昭和大学 医学部 静岡県地域枠
既卒合格
吉田尋乙さん(杉並総合)
吉田さんその他の合格大学
・東北医科薬科大 医学部 1次
・聖マリアンナ医科大 医学部 1次
・東邦大 医学部 1次(2次辞退)
・藤田医科大 医学部 正規合格
数ある予備校の中から、一会塾を選ばれたのはなぜですか?決め手はどこでしたか。
高校が終わり浪人が決まった時、私は浪人したら医学部を目指すと決めていたので、医学部専門予備校に通おうと考えていました。予備校探しは母が積極的に手伝ってくれて色んな予備校の体験や説明会に出たりしましたが、一会塾に説明を聞きに行ったのはメディカルラボ、駿台医学部コースの説明会の次の3個目でした。一会塾の説明会に出ていて、他の予備校や塾と違うと感じたのは、生徒と先生の距離感でした。これは相性もあるかもしれませんが、実際、私も話していてとても距離が近く感じて、今まで大手予備校などの説明会で担当の方と話しているとどこが事務的な感じというか、大手なので生徒数が多く1人1人に密接に相手はしてられないというのもあると思いますが、私にとってはそこがとても重要でした。浪人という特殊な環境で、1人で勉強習慣や受験への準備など出来る自信がまったく無かったので、講師の方やスタッフの方との距離が近い環境は今改めて良いものだったと思っています。
大学・学部志望動機について教えてください。
私が医学部を志望したきっかけは自体は浪人が始まった時でした。現役(高校3年生)の時は薬学部を志望していました。何故、浪人で志望が変わったのかというと、浪人したらせっかくだから医学部を目指そうと親と話していたからです。こういう話になった訳は私が小学生の頃まで遡ります。私が医者という職を志したのは小学1年生でした。小学校でのよくありがちな「将来の夢を決めて飾ろう」みたいな催しで、特に崇高な将来観など持ち合わせていなかった当時の私はとにかく「1番人の役に立つ職に就きたい」と漠然と考えていました。当然、この世にある職業はどれも人の役に立つものでそこに優劣は無いですが、当時の私は、人の命を助けるという点から医者が最も人の役に立つと稚拙ながら信じていました。そこから時は流れて中学2,3年生の時まで飛びます。高校受験を真剣に見据える時期になり、高校受験のための予備校などにも入り真剣に勉強を進め始めていた時、そしてある程度高校受験への勉強をしていた中学3年生の後半に当時の私はある事に気づきます。それは、「医者無理じゃね……?」でした。考えてみれば当たり前です。私は小学生の時は6年間を通して成績は大体下から数えた方が早く、算数の実力別のクラス分けでは一度も上のクラスに行ったことがなく、成績も精々オール3が関の山でした。それは中学生になっても変わることはなく、定期テストでは大体5割を切っていて、あんま才能関係ないような暗記系の科目が辛うじて6割とか取れるくらいでした。当時の中学3年間の定期テストの成績が見れる資料が家にありますが、点数が酷すぎて中学生の弟に笑われるくらいです。中学でも成績オール3を取れたのは中学3年生の3学期で、正直それも高校受験の為に各科目の先生方が情けをくれたのだろうと思います。笑
そんな私の頭では行ける高校もそこまでレベルの高いとこではありませんでした。入った公立の高校でも案の定、高校1年生では成績は下から数えた方が早く、大して中学時代と変わりませんでした。状況が変わり始めたのは高校2年生の夏でした。このままではどこにも行けないという焦りと、医者は無理だけどせめて医療系に関わりたいという気持ちから薬学部を目指そうと思い、今までの自分を変えるべく勉強に真剣にやって着手しました。小・中学校の内容が足りてない私はそのレベルから埋め始めて、少しずつ高校での勉強にも追いつけるように当時在籍していた予備校を活用して勉強し続けました。そんなことを続けていると、あまり偏差値の高い高校では無いので結構簡単に定期考査で学年1位やそれに近い成績をとることができました。この私にとっての過去に類を見ない快挙は、自分自身にとっても大きな自信になりました。そんなこんなで、定期考査で学年1位をとるという目標を持ち続けることで少しずつ私自身の偏差値を上げていきました。しかしながら、今までの私にないレベルまで学力は上がりましたが、やはり実践力など足りていない点は多くありました。現役での薬学部受験の結果は全落ちという幕切れでした。ただこの結果を受けても私は大して落ち込みも悲しみもしませんでした。今考えるとやっぱり医学部が良かったからなんだろうなと思います。母も私が薬学部を志望すると言った時、やはり医療系というか医者を諦めてられていないのだろうと分かった上で、先述した通り浪人したら医学部を目指そうという話が出たのでしょう。
一会塾での学習環境についてはいかがでしたか?
