浅野陽菜さん
北里大学 薬学部(現役合格)
目黒星美学園
~ダンスと学校の勉強をがんばってきた浅野さん。推薦で北里へ。持ち前の粘り強さで苦手科目の化学を克服。明るく快活な性格でインタビューは周囲も笑いっぱなしでした~
【浅野さん その他の合格大学】
帝京平成大学 薬学部 特待生合格
インタビューをまとめました。お友達の末松さん(東邦大学 看護学部)が隣で聞いていて和やかな会になりました。
聞き手:数学科スタッフと英語科スタッフ(個別指導担当)
(数学科スタッフ) 中学受験はいつぐらいから意識をしましたか。
(浅野) 中学受験は、ほとんど意識していなかったです。小学校のときにずっとダンスをやっていたので、ダンスをずっと頑張って、その間にちょっと勉強みたいな。
(英語科スタッフ) 何系のダンスですか。
(浅野) そのときは、いろいろやっていました。学校も休みながら、ずっとダンスを。ダンスで仕事をしていたので。洋服のブランドのイメージダンサーなど。お金をもらっていました(笑)。
(英語科スタッフ) それは芸能プロダクションみたいなやつ。
(浅野) 契約生みたいな感じ。
(数学科スタッフ) 塾は行っていなかったの。
(浅野) 小5、小6のときスクールIEに行っていました。だから学校は全然というほどでもないけど、あんまりものになっていない感じで、塾でやっているという感じでした。個別でずっと、中学受験の勉強はしていました。芦屋です。小5の始めから中1まで兵庫にいたので。中学受験は関西で1回して、芦屋学園というところに入って、その後、編入試験を受けて目黒星美へ転校しました。
(数学科スタッフ) そこから中学時代は、どうでしたか。勉強、また部活。
(浅野) 部活は緩い部活に入っていたので、そんなに大したことはなかったですけど、外でずっとダンスを続けていて、それで勉強はクラス分けみたいなことをされるんですよ。上の30人だけ違うクラスだったんですけど、ずっとそのクラスにはいました。
(数学科スタッフ) じゃあ、わりと成績はよかった。もうちょっと具体的に言うと?
(浅野) クラス分け制度が始まったのは中3からなんですけど、そのときには20位後半みたいな感じでした。上に行きたくて、頑張りました。
(数学科スタッフ) 高校生になってからは?どうだった。学校の勉強を結構がんばってたんだよね?
(浅野) 1回8位ぐらいになって。勉強はめっちゃ好き。ずっと昔から。小学校のときからずっと勉強が好きで、でもたぶん他の子みたいにやれやれと強制されていなくて、ダンスをやっている合間に勉強みたいな感じだったから。
(英語科スタッフ) 好きな科目は何でしたか?
(浅野) 数学。無心で解ける感じが好き。
(英語科スタッフ) 同じことを言う人がいな。慈恵に受かった大鹿さん(笑) 無心で解くらしい。すべてを忘れて・・・(笑)
(浅野) そう、幸せ。何も考えないで、微積とか無心でという感じでずっと解いているから、普段はいろいろ考えて生きているんですけど、そのときだけは何も考えないみたいな。
(数学科スタッフ) 高校では何か変わったことはありましたか。
(浅野) 高校の勉強は、引き続き上に入りたくて。でも私、親にお金でつられていたんですよ、勉強は。10位以内に入ったら1万円あげるみたいな感じで、ばんばん。でも、それが一番成績が上がるらしいですよ。林修さんが言っていました。
(数学科スタッフ) 信憑性が増すなあ。
(浅野) だからそれでお金につられて、親は無理だと思ってお金を提示するんですけど、ちゃっかり入っちゃう。
(英語科スタッフ) 想定外。
(浅野) あちらが困るみたいな、まさかみたいな感じになっちゃう感じでした。
(数学科スタッフ) 大学受験を意識し始めたのは。
(浅野) 文理で分かれるぐらいからかな。高1の終わりぐらいからなんですけど、私は一人っ子だから親が死んでも1人で生きていかなきゃって。それでお金がちゃんともらえる、自分の資格を持てる学部に行きたかったんです。ただ中学生のときは、ずっとキャビンアテンダントになりたいと言っていたんですけど英語ができなくて、数学が好きだったし、理系かなとずっと思っていて、それで薬学部がいいかなみたいな。医学部だとちょっと敷居が高くて怖いし、看護もちょっと向いていないなと思って薬学部にしたという感じです。
(数学科スタッフ) じゃあ、高1から高2あたりで、理系か薬学かなって。
(浅野) でも中3のときに1回、友達と見に行っているんですよ、星薬科に。何を考えているのか、まじで分からないです。立教とか青学とか見に行けばいいのに(笑)
(英語科スタッフ) もう運命だったんだね。薬学部が・・・
(浅野) そのときからたぶん、ちょっと薬学部という。医療系には行きたかったと思います。
(数学科スタッフ) ちなみに高校は医療系を志望する子が、わりと多いの?
