細川安護さん 北里大学 医学部(松本深志高校卒)
~歯学部からの再受験(24歳)!2次面接回数は30回、年齢的な圧迫面接を乗り越えての医学部逆転合格!面接試験で最も大事なこととは?~
【細川くん その他合格大学】
聖マリアンナ医科大学 医学部
獨協医科大学 医学部
兵庫医科大学 医学部
東京医科大学 医学部 1次
杏林大学 医学部 1次
金沢医科大学 医学部 1次
岩手医科大学 医学部 1次
聞き手:高橋優子先生(面接指導講師) 山口(英語科スタッフ)
(面接指導:高橋優子先生)
(高橋) 本日はありがとうございます。小学生のころのご様子を、まずお聞きしたいのですが。
(細川) 小学校のころは中学受験をする予定だったので、小学校の高学年からは塾に通っていました。普段はわりと友達とゲームをしたりとか、吹奏楽をやったりしていたので、わりと勉強以外のことも。でも予備校、塾にも通いながらという感じでした。
(山口) どこに行っていたの?
(細川) 小学校のときは公文と、信学会ゼミナールという、長野県の小学生を対象にした塾に行っていました。
(高橋) 吹奏楽って何歳からやっていたんですか。
(細川) 小学校4年生からずっとやっています。
(高橋) 確か高校3年生までやっていらしたんですよね、吹奏楽を。
(細川) そうですね、小学校から最後までやっていました。
(高橋) では、中学生のころの様子ですとか、あとは勉強には前向きだったか。
(山口) 中学校は、どこに行かれたとか。
(細川) 中学校は受験して才教学園中学校に受験して入りました。中学校時代は新設中学校だったので、部活が少なくて吹奏楽部はなかったので、吹奏楽は普通に自分でレッスンで、中学校では野球部に入って運動をしていました。とにかく高校受験が結構田舎だと大事になってくると思ったので、しっかりそれをできるようにということで、中1からやっぱり信学会ゼミナールというところに行って、高校受験を控えて勉強していました。
(高橋) では、高校1年生、2年生のころはいかがでしたか。
(細川) 自分は、高校は松本深志高校に入ったんですけど。
(山口) 中学受験をして私立の中学に入って、かつ、高校も受験したの。中高一貫じゃなかったから。
(細川) じゃないんですよ。そこに入ったんですけど、結構頭のいい人が多くて、ちょっと勉強がついていけなくなって、自分はもう高校1年の途中で勉強についていけなくなってしまって、結局部活動を中心に、吹奏楽を中心に頑張るという感じでした。結構勉強も半あきらめ状態になってしまって、本当に学校に行っているだけみたいな感じで、もうそんな感じで吹奏楽にずっと力を入れてやっていました。
(山口) 楽器は何ですか。
(細川) クラリネットです。
(山口) クラリネットをやっていたんですか。
(高橋) 確かピアノも習っていらしたんじゃないですか。
(細川) 小学校からだとピアノをやっていて、ピアノとトランペットとクラリネットは、もうずっとやっている感じです。
(高橋) ありがとうございます。では、一会塾に入っていただいたきっかけ、一会塾を知ったきっかけなどを教えください。
(細川) 自分はもともと歯学部に行っていて、歯学部を辞めて再受験という形で医学部を目指したんですけれども、再受験をして浪人していく中で学力が少しずつ上がってきて、1次試験は突破できるようになったんですけど、なかなか2次試験が受からなくて、自分も学力を伸ばすのにも限界を感じていて、本当にどうやったら2次試験が受かるのかなというところで、予備校を決める中で親と調べているときに、一会塾さんが2次試験対策に力を入れているというのをホームページで見て、自分にすごく合っているなと思って、見学に来ました。
(高橋) ありがとうございます。お父様と恵比寿校に来ていただいたあの姿、お会いしたときのことを私は忘れならないんですが、あのときに。
(山口) そうだね。優子先生は聞きにくいだろうから、俺が(笑)。ほかの塾も行っていたと思うんですけど、その塾の2次試験対策って、どんな感じなんですか。
(細川) 正直言って、当たり障りのない答え方をするように指導がなされていました。自分みたいな正直年齢を重ねてきてしまったというか、受かりづらい立場の人にとっては、やっぱりほかの受験生と差がつくような感じじゃないと、やっぱり大学の先生にも、この人を採ろうと思ってもらえないというのがあって、やっぱりそこで指導を受けている中で、その指導だとどうしても周りの人と同じような受験生と思われるだけで、やっぱり大学の先生に欲しいと思われるような受験生には、ちょっとなれないのかなという思いがありました。
(山口) 不安だったところで、一会塾に来てくれたと。実際に指導を受けてみて覚えていること、印象的なことってありますか。
(細川) 一番印象的だったのは、今まで自分も2次試験が受からなくて苦労する中でも、結構何人かの小論文や面接対策の先生にお世話になったんですけれども、皆さん原稿を作って、ある種丸覚えみたいな感じで、それを機械的に聞かれたら答えるみたいな感じだったんですけど、高橋先生はそういう原稿を作らないで、自然に自分が思っていることを相手の人に伝えるという、原稿とかないような感じで、本当に自然に話せるというのが、一番大学の先生にはうけがいいよ、と教えてくれて、自分も実際本番まで、本当に今までは2次試験の面接前とか、メモをすごく読んで、こう聞かれたら、こう答えようみたいなことがあったんですけど、今年は本当にそういうのもなくて、自然に答えてという感じになって、それでうまくいったと思って、本当に感謝しています。
(山口) でもそういう面接って、すごく時間がかかるじゃないですか。結構根掘り葉掘り聞かれましたか?高橋先生には?