塾での勉強するための環境としてはとても良いと思います。私は勉強していて分からないところがあったら人に聞くタイプでは無いのであまり質問などは行かなかったのですが、周りの生徒は受付で授業の準備をしている講師の方やチューターの大学生の方によく質問をしていて、受付という生徒と講師の物理的な距離も近いのでとても質問などしやすい環境だったのだと思います。また、スタッフの方々や講師の方も勉強の事のみならず、普段の生活のことやちょっとした相談や雑談など気軽に出来て、そういった距離感の近さが私の予備校選びの決めてにもなったので一会塾の良いところだと思います。
一会塾での指導について、全体的にどのような感想をお持ちですか?
各科目、講師の方ごとに指導方法の差異はありますが、私が受講していた科目では小テストが多くありその結果が逐一ランキングとして張り出されたりするので、そこでいい成績をとって良い顔をしたい、逆に順位が低いと恥ずかしいとかそういう感情から自ずと学習に力が入り良い成績に繋がると思います。また、塾全体でも学力到達度テストがあるので定期考査の様な役割を果たしていて、私もそこでの成績に一喜一憂したりしてなかったりしてました。
習った先生について教えてください。
先生方は皆とても個性的な方で面白い方が多かった印象です。勉強や受験に関する相談なども積極的に乗っていただいて、親近感が湧く先生が多いと思います。これも、一会塾全体としての生徒と講師の距離の近さの一部なのだと思います。
授業や受験生生活を通してお世話になった先生はたくさんいますが、その中で特にお世話になったと感じるのはまずはスタッフの方々です。普段の生活や学習の相談など何かと色んな話をする機会があったため、こういった面でお世話になることが多く受験に際して1から10まで助けられました。面談などでは、私がお喋りだということもあって、面談は毎回1時間はザラでしたがそれでもしっかりサポートしてくださって本当に感謝しています。
講師の方々にも色んな方にお世話になりましたが、その中でも特にお世話になった方を2名挙げさせてもらいます。
1人目は一瀬先生です。一瀬先生は1浪の時授業をとっていたことから一昨年から知り合った先生で、2浪目の年は先生の授業をとっていませんでしたが、数学の質問や受験での相談など様々な面でサポートしてくださいました。2浪目の年は1浪目の時の反省から交友関係をある程度断ち切っていたため、そういった環境で勉強以外の話、所謂ちょっとした雑談などの相手になってくださったりと本当に多方面でサポートしていただきました。
2人目は小田先生です。小田先生は数学の先生として数学の質問やその学習ルート、各大学の過去問や数学以外の学問の質問に乗ってくださり、私の受験校決定にも大きくサポートしてくださいました。小田先生も同じく、勉強のこと以外のちょっとした雑談など浪人生活で多くのアシストをしてくださり、私の第1志望かつ私の進学先の昭和大地域枠も小田先生の提案によるものでした。
このお二方は勉強面は勿論、生活面にも大きくサポートしてくださり、私の浪人生活中で非常にお世話になりました。改めてこの場で感謝申し上げます。
入試が始まってからのことを教えてください。
試験を迎えるにあたって何か特別なことをしていたかと言われるとあんまり無かったという記憶があります。逆に言えば、変なことをしたら調子が狂うのである意味いつも通りでいたと言えます。私はこの1年を通して、浪人生というのはやはり焦りや焦燥感などに苛まれるもので特に私は3浪など許されていなかったのでより焦れる立場でしたが、特に焦ったりも慌てたりもしませんでした。これはまぁ性格上の問題ではありますが、「焦ったってしょうがないだろ」というスタンスを私は貫いていたのでそんな焦りによる弊害を被ることはありませんでした。
