村松 春来(はるる)さん
慶應義塾大学 総合政策学部 現役合格
明治大学付属明治高校
その他の合格大学
慶應義塾大学 環境情報学部
《入試データ》 2022年
慶應義塾大学 |
総合政策学部 |
環境情報学部 |
試験日 |
2/17(木) |
2/18(金) |
試験科目(配点) |
小論文(120分 200点)+英語(120分 200点) ※英語の代わりに、英語・数学 or 数学・情報を選択可 |
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倍率 |
404/3164 = 7.83倍(2021) |
336/2864 = 8.52倍(2021) |
合格最低点(英) |
243/400 = 60.75%(2021) |
248/400 = 62%(2021) |
―合格おめでとうございます!
ありがとうございます。
―総合政策学部進学で、環境情報学部も受験されましたか?
はい、補欠だったんですけど繰り上がりました。
―ダブル合格ですか!素晴らしいですね。
ではまずは、入塾のきっかけを教えていただいてもよろしいですか?
高校が明治大学付属なのですが、高3のときに外部受験を決意して、自宅から近いところで予備校を探し始めました。慶應志望だったので、小論対策授業のある予備校を調べ、母が一会塾を見つけてくれました。
―明大付属で外部受験は珍しいのでは?
そうですね、ほとんどは明治大学に進みます。
―その中で、外部受験をしたいと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
SFCを受験しようと思ったのには二つ理由がありまして、まず一つは、将来の目標に繋がる勉強ができると思ったからです。私は将来、世界の貧困層の子どもたちに教育の機会を与える仕事をしたいと考えています。そのために、大学では幅広い知識を学びたいと思いました。SFCは文系理系問わず様々な分野を学べるので、色々な視点で物事をとらえる力がつくかと思い、志望しました。
―素晴らしい目標ですね。そのような具体的な目標を持てる高校生は少ないと思うのですが、何かきっかけがあったのですか?
高校の推薦入試を受けるときに将来について考え、そのときに『世界の果ての通学路』というドキュメンタリー映画を観たんです。そして、衝撃を受けました。教育を受けることがどれほど幸せか痛感するとともに、教育現場の実状にショックを受け、微力でも、何か自分にできることはないかと考えました。
―なるほど、すばらしい映画ですね。ありがとうございます。
二つ目の理由は何でしょうか?
二つ目は、祖父の影響です。高1の1月に、大好きだった祖父が亡くなったのですが、祖父は慶應大学出身でした。私自身、憧れを抱いていたのと、祖父孝行にもなるかと思い、受験を決意しました。
―それはそれは、きっと御祖父様も喜んでくださってますね!
最終的に受験を決断したのは高3ですか?
はい。祖父が亡くなったときに慶應受験がよぎり、勉強を始めてみたのですが、部活が忙しすぎて一旦断念してしまいました。そのあと高3の5月に高校で進路志望調査があり、そこで外部受験をするか、しないか、最終決定をしないといけなくて・・・
―そこで、再度挑戦してみようと?
はい。後悔しない選択は何か考え、外部受験を決断しました。
―先ほど少し話にでたけれど、高校には推薦入試で入られたのかな?
そうです。中学は地元の公立中学に通っていて、推薦で明大明治を受けました。
―明大明治は中学受験から偏差値が高く難関だけれど、高校は更に倍率が上がって、ハードルが高いと思うのですが、勉強は大変だったでしょう?
そうですね・・・でも推薦で合格したので(笑)
―推薦といえど、大変なことだと思いますよ。一般受験ももちろん視野に入れていましたか?
はい、推薦は一校しか受けられなかったので、ダメだったら一般で受けようと思いました。
―一般受験ではどこを受ける予定でしたか?
明大明治と早稲田大学本庄高校を受けようと思っていました。慶應は女子校だったので選択肢になかったです。青春したかったので(笑)
―なるほどですね(笑)どちらも志の高い選択肢だと思うのですが、やはり中学の成績がよかったのですか?
