安田愛菜さん
鹿児島大学 理学部
私立 田園調布学園
その他の合格大学
京都産業大学 理学部 宇宙物理・気象学科(公募制推薦入試 総合評価型)
~塾は最寄りで3つあった予備校の中から一会塾へ。受験校は宇宙関係の設備が整っている大学を厳選して受験、自習室を上手に利用しつつ文系得意科目を活かしての理系大合格~
―一会塾はどうやって探しましたか?
学校の行き帰りの中にあったので、存在は知っていて・・・
―地元だから通りかかるというか、見ていたんですね。近かったから気にはなっていたと。
そうです、あと他に武蔵小杉で大学受験に強そうというか、対応している塾が大手さんが他に2つあって、その3つの中からの候補でここを選びました。
―ありがとうございます。大学受験用の塾は、一会塾が入ったのは初めてですか。
そうですね。
―それぞれ行って説明を聞いたりとか?
いえ、大手さんの方には、たいてい知り合いがいたので中身も塾の雰囲気も事前に聞いて知っていました。特に魅力は感じていなかったのと逆に、知り合いが少ない塾の方が集中して勉強できるのではないかなとも思っていました。
―大手さんの方は学校の同じ友達が行っていると。
そうです。多分勉強できなくなっちゃうなっていうのと、大手さんのうちの一つは模試の時にちょっと面倒なことがあって・・・・。模試を受けに行ったんですけれど、登録して科目が用意されていなくて、ちゃんとしていないんだなって印象が強くなっちゃったんですよね。
―そうでしたか。
じゃあ最初は一会塾の方から見に行こうって言われて、それですごくよかったので一会塾に決めました。
―それではあまり検討もせずに(笑)、一会塾になって、来てくれたということですね。高2の冬ということなんですが、最初に受けた授業とか覚えていますか。
個別対応で冬期講習の振替という感じで、佐藤雄一郎先生の数学を一対一でやりました。
―そこが入口だったということですね。1・2・3月授業からスタート、ぐらいですか。
そうですね、本格的なのは。
―その時期は何を取ったか分かります?
化学と数学を。化学は川原先生で、数学は増子先生…だったと思います。
化学科 川原講師
数学科 増子講師
―そこからコロナもありつつ4月から始まって、物理、数Ⅲ、ⅠAⅡB、化学、共通テスト国語を受講されていましたよね。
はい。
―なるほど、最初から国立理系志望でしたか。志望理由はやはり学科選びから?
そうですね、一応そういうつもりで。物理学科の方を。
―物理は真木先生の授業を1年間受けましたか。
そうです。
―真木先生のクラスは東工大や防衛医科大、横市医学部などの合格者を多く出しました。それだけレベルの高い内容の授業だったと思いますが、大変だったんじゃないですか。
物理科 真木講師
そうですね、なかなか大変ではありました。
―それでも物理学科を目指されていたのは、物理が好きだったからですか?
物理そのものが好きというよりは、天文学をやりたくて調べたら物理がついてきたっていう感じでした。小3ぐらいで読んだ本で、宇宙にすごい惹かれて、それからどんどん調べていって、最終的に物理学科に行こうと思ったのは中3ぐらいです。
―ではその小学生の時の話を聞かせてください。田園調布学園に行くための塾はどこに行かれていましたか?
一会塾のすぐ近くにある創研学院です。小4くらいからそこに通っていたこともあって、母親が一会塾を知ってたというのもきっかけの一つでした。
―なるほど、やはりありがたいことに、そういう方は一定数いらっしゃいますね。通われた田園調布学園は第一志望でしたか。
はい。当時はいろんなところの文化祭に行って、雰囲気を見て決めました。
―そのまま中1から田園調布学園で、高2で文理に分かれるんですね?
はい、そうです。普通に、文系・理系っていうざっくりな分かれ方をします。文系3クラス、理系2クラスだったんですけど、ほぼ半々くらいでした。
―聞いた話によれば、理系は上のクラス、下のクラスがあるとか。
ああ、はい。普通に下にいました。
ーあとは「ドプロ」という、学校の方でたくさんの講座があるみたいですね。何を取っていたんですか?
