合格体験記(現役) 医学部編 順天堂大 岩崎さん(雙葉)

岩崎彩花さん  順天堂大学 医学部 (雙葉高校) 

 

【岩崎さん その他の合格大学】

 

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北里大学 医学部

聖マリアンナ医科大 医学部

東邦大学 医学部

順天堂大学 医学部

日本大大学 医学部

 

インタビュアー : 尾関 (数学科講師)

 

苦手科目とまでいかなくても、自分が選択している科目の中で一番成績が低いものは、どんどん上げていくこと。少しでも不安材料を減らして、安心して試験に臨むことが、合格のカギに。一会塾では、先生がちゃんと自分を知ってくれている、それがとても嬉しかったし、自分にとって勉強を頑張る上でそれは大きなことでした。

 

(尾関) 大学はいかがですか。

 

(岩崎) 大学は楽しいですけど、大変ですね。勉強が、本当に自分でやらないと留年しちゃうので。

高校の勉強は、直前にがーっとやれば何とか、何だかんだ進級させてくれるけど、大学は結構容赦ないので。

 

(尾関) いくつか落としたりしたの?

(岩崎) 私はまだないです。だけど結構な人数が落としちゃっていて、私の友達も。再試も3回までしか受けられないので。

 

(尾関) 再試験はお金がかかるんでしょう。

 

(岩崎) お金がかかります。でも、まだ安い方らしいです。

 

(尾関) いくらなの。

 

(岩崎) 1080円。高いところは1万円以上って聞きます。結構再試になる人は多いです。

 

(尾関) 楽しいのは、どういうところですか。

 

(岩崎) やっぱり寮生活なので、授業から帰ってきたら友達がいるみたいな。絶対誰か一緒にご飯を食べる人がいるから、寂しくないです。寮は食事は出ないです。なので学食で毎回お金を払って食べる感じです。

 

(尾関) 周りには何も無いって聞いたけど。

 

(岩崎) コンビニとかは、学校内に小さいセブンが1件あるぐらいで、あとは20~30分歩かないと、スーパーはないです。

 

(尾関) それを聞くと、けっこう不便なところですかね?

 

(岩崎) はっきり言ってめちゃくちゃ不便ですけど、最近は結構慣れてきました。

 

(尾関) では、ここからは少し受験のことを聞いていこうと思いますが、小さい頃から、受験っていつぐらいから経験したの。

 

(岩崎) 大学受験の前ですか。小学校受験です。

 

(尾関) そうか、雙葉か。

(岩崎) そうなんです、ずっと。塾には通いました。小学校受験の時。友達と仲よく協力して課題に取り組むとか、数人で集まって数を数えたり、あとは鏡を見て、こっちが右か左かみたいな。

 

(尾関) それで双葉に入って、小学校・中学校、どんな子供でしたか。

 

(岩崎) 勉強は嫌いでした。勉強は大嫌いで、取りあえずスポーツ、体を動かすことしか考えていなかったです。美術とか体育はめちゃくちゃいいけど、算数とか国語はダメでした。

 

(尾関) 中学のときはいかがでしたか?

 

(岩崎) 中1は、ひどかったですね。結構平均点以下が普通でした。勉強する気が起きなくて、ずっと部活と習い事。部活は手芸をしていました。中学校から塾には通っていて、そっちの勉強はすごく楽しかったです。

 

(尾関) どこに通っていたの。

 

(岩崎) 新宿にある理系に強い有名な塾です。数学だけやっていたんですが、成績は伸びました。ただ、学校のテストは書き方がすごく決まっていて、雙葉ルールみたいなものがあるんですけど、それで書かないと、どんどんマイナスされていっちゃうので、いい点数は取れないです。証明とかってよくやるじゃないですか、中学の時に。書き方の順番とか、自明のことでも全部書かないと、マイナス、マイナスに。

中1の初っ端で結構ひどい成績を取っちゃったので、だんだん成績はよくなっていきました。でも学年の平均点とか全然教えてもらえなくて、めっちゃ頑張って聞かない限り先生も黙っているし、順位も出ないので、自分がどれくらいの位置にいるか分からなくて。でも、そんなにひどい点数は取っていなかったです。

