国際医療福祉大学 医学部医学科
既卒合格 金子芽衣さん(大妻高校)
≪1次通過したその他の医大≫
・東京医科大 医学部(最終合格)
・産業医科大 医学部(2次辞退)
医学部の志望動機について教えてください。
小学生のころから人を助けたい、人を助ける種類の職業につけたらいいなと思っていました。そこから、中学の時に、身近な人の病気や、後は単純ですが、医療ドラマを見てかっこいいな、と思ったりして、医学部を目指すようになりました。それと生物のヒトの範囲が好きだったので、それも理由としてはありました。
出身高校(大妻高校)について教えてください。
私の卒業した年は医学部の合格者が10人くらいだったんですが、今年(2023年)を見たら25人になっていました。今年は去年より増えたのかなと思います。大妻高校は女子高ですが、理系の割合も多くて文系・理系は半々くらいでしたね。その中で医学部志望者の仲間もそれなりにいました。
中高時代は塾へは行かれなかったようですね。
はい、全く行ってないです。中学は定期テストガチ勢みたいな感じで、定期テストの勉強ばっかりやっていました。それで、まあまあな成績をとれていたので、調子乗って、高校もとりあえず1、2年生は行けるかなと思って塾に行ってなかったんです。そのまま高校3年生の時も、兄が勉強を教えてくれていたので、「あ、行かなくてもいいかな」と思ってしまいました。
それで高校3年生は塾には通わずに医学部受験をされたのですね。
はい、受験しました。私立2校と国立1校受けたんですけど、全部だめでした(笑)。
学費の問題があって、なるべく学費が安いところということでその候補2つが国際医療と東邦でした。私立はその2つしか受けなかったんです。まあダメだったら浪人しよう、みたいな感じでした。
学校のお友達は大手の塾が多い中で金子さんは、どうして一会塾へ
仲の良い子はたいてい塾に通っていた子が多かったかなと思います。駿台、河合が多かったです。
実は高3のときに、一回塾に入ろうかって家族で話したことがあって、その時に母が一会塾を見つけてくれていたんです。結局入るのは一回見送ったんですが、浪人を決めたときに、やっぱり一会塾という存在が頭の中にありました。お話を伺ったときに、雰囲気も良かったので、入塾することにしました。体験記もいくつか読ませていただき、色んな人の話で、雰囲気がいいとか、アットホームとか、そういった言葉があがっていたので、それで決めました。実際は想像以上にその通りでした(笑)。
中高6年ぶりの予備校だったんですね。学校もなくて、塾だけの生活はいかがでしたか。
最初は大変でした。現役で塾に行っていた子が本当にすごいなと思うくらい、最初は疲れててしまっていました。帰ってきて、夜9時くらいにはもうカクカクでした(笑)。そんな中でもこの1年間は今までで一番勉強したと思います。
現役のときと浪人されてからの学力の違いはどの程度、実感されていますか。
本当に段違いだと思います。河合の模試で、現役の時は偏差値が59くらいだったんですが、1年経って65以上は取れるようになってました。それは試験会場で問題解いているときにも実感しました。去年は塾に行ってなかったこともあって、出るポイントとかがよく分からなかったんですが、今年は試験会場でいざ問題解くと、「あ、あの時の問題だ」っていうのが本当にたくさん出てきて感動しました。
具体的に科目ごとの学習状況を教えてください。
英語は得意です!数学は不得意。化学も不得意で、生物は得意です。
≪金子さんの科目の出来具合の変化 最初→最後≫
英語〇→◎
数学×→〇
化学×→〇
生物〇→◎
数学の仲野先生には相当に鍛えていただきました。授業のときに一人ひとり当てられるのが、最初は怖かったんですが、慣れてくると楽しく思えました。自分の考えを伝えるのも、友達が、自分が分からなかった問題の考えを言ったときに、「あ、そういう考え方が」ってなるのも、いい刺激になって楽しかったです。数学はそうする中で徐々に力がついて、みんなで切磋琢磨していった感じがあります。ただ予習の数学の問題は、これが結構、難しくて、「これ、当てられたらどうしよう」と思いながらやっていたのを懐かしく思います(笑)。