(細川) そうですね。高橋先生に生い立ちとかも含めて、自分がどういうふうに生きてきたかということとか、今どういうことで苦しんでいるとか、面接の授業のときに細かく先生と会話を通して、つながったなと。
(高橋) たくさんのことを引き出させていただいたんですが、かなり厳しいことを、今思い起こすと失礼なことも私は伺ったんじゃないかなと思うんですけれども、つらくなかったですか?
(細川) 自分もその当時は正直精神的にも結構追い込められたことがあって、苦しいと思ったんですけど、でもやっぱり医学部に行きたいという、その気持ちが自分の中でも強かったので、そこはやっぱり厳しい指導、自分の将来につながると思って、それは特にそんなに苦しいとは思わないようにしていました。
(山口) 細川君は医学部に行こうと思ったのは、最初はどうだったんですか。志望時期とか。
(細川) 自分の地元に産科がいなくて、自分の母親も自分を隣の大きな市で産んでくれて、自分がそういう医療があまり行き届いていないところで育ったので、将来はそういうところで困った人を助けたいという思いがあって、医者になりたいなという思いがあったんですけど、・・・でもちょっと高校時代落ちこぼれて。
(山口) 届かなかったからちょっとあきらめかけて、歯の方に行ったんですか?
(英語科スタッフ 山口)
(細川) そうです。
(山口) それは結構、ケースとしては多いかもしれないですね。そういう人が救われる記事になればいいなと思うんですけど、歯に行ってみて、やっぱり医学部じゃないとだめだとか、そういうことはあったんですか。
(細川) 自分の中高一緒の、本当に心を許せる数少ない親友が4月に交通事故で亡くなってしまって、そのとき当時歯学部に自分は通っていて、お葬式に行ったときに亡くなっているんですけど、すごく顔がきれいで、バイク事故なんですけど・・・・・。そういうのを見て、本当に命って尊いなという思いがあって、やっぱり自分はもともと医者目指していた人間なので、やっぱり絶対医師になって、命に直接携わる仕事がしたいなという思いがこみあげてきました。
(山口) そのときは歯学部の1年生。
(細川) 歯学部の3年生です。
(山口) 3年生のときに、その事故があったんですか。
(細川) そうです。
(山口) そこから医学部に入り直そうと思ったんだ。歯学部も結構学費が高いですから、それなりに大変な過程があったと思うんですけど、お父さん、お母さんは、それを許してくれたんですか。
(細川) 両親も本当に自分の亡くなった友人のことを、家族ぐるみで仲がよかったというのもあって、すごく悲しんでいて、やっぱり自分ももともと医者を目指していたというのも両親は知っていますし、これは今回を機にラストチャンスだと。本当にこの後、自分が医学部に行きたいといっても、年齢的にも30才を超えたりすると、なかなか厳しいところもあるので、今、20才ちょっと過ぎくらいのときが本当にラストチャンスじゃないかということで、最後は挑戦させてくれました。
(山口) 今、細川くんはおいくつでしたか?
(細川) 今、24歳です。
(山口) 歯学部を3年生までいって、その後何年かやって、念願の医学部に入ったんですね。それは本当に良かった!