一応塾には通っていました。早稲田かMARCHの付属がいいと考え、MARCHの中では明治が一番偏差値が高かったので、明治を選びました。
―高3の5月に村松さんが面談に来てくださったこと、よく覚えています。
数ある予備校の中から、一会塾を選んでくださった理由はありますか?
一会塾は口コミでも、授業の質が高いと、評価がかなりよかったんです。小論は個別指導がよかったのと、サポートが手厚いと感じて入塾を決めました。
―口コミでですか(驚)一会塾では英語と小論文の授業を受講されていましたね。
英語の授業は、いかがでしたか?
英語は鍋谷先生の英文読解αをとっていたのですが、すごく役に立ちました。それまでは、ただ知っている単語を目で追って、英文を流し読みする感じだったので、授業を受けて初めて英文をきちんと理解することができました。
―そうなんですね!授業内容について具体的に教えて頂いてもよいですか?
私は途中入塾で、授業も途中からの参加だったので、一回目からすごいスピードでぶっ飛ばしてて(苦笑)鍋谷先生は、その場で英文を品詞分解するんですけど、文型ふるのもめっちゃ早くて、正直書きとるだけで精一杯、ついていけていませんでした。でも、それを繰り返すうちに、先生が言う前に文型をふれるようになって、徐々に、書きとらなくても、読みながら頭の中で品詞分解できるようになったんです。
英語科 鍋谷講師
―鍋谷先生の授業は、上位クラスだけれど、いや上位クラスだからこそ、品詞分解という基礎もきちんと固められるんですね。
そうですね。それまでは英文を読んでいる途中で、頭がぼけーっとなって、内容が頭に入ってこなくなることがあったんですけど、文章構造を理解すると、そういったことがなくなりました。
―授業で意図したことを、ちゃんと成果としてモノにしてくれているので、鍋谷先生もきっと褒めてくださいますよ。鍋谷先生の授業は、雑談時間の毒舌トークも有名ですが(笑)、いかがでしたか?
鍋谷講師 授業風景
おもしろかったですよ。雑談といえど、政治経済とかタメになる話が多かったので、知識が増えて英文の内容理解につながることもありました。
―SFCの英文は初めて見た人みんながひるむような、難しい単語の並ぶボリュームのある英文だけれど、どのように乗り越えていきましたか?
英語はもともと好きな科目だったのですが、過去問を解くと年度によって点数に差が出てしまいました。それでも、最初は点数が低くても、その都度復習しながら繰り返し解くことで点数もとれるようになり、同じ箇所を何度も間違えることによって、苦手部分を見つけることもできました。
―過去問はどのくらい解いたのですか?
総合政策と環境情報の過去問は、それぞれ赤本で3冊分を何度も繰り返し解きました。直近の5年分は5回ずつくらいやりましたね。間違えやすい問題の単語とか文章構造を書き出して復習していました。
村松さんが解いた過去問・・・右側の付箋の数に注目
―すごい、やはり過去問は大事ですよね。SFCの英文は、日本語で読むのも難しい内容で、内容一致も難しく受験生泣かせだと思います。本番はどうでしたか?
直前に残しておいた最新の過去問の出来が悪かったので、そこから追い込んで少しコツをつかみました。それこそ内容一致は、問題が本文に則した順番で出るじゃないですか。なので、先に問題文を読んで、問題文に「パラグラフ〇」と書いてあったら該当するパラグラフに問題番号をふって、それから本文に入りました。本文を読みながら、違う単語を使っている選択肢を削ったり、言い換えの単語が使われている選択肢にチェックを入れたりしましたね。
―とても参考になります。
学校の英語の授業も活用されていましたか?
付属高校なので、学校授業は受験向きではなかったです。ガンガン問題を解くというよりは、映画を観たり、進行もゆっくりでした。なので、完全に塾頼りでしたね。
―大学の授業みたいですね。やはり外部受験する方は少ないですか?