(浅野) まったく。10人いないぐらい。薬学部に行った子は、私を含めて2人でした。
(数学科スタッフ) 理系も少ないの。
(浅野) 理系も少ないです。90人中30人ぐらいしかいない。
(数学科スタッフ) 一般受験を普通にしようと思っていたの?、推薦も少し頭にあったの?
(浅野) 一般って思っていたけど、推薦も受けようと思っていました。チャンスがあるんだったら、全部ピンからキリまで受けようと思っていました。
(数学科スタッフ) 一会塾にはなぜ来たんだっけ?
(浅野) 医療系な感じで調べていて、家が近いところがよくて、親が調べていたら武蔵小杉にあるみたいな感じになって、友達が武蔵小杉に住んでいるから友達のお母さんに聞いたら、あるみたいだねみたいな感じになったらしくて、私が先に来た。
(末松) 私がその数カ月後に入塾しました(笑)。
(浅野) いいって自分がめっちゃ言って、それで末松も入ってきました。私、高2の1月から、佐藤悠太先生の数Ⅲの授業を受けたんですよ。怖かった。
(数学科スタッフ) 怖かった?
(浅野) うん。だってまったく分からないもん、怖かった。先生怖い。
(数学科 佐藤悠太先生)
(英語科スタッフ) そうだね、真顔で淡々とやるサムライみたいな先生だよ(笑)
(浅野) そう、淡々と進めるじゃないですか。しかも私女子校なのに、男子の中にに女子が私1人だったんですよ。やばいと思って、しかも最初は何も考えないで一番ど真ん中に座っちゃって、全員男子じゃないですか。終わったって思った。
(数学科スタッフ) 佐藤悠太先生はこわいだけ?
(浅野) 授業はすごくいいなと思った。周りの子ができると思ったら、上に上がりたくなるタイプ。這い上がるのが好きかな。難しい方に行く方が、自分的には楽しかった。
(本当は怖くない佐藤悠太先生)
(数学科スタッフ) ほかに一会塾は何がよかった?
(浅野) 少人数で、みんな知り合いという感じがすごくよかったです。私、大手も行っていたんですけど。
(数学科スタッフ) ずっと行っていたの。
(浅野) 四谷は高2の最初の方から入っていて、途中から一会塾に来たんです。だけど四谷に行ってもアウェーという感じで、友達は全然いないし、やっていて楽しくなかった。
(数学科スタッフ) 最後まで続けたんだよね。
(浅野) しょうがないので続けました。辞めてもよかったんですけど、四谷は55段階というのがあって、ずっと続けて文法みたいな、毎週行ってテストを受けて先生に提出して、できなかったところを解説してもらって、もう1回予習をしてテストを受けてみたいな、道場みたいなのがあったんですけど、それを終わらせてもいいかなって思って続けていました。
(英語科スタッフ) じゃあ、普通の授業じゃなくて55段階だけ。
(浅野) 最初は普通の授業も受けていたんですけど、全然よさを見出せなくて、高3になってからは55だけ行っていました。一会塾のよかったところは、先生とすごい密接している感じ。私の志望校に関することだけじゃなくて、性格とか家庭環境とか、親がどう思っているかとかも、全部一人一人把握してくれているから、すごい相談もしやすかったし、悩んだときは一番最初に言えるかなって感じ。
(数学科スタッフ) 苦手科目はありましたか?
(浅野) 苦手なのは化学です。数学は自分の勉強法というか、定期テストの勉強をめちゃめちゃやるタイプだったんですよ、私。3週間前ぐらいから、ここはステップがあるじゃないですか。それを解き始めて、テストになる前に4周解いていたんですよ。それは楽しかったから解けたんですけど、だから受験勉強のときもあんまり忘れていなくて、そんな苦じゃなかった。でも化学は大嫌いで。
(数学科スタッフ)大嫌い?