(高橋) 細川安護(やすもり)くんのことをやっちゃん、やっちゃんって迎えにきてくれたお友達が亡くなったお話を、面接指導の初めのころ、私も伺いました。医学部に合格して、医学部をつかんで、今はいかがですか。
(面接コミュニケーション指導=COM個別 高橋先生)
(細川) 想像以上に勉強も大変なんですけれども、自分が入りたくて入った学部なので、しっかり勉強をして、自分の夢である医師になりたいなと思っています。
(山口) 大学での勉強は順調ですか?
(細川) 一応今のところは全部単位が取れていて、前期はフル単で何とかなりました。
(高橋) 2次試験をたくさん経験しているので、お話しいただけるということを先日もお電話で言われていたんですが、どこの大学がハードだったとか、何か特徴をお聞かせいただければお願いします。
(細川) たくさん受けてわかったのですけれども、結構多浪を好んでいない大学も、正直結構あったなと思います。自分が入っている大学もわりとそうで、現役、1浪が7割ぐらいで、自分より年齢が自分以上は少しいるくらい。僕が最近いろいろ大学に入ると、年齢がちょっといっている人の集まりとかあるんですけど、話を聞いていても、今年の受験とか僕を含めて2人しかやっぱり入っていなくて、かなり厳しいというのは正直思いました。自分は今年何校か2次試験を受けている中で、明らかに採りたくない感じの雰囲気もある大学もあって・・・・
(細川)A大学は、ちょっと厳しいと思います。〇〇大学は2年連続補欠にも入っていないので、もう厳しいというのと、あとは自分が思ったのはBも厳しいと思います。
(山口) それって細川君が、わりと多浪に寛容な大学を選んで受けたというのがあるじゃないですか。それは予想を裏切ったということですか。
(細川)A大学に関しては厳しいというのは聞いていたんですけど、自分の家族が総合大学系に入りたいというのがあって、自分もそれがあって、なのでちょっと受けざるを得なかったですね。
(山口) 今、細川君の頭の中にある多浪に寛容な大学って、どんなところがあるんですか。
(細川) 自分が受かった大学になっちゃうんですけど、北里。北里はちょっと厳しいんですけど。
(山口) ちょっと厳しいんだけど、でも何とか入れると。
(細川) ただ、C大学が一番寛容ですね。自分がいろいろな人に聞いて寛容というのと、C大学とD大学、あとはE大学が寛容というのはよく聞いていて、自分はE大学もC大学も2次で落ちてはいるんですけど、友達とかでも結構何人も受かっていて。あとはF大学が今年15歳上でも普通に受かっているというのを聞いているので、F大学とかもかなり寛容と思っています。あとは自分が一応受かったG大学とH大学も寛容と言えば寛容なのかもしれないんですけど、G大学は自分の周りで、自分の年齢ぐらいの人は面接が2回あったらしくて、2回受けた人はみんな落ちているらしくて、自分はたまたま1回だったんですよ。運良く受かっていたんですけど、どうなのかなというのは、ちょっと聞きます。
(山口) どうなのかなというのは、多浪に向いていないかもしれない。
(細川) そうですね。多浪の人に対して圧をかける面接を、2回くらいやってくるという話を聞いています。
(山口) なるほど。
(細川) 自分は1回目の面接で、たまたま当たった面接官と、わりと仲よく話が終わって、それで2回目がなしで終わったんですよ。年齢が高いと、もう1回と言われる人が結構多いというのは、よく聞きます。
(山口) じゃあ、高橋優子先生との面接指導の成果かもしれないね。自然に話せて、もうこれ以上聞く必要はないかなと思ったけど、ほかの人は鎧兜をかぶって、すごく無理してやったかもしれないね。2回もやるなんてあるんだね。
(細川) 今年受けた人で、僕の年齢以上の人は、みんな2回引っかかっています。
(高橋) あとは何か特徴的な質問というか、変わった質問とか、これはと思うようなものってありましたか?