そうですね、受験する人はけっこういても、実際に外部の大学に進学する人は20人くらいだったと思います。
―外部の大学を受験して、もしダメだったら明治大学に行くことはできるのかな?
学部によります。例えば政治経済学部は、外部受験しても戻ってくる枠があるので、私は慶應に落ちたら明治の政経に進学するつもりでした。
―付属高校だと、落ちたときの受け皿があるから、心が弱くなってしまいそうな気がするのですが、モチベーションの保ち方など工夫されていましたか?
おっしゃる通り、付属校なので周りは楽しそうに遊んだりしてるんですよ。でもその中で、なんとか流されずに勉強を続けていて、その頑張りが無駄になる!と思うと、落ちるのが恐ろしかったです。その怖さもあって自分を奮い立たせていました。
―ご自身の努力がモチベーションになっていたんですね。
そうですね。もし一般受験に落ちて明治に進学したら、一年間楽しく過ごしていた子たちと同じゴールになるじゃないですか。必死に勉強して全然違う一年を過ごしたのに、同じ結果になってしまったら、自分を許せない気がして。絶対に合格したいと思いました。
―なんというか、村松さんは生きる力を持っているように感じます。すごく大事な感性をお持ちですね。話は変わって、小論文ですが、原田広幸先生の授業を受講されていましたか?
原田先生の個別授業を、2週間に一回、最後まで受け続けていました。原田先生からは本当に膨大な知識を授かりました。原田先生の脳みそって、普通の人の10倍くらいあると思うんですよ。ものすごい知識量で。その中で、SFCを受験するのに大事な知識を厳選して教えて頂いて、私はそれをなんとか自分のものにして、自分で広げていきました。
村松さんを担当した小論文 原田広幸先生
―知識をモノにするために有効だった方法を教えて頂けますか?
興味のあることについて深く調べたり、課題として出された本の分からない内容についても調べたり、メモして先生に質問したりしました。あとは、授業で過去問2年分が課題として出されるので、それを解いて添削してもらうことも非常にためになりました。
―SFCの小論文は、本当に様々なテーマが出題されるので、分野を絞ることも難しいと思います。そのあたりはいかがでしたか?
原田先生はSFC小論の出題についても熟知しているので、色々なテーマの読むべき本を課題として出してくれるんです。それを全て読みました。
―例えば、どんな本があったか覚えていますか?
写真撮ってきましたよ!こんな感じです。
原田先生が授業のたびに出された課題本を松村さんはすべて読んで、知識を知恵に変えていった。
―本当に、たくさんの本を読まれたんですね。
はい。最初に読んだのは、マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』でした。あとは『学力の経済学』とか・・・
マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』の書き取りメモノート
―『学力の経済学』を書かれた中室牧子先生はSFC教授ですね。
あ、『ファクトフルネス』も読んだんですね。
はい、『ファクトフルネス』は受験に直接役立ちましたよ!SFCでは問題のヒントがグラフに隠されていることがあるんですけど、過去問でもグラフを読み間違えてしまうことがあって。でも、『ファクトフルネス』では、そういったグラフの読み間違いや罠のようなものを解説してくれているので、正しくグラフが読めるようになりました。
以下は村松さんが実際に受験された年に出された小論文の図やグラフを見て考察する問題
2022年 慶應義塾大学 総合政策学部
―昨日インタビューさせて頂いた生徒さんも、推薦の問題で数字のグラフ化と、グラフの読み取り問題が出たそうです。グラフ問題は今流行っていて、いろいろな大学で出題されているそうで、授業できちんと教えたいと原田先生も仰っていましたね。
小論の授業は受けても受けなくて同じと考える学生さんもいるみたいですが、実際どうでしたか?