また、数学の初期のころは川浦先生の作成された「シャカリキ数学ドリル」を用いて苦手を総ざらいしたことで
本当に基礎がついたのかなと思います。4月からやって、結局解きなおしで7月入る前まで、6月末までずっとシャカリキ数学ドリルをやってましたね。川浦先生はいつもとても優しく教えていただきました、とにかく「優しい!」これにつきます。
化学の学習状況について教えてください。
化学は、はじめ、単純なモル計算とかは出来ていたんですけど、実験とかで、何が起きているのかが分からない状態でした。持ち合わせた公式にあてはめて解いている感じだったんですけど、川原先生の授業を聞いて、「あ、こうなってたんだ!」ていうのが分かりやすく頭にスッって入ってくるようになったんです。それからもっと知りたい、楽しい、みたいに思えるようになって、成績も伸びてくるようになりました。
化学って理論と無機と有機で3分の1ずつをすごく緻密に最初から最後まで整理つくして仕上げられたという実感があります。現役の時と比べて成績としては、底辺だったのが、人並み程度にはなりました。目立たない程度には・・・(笑)
浪人してさらに磨きをかけられた得意科目を1つ挙げてください。
英語ですかね。英語は、4月の頃も得意だと思っていたんですけど、途中、得意じゃないかもって思い始めて、その壁を越えたら、どんどん上がり始めた印象です。一定のペースで成果が出るようになりました。
実は、鍋谷先生の授業、最初とても怖かったんですよ。でもなんか、その怖さにとっても鍛えられたなと思います。本当は全然怖くないんですけどね (笑)
私は、特に英文法がひどかったので、そこは鍛えられました。あと国立も受けたので、作文も、鍛えていただきました。
特によく話をしたスタッフはいますか。
関(せき)さんです。最初優しかったですけど、途中からちょっと怒られることもありました。その時は落ち込んだりもしたんですけど、今考えると、本当に私のために怒ってくれていたんだなって思えます。怒ってるその時も愛は感じてました。
入試当日のことは覚えていますか。
初日の国際医療福祉大は緊張しました。前日とかは緊張しなかったんですけど、五反田駅降りて、TOCの会場に向かうまでの道は緊張しました。難しいと言われている英語でもすらすらと読めたのを覚えています。また東京医科大の合格を考えると、私の医学部受験合格は英語と化学のおかげだったと思います。
2次試験(面接・小論文)の様子とその対策について、覚えている限りで教えてください。
東京医科大ですが、小論文があります。小論は、エッセイみたいなものを読まされて…たしか若くしてハンセン病にかかり、47歳で失明した女性の半生でした。面接は、15分くらいでした。
面接対策では夏に願書作成会に参加して、まず自己アピールと、国際医療の志望理由を練習しました。願書作成会では髙橋優子先生にお世話になりました。国際医療福祉大の面接では、最初に3分自己紹介があるのですが、
練習していたおかげで、うまく行きました!準備しておかないと、実際に3分はきついと思います。
国際医療福祉大の面接は30分が2回もある
のですが、1回目では医師志望理由、併願校、高校時代のことなど、色々聞かれました。雰囲気は最初は結構硬めだと思ったんですけど、話していくうちにほぐれていったような感じでした。二回目の人は関西弁で、第一印象は優しかったです。2回目は自己紹介の後、(練習していた通りに)最近の気になるニュースについて聞かれました。ただ…軽く想定していた程度だったので、ちょっとぼろが出たかなって思います。少し焦って答えるとニュースの内容は医療系じゃなくても全然いいよって言われました。
また2回目の面接では、SNSによる誹謗中傷について、新薬の緊急承認のメリット・デメリットについて聞かれました。新薬の話、これが一番難しかった質問です。ちょっと微妙な時間が流れました(笑) でも面接官の先生の助け舟があったので何とか答えられました。