(細川) 今年じゃないんですけど、去年藤田保健衛生を受けたときに、普通の面接とMMIという形式の面接試験があって、それが結構5分間自由にしゃべってくださいと言われたりで、自分は3分くらいで以上ですみたいになってしまって。それは結構練習が必要なのかなと思いました。普段の面接とはちょっとタイプが違って、話す力とか、相手に伝える力というのは、特に普通の面接以上に求められたと思います。
(山口) 5分は長いですね。1分でもしゃべれない人は多いと思います。まだ2分あるよとか言われたの。
(細川) もういいんですかみたいに言われたんですけど、自分もこれ以上話しても、変なことを言っちゃうんじゃないかと思って、的はずれなことを言っちゃう可能性があるなと思ってそこまででやめました。
(山口) それは補欠で来なかったということなんですか。
(細川) 補欠で来なかったです。あと10番ぐらいだったんですけど。
(山口) あと10番だったんだ。
(細川) それが一番惜しかったです。
(高橋) あと、グループディスカッションについて伺いたいんですけれども。
(細川) グループディスカッション、自分は金沢医大で3回受けたんですけど、2次試験で。3回とも落ちてしまっているので何とも言えないんですけど、グループディスカッションの中で司会者になるのか、自分が会を回していく立場なのか、回される立場なのかという、そのあんばいが結構難しいなというのは正直思います。金沢医大に関しては年齢層が高い人たちを固めてくるので、若い人は若い人で午前中と午後で分かれていて、その午後でもグループが分かれているので、自分は3回やっても自分が一番年齢が下で、ほかは全員年齢が上というところに入っていて、元弁護士みたいな人とか、がっつり再受験、自分みたいにちょっとかじっているじゃなくて、もうがっつり大学も卒業して、再受験をしているという方たちと一緒に組まれて、やっぱりそういう人たちは人前で話したりするのが結構慣れていらっしゃって、自分よりもやっぱり会話をスムーズに、グループの会話をスムーズにまとめたりとか、やっぱり見ている面接官の方にも伝わりやすいような表現をしているなと思って、自分はその人たちと比較されると、どうしても同じグループで全員は合格できないと思うので、この人はちょっとだめそうかな、この人はうまくやっていて、大学に入ってもそういう話とかまとめられたりとか、ほかの生徒さんを引っ張っていけるような存在になるのかなというのはあるのかなと思うので、そこで差をつけられて自分は毎回落ちる側に・・・・同じグループも回っちゃっているのかなと感じています。
(山口) 細川君は3年間歯学部に通った後、どのくらいかかったのですか?
(細川) 歯学部を2年行っていて、3年目の春で辞めているので、3年生の4月から。実際は3年半くらいやりました。
(山口) 3年半もがんばったんだね。今年40歳の方も一会塾で合格されたんですけど、すごく苦しいと思うんですね、多浪生扱いになる人たち。そういうのをどうやって、心持ちを持ったらいいかみたいな。
(細川) 自分も去年とか本当に苦しい時期があって、もうあきらめた方がいいのかなというのを結構感じたところもありました。自分も勉強が手につかなくなってしまったときもあったんですけど、僕は一会塾ともう1個、個別指導のみの医学部専門予備校に行っていたんですけど、そこの担任の先生も、細川君はこれだけ学力があれば今年は絶対に受かるから、信じて付いてきてほしいというのを結構、僕がよく落ち込んでいるときに電話をしてくれて、すごく近くで一会塾さんとそれぞれの予備校でサポートをしてもらって、メンタル面の部分とかもケアをしながら受験の1月に向かって一歩ずつでも歩んでいけば、やっぱりある程度の学力があれば受験も思ったことができると思います。
(山口) 小論文もしっかり対策してたよね?それが面接にも生きたんじゃない?
(細川) そうですね。面接の知識増えましたし、自分の素直な気持ちを相手にしっかり伝えるかどうかですね。
(高橋) 最初はその型に入っていたんだよね。それがなかなか崩せなかったもんね。
(細川) そうなんですよね。それが正しいというか、みんなと同じがいいんじゃないかという思い込みも強くて・・・
(高橋) そのスタートだったから、時間かかったよね。型を崩すのに。
(山口) そういえば、そういうことで悩んでいらしたような気がする。崩せないみたいな。
(高橋) でも本当にその彼が裸になるというか、すべてのことを話してくださったときから、やっぱりゼロからスタートしたいよねって、メンタルですごくつらい時期も休まないで来てくれたよね。
(山口) 細川君、また受験がやってきたときに、集団討論のアドバイザーとして、ぜひ協力していただきたいなって。今、現場経験が、すごく必要な気がする。
(細川) ばかみたいに2次試験だけは、いっぱい受けてきたので。30回ぐらい受けているので。
(山口) めったにいないでしょう、そんな人。
(細川) 九州の福岡とか久留米は受けていないですけど、それ以外だったらだいたい2次試験は受けていますね。
(山口) 本当に今日はありがとうございます。
(細川) 貴重な時間を、ありがとうございます。
(高橋) 本当におめでとうございました。ありがとうございます。
細川さんが、医歯薬進学2月号(2020年1月12日発売)で記事になりました。ご希望の方には記事を郵送させていただきます。
(医歯薬進学で取材を受けた14人の先輩たち)