そうなんですか(驚)私は、授業を受けていなかったら、絶対合格していなかったですね。まずは知識がないと話にならないので、先生の話を聞いて、課題として出された本を読んで知識を増やすこと。そうすると、文章の中で“例”として出てきた話を知っていたり、色々なことがどんどん繋がってくるんです。読解力もつきますしね。範囲は無限だけれど時間も限られているので、闇雲に本を読むより、試験内容を熟知しているプロに勧められた本を読み、理解できない内容を教えてもらうというのは、非常に重要だと思います。身についた知識や読解力は英語の試験でも活躍してくれたりと、とにかく世界が広がりました。
村松さんは取り組んだ小論文の課題のコピー ポイントはノートにもまとめられている。
2022年 慶應義塾大 環境情報学部 小論文 課題文の最初に慶應が求める「学生像」についてしっかり明記されている。
2022年 慶應義塾大 総合政策学部 小論文 課題文の最初に慶應が求める「学生像」についてしっかり明記されている。
―熱い想いを、ありがとうございます!本を読むことの大切さを痛感しました。
そうですね、例えば『貧乏人の経済学』という本があって、その中では様々な問題についての解決策が提示されているんですけど、その解決策は大胆なものばかりではなく、地味だけど実行力の高いものが多いんです。SFCの問題は、問題解決を軸にしていて、そういった解決型の問題がでたときに、実行力の高い解決法の考え方も学べました。
―すべてが繋がっているし、そもそもそういった教養がないとたちうちできないんですね。
明治大学に内部進学するという選択肢もあったかと思いますが、外部受験という道を選択してよかったですか?
断然よかったです。人生が濃くなりました。自分の中の引き出しやアンテナが増えたことで、普段のニュースを見る目も変わりました。今までだったら素通りしていたことも、知識として吸収したいと思い、世界情勢などもどのような価値観がぶつかっているかなど、深く考えるようになりました。
―素晴らしい。SFCは心意気のある人が集まっているので、その経験は大学でも存分に役立ってくれると思いますよ。
明大明治なら六大学野球はご存知かと思いますが、次は早慶戦・・・いや、失礼、慶應では慶早戦(が常識)ですね!
はい!六大学野球を観に行ったときに、各大学の旗が飾られていて、慶應の旗がかっこよくて憧れていたんです。なので、その大学の生徒になれたことがすごく嬉しくて、慶早戦は今から楽しみです!
―少し話は変わって、これまでの生い立ちについてお伺いしたいのですが、習い事はされていましたか?
習い事はたくさんしていました。まず、幼稚園のときに少しだけチアをしていて、小1でチアを辞めてからはサッカーを始めて、ピアノは幼稚園から小6まで、あとは3歳から中1まで競泳をしていました。
―すごいですね!競泳というと、かなり本格的な?
どれも兄と姉の影響ですね。競泳はガチです(笑)週7で通っていて、大会に出場もしました。
―バタフライもできる?
もちろんです(笑)ただ、中学に入ってバスケ部に所属してからは、あまりに忙しすぎて。高校受験のタイミングで競泳はやめるつもりだったので、中1で区切りをつけました。
―受験に合格する人は、どこにそんな時間があるの?と聞きたいくらい忙しい人が、不思議と多いんですよね。中学は地元の中学ですか?
はい。小学校時代はとにかく遊べというのが両親の方針だったので、毎日命がけで遊んでいました。
―命がけで遊ぶなんて、成長とともになかなかできなくなりますからね。貴重な経験ができたのだと思いますよ。
中学では、どちらの塾に通われいたんですか?
中1から早稲アカに通っていました。英語、国語、数学は全員一緒に受けて、公立受験の人だけ理科と社会を受講するかたちです。
―村松さんは、初めから私立志望だったんですか?
最初は公立も考えていたんですけど、途中から私立コースに変更しました。
―村松さんの通われていた玉川中学では、私立高校に進学するのは少数派なのでは?
そうですね、公立に行く人のほうが多いです。
―そのあたりの選択からも、村松さんは、何か強い意志のようなものが感じられる気がします。貴重なお話、たくさん教えて頂きありがとうございました。キャンパスライフ、楽しんでください!本日はありがとうございました。
ありがとうございました。