高校に上がると、本当に塾の勉強に集中しだしたので、最低限呼び出されない程度は取っていました、成績も。

 

 

(尾関) 英語ってどうだったの、中学では。

 

(岩崎) 中1から中3まで多読教室に通っていました。3時間のうち前半はネイティブの先生と英語で話す授業で、後半はもうずーっと1時間半読書みたいな感じの授業なんですけど。それ以外には何もやっていなかったです。

 

(尾関) 好き嫌いで言うと、英語はどんな感じだったの。

 

(岩崎) 得意という感覚はありました。解き方は感覚だったので、本当に得意か分からなかったんですけど、一応成績は取れていたので得意なのかなみたいな。

 

(尾関) それは学校の模試とかを受けて。

 

(岩崎) はい。英語は、高校に上がって受験が始まっても、本当に一切勉強しなかったんですけど。英語を話すことにも、そんなに抵抗がなかったので、苦手という意識はやっぱり全然無かったですね。

数学は中3まで新宿の塾で、高校からは東大生が教える大手塾に変えました。

 

(岩崎) 化学は中3から新宿の塾でやり始めて、物理は高2からその大手塾でやり始めました。物理は合わなかったですね。先生のくせが強かったので、理解できる人には理解できるけど、理解できない人は本当についていけないみたいな感じでした。

 

(尾関) 物理は先生によってすごく色があるよね。色々なタイプの先生がいて、好き嫌いもあるし。

 

(岩崎) ずっと一応、何とかなるかなとは思い続けて、ずっとだめだったわけじゃなくて、力学の方は全然大丈夫だったんですけど、電磁気で本当に分からなくなったので、結構高3に入ってからは苦労していました。

 

(尾関) 高3の夏に、これはもうまずいと。

 

(岩崎) やばいと。

 

(尾関) 一会塾って何で知ったんですか。

 

(岩崎) 母にずっと変えたいと言い続けて、本当にこのままじゃ絶対に落ちちゃうから、どうにかしたいと言って、じゃあ、どうすると言われて、もう今さら他の大手に行っても絶対ついていけないから、個人にしたいとなって。そうしたらちょうど母が、一会塾のチラシをもらってきて。それでネットで調べて、取りあえず見学に行こうということになって。

(尾関) 合格した勝因は、色々受かったり、受からなかったりあったと思うんだけど、最終的にこれが決め手になったみたいなものってあるかな。これで受かったとか、英語で受かったとか。

 

(岩崎) 結構大学によるんですけど、順天堂は絶対英語です。マークじゃないですか。自己採点ができて、さすがに作文は全然点数が分からないんですけど、マークは2ミスしかしていなくて、それで配点が他の科目の2倍なので、他の科目もできた感じはそんなになかったので、英語に助けられたなという感じでしたね。

 

(尾関) 英語はどこで得意になったのかな。

 

(岩崎) 小3から小6の間、父の仕事でカナダにいました。

 

(尾関) そうだったんだ。

 

(岩崎) 家族でカナダに3年間いて、その3年間はずっと現地校に通っていて、ずっと英語みたいな感じだったので、そこで話せるようになりました。文法とかは本当に全然分からなかったんですけど、全部感覚で文章を読んで、当てはめる問題とか、何でか分からないけど多分これが一番しっくりくるみたいな感じで解いていって、なんか合っているなみたいな。

 

(尾関) それは苦しまなかった? よく帰国子女の人は、海外での自分の経験から、こっちの答えでもいいんじゃないの? 何でこっちなのか分からない。だけど解答がそうならそうするしかない、みたいな感じで苦労してるけど。

 

(岩崎) 感覚で解くのは結構怖くもあったんですけど、でも何だかんだ合っているから、取りあえず受験はこのままでいこうみたいな。

 

(尾関) じゃあ、岩崎さんの場合は英語がかなり利いたんじゃないかということですが、受験全体を通して後輩にアドバイスをするとしたら、これをやっておけ、これを外すな、というのは何かありますか。

 