「ドプロ」に関しては、塾の講師の先生が教えてくれて、学校の先生は教えないんです。高2からは勉強のクラスとかがあって、それで勉強のクラスで、数学と英語を。
―なるほど。理系と文系に分かれてはいますが、理系は私立と国立に分かれていないんですね。普通に選択でいろいろ取ると。
はい、高3になってから国立とか私立とか細かく分かれました。
―それで国立理系を選択されたということですね。
―では、ひとつひとつ講座と先生の感想を聞かせて下さい。まずは物理からお願いします。
物理って今まで公式暗記みたい印象が割と強かったんですが、ここの授業では理論的に教えていただけました。公式丸暗記していた時代は公式なんてすぐに忘れてしまっていたのに、授業を受けてからは公式を忘れるっていうことが入試期間中もなかったです。公式にどういう意味があるのか、みたいことをちゃんとインプットできたと思います。
―理由付けがしっかりあったということですね。数学Ⅲのβはどうでしたか。
佐藤悠太先生のクラスにいたんですが、受けている人たちもすごくにぎやかで、すごいアットホームな感じでした。数Ⅲ、苦手意識が強かったんですけれど、楽しくできたので良かったです。
数学科 佐藤悠太先生
―なるほど。数学ⅠAⅡBは一瀬先生ですね? こちらは大変でしたか。
はい。ⅠAが少し出られない時、夏休みとか、既卒生に混ざってやる、みたいなのがあったと思うんですが、それに入れなかったので、ちょっと自分的にきつかったかなと思っています。自分が不足しているカリキュラムに関しては結局そのまま過ぎてしまった感じがして。そこが少し共通テストの点数に響いたかなというか、不足分を自分で補充できなかったという反省ポイントです。
―田園調布学園もとても一生懸命な学校なので、いろいろ先生がやってくださいますよね。一会塾での化学は何先生ですか?
川原先生です。高2の時から受けていて、ちょっと不思議だなって思っていたのは、すごい授業のペースはゆっくりなのに、気づいたらいっぱい進んでいるんですよね。それでいて自分の中に知識としてしっかり入ってくるので、すごい要点をついて授業を進めているんだなと感じていました。不思議な先生というか、一番授業の進め方が上手な先生なんだなって思いましたね。例えば、高2の時に受けていたのは化学基礎になるんですけど、3か月でその化学基礎の内容ほぼすべて終わっていた、みたいな。けど全然授業が早いわけではなくて、実際最後にやった小テストとかで、先生が20分から30分くらい時間を取れるくらい余っていたので、なんか本当にすごい人だなってなりました。(笑)
―完璧な感じがしたという。川原先生は経験が豊富なので計算されている部分もあるんでしょうね。それでは、化学は自信がつきましたか?
もともと化学は苦手意識がすごい強かったんです。だから苦手意識は残って入るんですが、でも、過去に比べたら全然マシかなという感じです。
―そうですか、では頑張ってくらいついて行ったんですね。一番得意な科目は何でしたか?
特にないですが、一応英語が一番得意です。学校で鍛えられたのと、あとは、小さいころから英会話をやっていて、それで英語に対する苦手意識がもともとなかったのが強みかなと思います。
―英会話はどちらに。
ヤマハ英会話教室という所があって、それを大体10年くらいやっていました。
―確かに成績的にも英語が抜けてますね。共通テストは全体で何パーセント取れましたか。
点数調整前が66%で、後が69%とか。点数調整でだいぶ上がりました。受けた人の中で(得点調整後で)一番上がったんじゃないかっていうくらい。
―えー!それ、分かるんですか?
自己採点と、共通テストの方から、何点の人は何点になりますよみたいな表が出ると思うんですが、あれをやってみたら全科目上がって、21点分に。だいぶ大きかったですね。
―21点上がって、66%が69%になったんですね。7割届くかくらいまで上がったと。
はい、逆に言えば科目の選択失敗しているっていう…。なのでちょっと、上がったのは嬉しいけど…みたいな。でもこればっかりは運なので。
―「共通テスト総合国語」の授業は役に立ちましたか。これは期間的にはちょっとだけ受けていたんですか、それともずっと受けていました?
ずっと受けていました。もちろん、普通に国立のためでもあったんですけれど、理科大のC方式を受けたくて取っていました。でも結局数学とかでこけちゃったので、そこは使えなくなってしまって。
―理科大は残念ながら。でも国立は役に立ちました?
そうですね、国立で、国語で足を引っ張られるみたいなことはなかったです。
―それはよかったです。
―京都産業大学を受けられた理由は?