(浅野) そう。でも有機化学だけは楽しくて、それで薬学部にした感じです。有機だけどうしても楽しくて、化学科とかって悩んでいたんですけど、化学科だと、どうしても有機じゃないところもやるはめになるなと思って、でも化学だったら有機とかがメインになってくるから、有機だなと思いました。
(数学科スタッフ) 理論って数学っぽいと思うんだけど。
(浅野) 好きじゃなかった。この塾に入って勉強し始めて、こつをつかんだらよかったんですけど、私は文章問題とかすごく苦手で、それで解読できなくて計算式もうまく立てられないというのが悪かったんだと思います。
(数学科スタッフ) 苦手な化学はどうやって克服したんですか?
(浅野) 授業の復習ばかりやりました。あとは何をしたかな。過去問か。もうそれで過去問に入りました。基礎はできているだろうと思って、あとはいろいろな大学の過去問も、最初は帝京平成とかから解き始めて、星薬科の推薦の問題とかを解いて、それでできなかったところにもう1回戻るみたいな感じでやっていました。
(数学科スタッフ) 英語はどうだったの。
(浅野) 私がいた高校は、みんな英語が得意で、その中で下の方だったんですよ。他のは10位なのに、だから英語ができないと思っていたんです。でも模試とか受けると、意外と一番成績がよかった。模試では数学と化学は全然ダメで、英語だけいい感じ。
(数学科スタッフ) 最終的にはどんな感じだったの、偏差値とか。
(浅野) 偏差値は最後の河合の記述模試、9月明けの私の推薦が取れた後の模試で、数学が70で、英語が65で、化学が60ぐらいでした。
(英語科スタッフ) それは慶應の薬を狙えるよ。でも、それぐらいたぶん学力があったと思うよ。
(浅野) 本当ですか。
(英語科スタッフ) うん、直接教えてそう思ったよ。高3のときの受講科目って何でした?
(浅野) 川原先生の化学と佐藤先生の数学と、磐田先生の英文法と鍋谷先生の英文読解。
(化学科 川原先生)
(英語科 磐田先生)
(英語科 鍋谷先生)
(英語科スタッフ) 帝京平成を受けているのは、何のために受けたの。
(浅野) 自分にすごい自信があったんですけど、それに関して親にすごく怒られて、自分に自信を持ちすぎて、自分の力を過信するといけないみたいな。周りの子は結構そうだったんですよね。私はこの大学しか見えていないみたいな感じで、そこしか受ける気はないみたいな感じで言っているのを見ていて、失敗しそうだなってちょっと思っていて、自分はそれで失敗したくなかったから、ちゃんと安定校中の安定という感じじゃないですか。でも受けたかった。1つでも合格があったら、次に自分の本命を受けるときに、絶対気持ち的にも楽になるなって思って受けました。(化学科スタッフの)関さんと(面接指導の)高橋さんにすごい反対された、帝京平成は。受けなくていいよって。
(英語科スタッフ) もっと違う薬学部を受けた方がいいということかな?
(浅野) そうです。そうやって言われたんですけど、日程的に一番早い試験だったのが帝京平成だったので。科目が2科目でよかったんです。数学と英語だけで、嫌いな科目がいらないじゃないですか。よっしゃと思って、そこで1個でも合格したくて受けました。(浅野) 特待Aになりました。S・A・Bと種類があって。全日程合わせて10人ぐらいで、Sは3人ぐらいな感じですね。だから全部受けた中で、15位以内ぐらいには入っている体らしいです。Sは全額免除で、Aは半額免除です。
(英語科スタッフ) それは受けてよかったと、振り返って思いますか。
(浅野) すごく思います。キャンパスの雰囲気とか好きだったから受けました。どうでもよくて受けたわけではないです。夏にオープンキャンパスに行きました。すごくきれいで、いる人もすごく雰囲気がよかったから、ここだったらもし入ることになっても全然いいなと思って受けました。場所は中野で、駅から近いです。すごくきれいだし、道も歩きやすくて。
(数学科スタッフ) 明治と隣だったよね?
(浅野) そうです。横が明治なんです。ちょっとそれはって思ったけど、でもこっちは資格取るんだから、うって感じ。
(英語科スタッフ) 何で、うって思ったの(笑)。こんな有名な大学と、うっ、こんなに近いのかと。
(浅野) お隣ですかみたいな、びっくりした。ポールが2つ立っていて、帝京平成、明治大学って。いやらしいと思って(笑)
(数学科スタッフ) 受験を振り返って得たものは?
