がいいと思っていたので。結局、不安を拭うのには勉強するしかないんですよね。受験は、全て終えて合否が出るまでは可能性がある。だからあまり悲観的にならず、なるべく前向きの姿勢で、まだ時間はあるんだから大丈夫、と言い聞かせていました。なので、どんな時も志望校を変えようとは一度も思いませんでした。
ーその意志の強さがすごいですね。
大変な道のりであることは、私大志望から国立(こくりつ)志望に変えた段階で分かっていたので、覚悟は決めていました。辛くても、自分が選んだ道なのだから仕方がないと、踏ん張っていましたね。
ー素晴らしいですね。最後に、一会塾のよかったところ、これから受験を迎える一会塾生にメッセージをお願いします。
一会塾の良い所は、朝から夜まで自習室が使えて、面倒見がよくて、ちゃんと拘束してくれるところです。困ったときに、すぐに相談できる人が常にいてくれることも心強かったです。これから受験を迎える方々は、どうか志を貫いてほしい、これを伝えたいです。無理かもしれないと、諦めたくなるときもあるかもしれないけれど、やってみないと分からない。結局は粘った人が勝つ気がします。周りに流されず、自分の意志を最後まで強く持ってください。
ー完璧なコメントありがとうございます!本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
以上