私立で、一番私がやりたい宇宙関係に関する設備が整っている学校で、私立だったら理科大に次いで行きたいなって思っていた学校でした。GMARCHとかも受けるかって考えたんですが、そこを最初に公募で取っちゃったら、どこの学校も滑り止めとかで受けなくていいんじゃないかって親と相談して。じゃあ公募で取ってしまおうと決めました。
―公募制推薦入試を受けられたんですね。総合評価型で、理学部宇宙物理・気象学科。珍しいところですね。こちらはどういう条件でしたか。
条件は全然なくて、とりあえず評定平均と数学・英語だけの受験でした。
―評定はいくつあったんですか。
4.0だったんで、あんまりよくない…。(笑) 条件にはなっていなかったので、まあ、評定が高ければ高いほど有利だよ、ぐらいのものでした。
―それで、英語・数学の筆記試験を京都まで受けに行ったんですか。
いや、名古屋です。ちょっとだけ近いです。
―出張対応みたいなものがあったんですね。名古屋で受けたんですね。数学の範囲はⅠAⅡBまででしたか。
はい、ⅠAⅡBだけで数Ⅲがなくて、あとは英語だけなのでより受けた方がいいなと思って。
―手応えはいかがでしたか。
3日間あって、3日のどこかに引っかかればいいな、みたいに思って受け続けたんですけど、2日だけ受かって、1日目と3日目は落ちたんです。ギリギリの闘いで。
―そうだったんですね。なかなかユニークな試験ですね!
本当にギリギリで生きてるんです。(笑) 2日だけ。1日目は受験自体が初めてだったので緊張してしまって、3日目は本当に数学との相性が悪すぎて。2日目、受かっているかな、どうかなみたいな感じでした。
―出来はやっぱり自分的にも、2日目がよかったんですか。
そうなんです。その感触どおりになって。
―出張入試で3日間ということは、名古屋で二泊三日したということですか。
そうです。親と二人で。
―いい経験になったんじゃないですか。
そうですね。おかげで受験の空気を知ることが出来たっていうのはあると思います。共通テストとかに関しても全然緊張っていうのはなくて、前もこういう空気だったなみたいな、予行受験になりました。後で考えると、一回受けておいてよかったなと思いました。
―なるほど。何月ぐらいでした?
11月の後半くらいでした。二泊三日の三連休使って行って、次の日学校行ってみたいなスケジュールで。
―忙しかったんだね。下世話な話で申し訳ありませんが、受験3日間受けた受験料って覚えてますか?
9万とか…。でもそのあとに全部滑り止めを受けたらそれを超えるだろうからいいかっていう経済的な理由で。利益の方が大きいなと思いました。
―そうして抑えてあるから、あんまり数多く受けなくても済んだのかな。
はい、だから理科大とあと鹿児島だけ受けてっていう感じです。でもちょっと、GMARCHとか受ければよかったなって今は思っています。
―そうなんですか。地方ではなくて近場で通えるところを受けておけばよかったと?
1校受けて、私、理科大がちょっとしくじっちゃって、結果がダメだったんです。その発表の次の日、鹿児島大の試験日で。一般試験まだ一個も合格がないぞっていう状況で受けていたので、それもプレッシャーがあってきつかったです。無駄足でも1個、コンディションのために他の学校を受ければよかったと今でも少し思っています。
―なるほど。もしGMARCHも鹿児島大も受かっていたら進学先は変わっていましたか。
それでも鹿児島に行っていたとは思うんですけど、精神的に欲しかったなっていうのはあるかもしれません。
―ショックだったね、その鹿児島大の少し前に分かったっていうのは。
そうですね、それも割と感触があったので、あ…っていう。
―理科大は学部学科どういう名前のところを受けたんですか。
理学部の物理と理工の物理を受けて、理学部の物理は本当にもう何も分からなかったです。すごい難しくって。
―一応そこでも宇宙分野は出来るんですか。
研究室に行ったら出来るみたいな感じでした。
―その学科というよりは、宇宙の研究室があるってことなんですね。
―ちなみに、鹿児島大医学部に行った島田さんはご存じですか。
空港で会って、羽田の。そこで初めてお互いの志望校が一緒だって知ったんです。え、なんでいるの?みたいになって。でも、それが逆に精神安定剤になりました。試験会場に行く日とかも、電車の中で会ったんです。それで頑張ろうねとか、そういうのが出来てすごいよかったと思っています。周りの受験生はやっぱり地元の人が多いので、高校の先生とかが頑張れとか言いに来たりしていて、その中で自分一人ですごい心細かったんですけど、でも島田さんもいるからと思って。それがすごい心強く感じられました。