(浅野) 夏ぐらいが一番苦しかったです、。私は全然志望校とか、正直志望学部も結構あやふやだったので、夏の最初の方までは。それですごく悩んで、勉強も手につかなかったんですけど、そのときはすごくつらかった。でも今思い返してみると、充実していたかな。自分が目指している場所があって、そこにずっと何も考えずに頑張れる環境って、これから先あんまりないのかなってすごく思いました。
(数学科スタッフ) 後輩に何かアドバイスをしてあげるとしたら。
(浅野) 自分の力を過信するな、ですかね。行きたい大学があるのは分かるけど、本当に自分がそこに見合っているかどうかは、やっぱり受けてみないと分からないし、試験で何があるか分からないから。行きたいのはいいけど、他の大学をばかにしたりするのは絶対によくないと思う。結構周りの子にもいたんですけどね。他の大学をばかにするんじゃなくて、自分の1つのチャンスとして、そこも視野に入れるのは大切なんじゃないかなと思いました。
(英語科スタッフ) 浅野さんは受験直前に追加で個別指導を取っていたと思うんだけどその目的と感想は?
(浅野) 目的は北里の推薦をもらえることになって、その試験内容が英文小論文だったんですけど、最初に英文を読んで、その英文に書かれている現象について、小論文で述べるみたいな感じだったんですね。それで小論文の授業も宮園先生で取っていました。英語が苦手だったので、小論文に出てくるような英文ってどうやって解くのだろうってなったときに山口先生の個別を取らせていただきました。そこでいっぱいやったんです。プラセボ効果に関する英文をたくさん読んだり、高齢化について読んだりとか環境問題についてとか、いろいろな英文を読んだんですけど、結局試験に出たのが高齢化についてで、山口先生とやっていたので、1時間中15分で解き終わりました。
(英語科 山口先生)
(英語科スタッフ) すごい難しい英文をやったんだけど、本番は簡単だったんだよね?
(浅野) はい、すごい易しく感じました(笑)。私、(英語の個別は難しくて)泣きながらやっていたよね。
(末松) そう、無理かもしれないみたいな。
(左:浅野さん 右:末松さん 場所:卒業生のパーティ:恵比寿)
(英語科スタッフ) そうそう。レベルが高いやつをちょっとやらせたらできたから、もうちょっとできるんじゃないみたいな感じで、1つのテーマに対して5つぐらい読ませたね。結構レベルが高いやつ。そうしたら全部がんばって予習やってきたんですよ。想定外に(笑)
(浅野) はい、全部やりましたよ。
(数学科スタッフ) 大学は通ってみてどうですか。
(浅野) すごく楽しいです。高校のときも楽しかったんですけど、学力が同じ、または自分よりかなりできる子が多いんですね、私の大学。私は推薦で入っているんですけど、やっぱり一般の子が普通に多くて、一般の子たちは第一志望で北里を受けた子がわりと少ない。
(英語科スタッフ) わりと少ないんだ。
(浅野) そうですね。もとは国立志望、もしくは医学部がだめだった子たちが浪人して薬学部に来た子も多いから、本当にびっくりしちゃうんですよ。
(英語科スタッフ)浅野さんのしゃべり方とか性格とか、わりとしっかりしていると思うのだけど、どこで培われたの。小学校からそんな感じなの。
(末松) 中学校は、もっと激しかった。落ち着いた方ですよ(笑)。
(浅野) 落ち着きました。
(英語科スタッフ) それってダンスは影響があるの。
(浅野) ダンスでずっと年上ばかりの環境だったんですよ。全員大人で、大人に小学生1人とかでずっといろいろしていたりしていて、仕事していたときもやっぱり大人相手だったから、そのときからかな。
(英語科スタッフ) それが大きいんじゃない。
(浅野) そう思います。
(英語科スタッフ) 長男・長女のコミュニケーション力が高いのは、親とよくしゃべるからで、次男と次女が引っ込み思案なのは、親とは話さずにお兄ちゃんやお姉ちゃんとばかりしゃべる、近い年齢の人ばかりと一緒にいると、ちょっと大人としゃべれなくなる。でも浅野さんは先生たちに動じなかったもんね。
(末松) 動じないのは、いいことなのかね。なめているのかも。
(英語科スタッフ) なめているのかもしれないね(笑)。でも素晴らしいよ、いろいろ話してくれてありがとうございました。
(浅野) ありがとうございました。
【写真】左から
男鹿(おじか)さん 星薬科大学合格
浦野さん 東京薬科大学 薬学部合格
浅野さん 北里大学 薬学部合格
末松さん 東邦大学 看護学部合格