あと国際医療福祉大の小論文では、「医療事故などもある中で、良い若手の医師を育てるにはどういう重要なポイントがあるのか」という内容でした。
国際医療福祉大の志望理由としてはどんなことをあげましたか。
英語で学びを行えたり、留学生が多かったりとか、勉強に対してすごく向上心がある人が集まっているから良い刺激になるという話をしました。あと、優子先生から聞いた話で、ここの卒業生が学校の授業評価アンケートをやっているということを言いました。そこからいい学校だなっていうのを伝えたつもりです。
国際医療福祉大は留学生や帰国生なども多いですね、TOEFLなども必修になっていますが、受験されたことは・・・
ないです。一会塾の卒業生の方が書かれた『国際医療で英語を生き残るためには』っていう記事を読んで備えたいと思います(笑)。
国際医療福祉大 医学部【第二弾】~全部英語で授業らしいけど実際どの程度英語は大変か?現2年生による報告
国際医療福祉大へ進学されることにご家族の反応はいかがですか。
父の方が「めっちゃいい学校だね」って。気に入ってくれています(笑)
自宅からも1時間20分くらいはかかりますが、通えるんです。
金子さんより、受験生へメッセージを2ついただきました。
~これから受験する人へ~
「私は周りと比べると受験する校数も少なく、比較的学費が安いところしか受験しませんでした。そのため受験校を決めたあとから、不安で仕方ありませんでした。表面には出さなかったけれど、内心『もっと出願校を増やすべきなのか』『どこにも受からなかったらどうしよう』とても悩んでいました。でも終わってみて私のようなケースも1つのやり方であると気がづきました。1校1校対策に時間がかけられるからです。もし私のような悩みを抱えている方がいらしたら伝えていただきたいのは、大事なのは受験する校数よりも第一志望校の対策、また思いです。勝負事ではたとえどんなに強くても相手の出方を知らないと負けてしまうこともあります。過去問を分析して特徴を知り、対策を練ること。そして絶対に合格するぞ、という思いと自分ならできるという思いを持つこと、それが合格への近道だと思います。」
~一会塾に通って~
「他とは違って少人数でしたので、埋もれるということがなかったです。スタッフや先生方もよく気にかけてくださり、まら生徒との距離も近かったのも良かったです。スタッフの方は小さなことでも相談にのってくださり、良い息抜きができました。一緒に頑張る仲間も良い刺激になりました。本当にいろんな人に支えられて出会いに恵まれた1年間でした。」
【面接コミュニケーション個別指導 高橋優子先生より】
夏にコミュニケーション個別の授業を3回受講していただきました。その中で、まっすぐで頑張り屋さんでとても魅力的な芽生さんの人柄がよく見えてきました。願書作成会では『自分は何も、他の人と比べて落としどころがないんじゃないか』とすごく悩まれて苦しんだことをよく覚えています。一緒に作成会をしていた仲間たちを見たときに、「私には紆余曲折がない」というのをすごく感じていらしたんですね。特に、ご自身も大きな病気の経験はなく、親族もみなさん健康であられるから、自分が医者になるっていう志望理由の「なぜ医者になりたいのか」「ここから先何をしたいのか」という所をどうアプローチしていくか、そのことに自分と一から向き合う必要がありました。あとは小児科医になりたいというのは芽生さんの中では、ほぼ決まっていたことだったので、「じゃあ小児科医になって何をしたいのか」、ということを、時間をかけていっぱいお話しました。芽生さんは学科のお勉強がぐっと上がったのと同じように、このお勉強に関してもしっかりと食いついてきてくれるんですよ。あいまいにしない。これが芽生さんのいいところ。礼儀正しいし、謙虚。強い信念を持っている方です。
芽生さんの良さを徹底して知ってほしい、それと合わせて国際医療福祉で聞かれておかしくないあらゆるところを全部伝えていきました。二人で長いトンネルを一緒に歩みながら、そこでの絆を深められたことと思います。