(岩崎) たとえ苦手科目がないと思っていても、自分の選択している科目の中で一番成績が低いものを、どんどん上げていくイメージで。上げていかないと、本番でその科目を解くときに、結構不安が出てきて、不安のまま解いて、解けなくて、解けなかったって次の科目にも響くことが私は結構あったので、特に物理の時に。苦手ってちょっとでも思うもの、細かく問題とかでも、範囲でも、どっちでもあると思うんですけど、それを本当に全部減らしていった方が安心して解けるのではないかなと思いました。

(尾関) それで失敗したとか、それでやられたという大学はある? これが引っ張っちゃってとか。

 

(岩崎) 順天堂の時にそうでした。数学が本当に解けなくて。数学はマーク方式だったんですが、取りあえず大体解き終わった時に一旦見直してみたら、半分埋まっていない、3割しか埋まっていないってなって。でも結局分からなくて、取りあえず全部2にマークを。そこでもう不安だけしかなくて、落ちたってなって思いました。順天堂は最後に小論文があるんですけど、小論文の時も数学の不安を引きずっていて、やばい、やばい、やばいみたいな感じで書いていたら、もっとやばいのが出来上がっちゃって。小論文については面接でも結構突っ込まれましたね。なので、不安を少なくともその科目だけにしておくためにも、なるべく解消してから臨んだ方がいいですね。

 

(尾関) そうだね。では、一会塾の良かったところは、どういうところですか。

 

(岩崎) やっぱりそれまで通っていたところが、本当に人数が多い塾だったので、先生に認識されないことが結構寂しかったというか。

 

(尾関) ちなみに、それぞれどれぐらいなの。

 

(岩崎) 東大生の教える塾は40人ぐらいの時もあって、新宿の塾は結構先生によってばらつきがあるんですけど、授業によっては100人超えとか。でも、10人しかいない時もあるんですけど、やっぱり人気の先生になってくると100人とかなるので、誰?みたいな

 

(尾関) そうだよね。100人はちょっときついよね。

 

(岩崎) 結構すごい頑張って勉強しても、見てくれる人がいないって寂しく感じる時もありました。

 

(尾関) 一会塾には来る時期がちょっと遅めだったので馴染めたかな?という部分はあるけれども。

 

(岩崎) 最初の雰囲気は、ちょっと馴染めなかったところはありますね。でもやっぱり先生が来て、岩崎さんって名前を知ってくれていることだけで、もう自分はありがたかったというか、ちゃんと知ってもらえているなみたいな感じで、嬉しかったですね。

 

(尾関) 医学部を志望した理由は。

 

(岩崎) 両親が医者だったので、そこは一番大きいと思います。あとは本当に、医者になるには医学部しかなかったので。

 

(尾関) いつぐらいから、思い始めたの。

 

(岩崎) 結構早めで中1の時には、自分は医学部に行くんだと思っていました。実際に本当に医学部に行こうと思って勉強をし始めたのは、だいたい1の冬ぐらいだと思います。

 

(尾関) そうなんだね。では大学自慢。何かありますか。

 

(岩崎) 寮ですね。医学部だけじゃなくて、スポーツ健康科学部もいるので、他の学部に友達がいるというのは、すごく楽しいです。

 

(尾関) 寮は個別だよね。相部屋じゃなくて。

 

(岩崎) 2人部屋です。医学部は絶対スポーツ健康科学部と2人部屋になると決まっていて、医学部同士になることは無いです。

 

(尾関) 面白い。知らない人と部屋が同じってどんな感じ?

 

(岩崎) 多分1人部屋だったら寂しすぎて、辛かったと思います。

 

(尾関) それって途中で変わるの、部屋は。

 

(岩崎) 変わらないです。ずっと一緒。

 

(尾関) といっても、1月にこっちに戻ってくるんだよね。

 

(岩崎) 1月、2月あたりに。2月から本郷、お茶の水の方で授業が始まるので。退寮期間がしばらくあって、いつでも好きな時に帰っていいので。でも授業が始まるので、それまでにたいてい医学部の子たちは、もう退寮するみたいな感じです。

 

(尾関) 2月って早いね。では、これからも頑張って下さいね。

 

(岩崎) ありがとうございます。

 

 

 

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