同じ年 一会塾で勉強していた2人が、偶然にも空港で再会
―それは本当によかったです。向こうで同じキャンパスになるんですか。
違うんです、隣のキャンパスなんです。でも電車で一駅とかなので。
―そういう感じなんですか。国立大学だし、やはり大きいですね。すごいね。一会塾始まって以来の受験者ですよ、鹿児島って。しかも、同時に重なるってすごい奇遇です。鹿児島には身寄りはいないんですよね。
はい、いないです。
―行った感想はどうですか。鹿児島大学に行って。
一回オープンキャンパスに行かせていただいています。
―そうですか。東京にいたら分からないですが、観光地みたいな感じですか。
そうですね、そういう所もあります。私は修学旅行が九州で、鹿児島いっぱい観光しているので、馴染みというか学校で行った場所、みたいな感じではあります。(笑)
―鹿児島県の中央…、町、市街地はそんな感じですか。
割と、都会とも遜色ないくらい発展しています。ショッピングモールとかもいっぱいあって。あ、でも昨日桜島噴火したんですよ。洗濯物が干せないって言う…。
―そうか、火山ありますよね。いやでもすごいなぁ、これから4年間鹿児島で過ごされるんですからね。
島田さんなんてもっと、8年とかになります。研修医期間で6年プラス2年って聞いて。2倍ですから、私の。
―たしかに。安田さんは就職はこっちに帰って来て、ですか。まだ分からない?
多分理系の大学院に行くことになるのかなって思っています。その時はこっちに戻って来れたらな、と漠然と。
―受験終わってみて、この1年どんな感想を持ちましたか。
コロナの自粛期間は家で勉強できないタイプの人間なので、あれが本当に無駄な時間だったなって。
―活かせなかった?
活かせなかったですね。周りはいっぱいやっている人がいるんだろうけど、自分の家だと無理だなっていう。
―一会塾の自習室は使った方でしたか?
割と使っていた方だと思います。本当に歩いて10分、15分くらいなので。地元がこの辺りで、小学校も近くです。
―そこから田園調布学園に行かれたんですね。みんなに聞いているんですけれど、中高、自分の高校は良かったですか。
受験に対するサポートは手厚かったなあと思います。中学の時が割としんどかったんですけど、高校は制限が外れて来たという感じがして、そんなに思っている以上にはしんどくはなかったなと。
―それはよかったですね。部活は何かされていました?
バドミントン部でした。中学は週3で、高校は週4。中高合わせて70人とかの規模で。
―ああ、大所帯ですね。
―今は受験がひと段落してほっとして、引っ越し準備ですか。
もう、大慌てで今。
―入学式は?
なくて、そのままもう授業です。たぶんコロナだから…
―学校の方針で。親御さんも行かなくてすんでよかったのかな。どうなんだろうね。
その連絡が来るのが遅すぎて、親が一緒に飛行機を取っちゃった後だったんです。仕方ないので親も来てくれることになって、入学式が本来あったであろう日にちまではいてくれます。
―それは、心強いですね。ぜひ私が鹿児島に行った際には案内してください。(笑)
―最後に、塾で一番よかったポイントって何でしたか。
もう本当に、対面だったのと、あとは分からないところがあってもすぐに質問出来たりとか。そういう対面でのサポートがすごくよかったです。
―一番質問した先生は誰ですか。
一瀬先生が多かったかなと思います。
数学科 一瀬講師
―そうだね。数学が、基礎クラスから国公立の理系に行ったんですからたいしたものです。基礎クラスから国立理系に行くっていうのは、昭和大の医学部にいった臼井さんもいましたね。盛り上がったと思うんですよね、クラスとして。
そうですね、すごいアットホームというか、みんなで頑張ろう、みたいなそういう意識が強かったと思います。特に、休み明けてくらいからすごく強くなって、それが逆によかったです。学校だと、指定校とか推薦の時期に入る人が多い時期なので、より、塾に行ったらみんな頑張っているんだなと思えて救われていました。
―よかったです。推薦で一人二人決まって行くのを見るとなんだか確かにしんどいですよね。
―京都産業大学の話は本当に納得しました。そういうストーリーがあったんですね。今日はどうもありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。