次の日に試験がある日は自習室を19時には撤退して試験日の朝に備えました。変に勉強しようとしても裏目に出ると思っていたので夜家に帰ってからは特に勉強とかはしませんでした。いつも通りの夜の感じで過ごし、大体0時〜1時に寝て朝は試験会場の遠さによりますがほとんど遠かったので6時頃に起きていました。朝もこれといった特別なことはせずに、朝ごはんも腹持ちの良さからパンよりはお米を食べていきました。食べ過ぎて気持ち悪くなってはあれですし、大きめの茶碗1杯くらいしか食べてませんでした。試験会場に向かうまでの移動も特に変わりませんでした。周りにいた受験生らしき人たちは盛んに参考書や赤本を見ていましたが、私は先と同じく変に焦るのはあれかなと思い電車内ではほとんど携帯をいじってるだけでした。試験会場周辺では医学部受験恒例の各予備校のビラ配りバージンロードが繰り広げられていましたが、それに一瞥もせず駆け抜け会場に向かいました。
ただし受ける試験が、学科試験(1次試験)か面接試験(2次試験)かでかなり変わると思います。これから向かう試験が面接試験の場合結構緊張します。朝はいつも通りですが、服装が現役なら制服、既卒ならスーツでいくので緊張感が増します。男性は革靴など履きなれないもので歩くのでそういった点も結構重圧になります。
医学部の試験会場で注意すべきことはなんですか?
医学部は膨大な数の人数が受けるので会場も人でごった返しています。面白かったのは受験生側の机を歩き回っているスーツの人がいて、試験監督の方かと思ったらそのまま机に座って筆記用具出し始めたことです。そして試験会場や周りの状況で注意が必要なのはトイレです。医学部受験は人が多いのでトイレも大混雑です。女子トイレの方がやはり長蛇の列を成していて、東邦大など受験者数が多いとこではその列が4列くらいになっていて、うわ〜って思いながら見てました。男子トイレも回転率はそこそこ高いもののやはりかなり並びました。1つ注意なのは、男子トイレで列が出来ているのは大便器であり、小便器は大方空いてるので間違わないようにしましょう。
入試本番での様子と手ごたえについて教えてください。
会場での受験を通して記憶に残ってるのは机です。結局は大学側が会場を借りてそこにある机を並べているだけですので、大学本校では机が地面に埋まってるタイプがほとんどですが、机を並べてるタイプは立て付けが悪いです。例えば、私が3回行ったパシフィコ横浜では1つの机に2人並んで座るタイプで、隣の人が消しゴムやらで消してるとこっちも揺れます。同時に消しゴムを使うとたまに共振します。それにより手元が狂うのは勿論、これが記述式や小論文の時だとだるいです。私は隣の人が消しゴム使ってる時は一度手を止めるようにしていました。ブレて書き直すのもしんどいので。
学科試験の手ごたえとしては、英語が取れてないところはほとんど一次も通らない感じがしました。逆に、理科があんまり取れなかったが英語がめちゃくちゃ取れた東北医科薬科大は意外と普通に通りました。が、英語が全然とれなかった国際医療福祉大などは全然通らなかったです。ただ、受かったところは大体6〜7割は取れていたのでこのくらいがやはり必要なのだと思います。
2次試験での個人面談、MMIでの経験について教えてください。
私は今回の受験を通して、個人面接とMMI(マルチプル・ミニ・インタビュー)をやりました。個人面接では結論としてはかなりよく出来たと思います。自己PRやら本学志望理由など答えるのが面倒な質問系はある程度箇条書きにして覚えておいて対応出来たので良かったです。私は始まってしまえばあとはどんどんいけるタイプなのであまり、言い損じたりはしませんでしたが、苦手な人はやはり冷静さを保つ訓練が大切だと思います。
問題はMMIでした。今年の受験を通して、自分でMMI苦手なのかなぁって思うくらい出来が悪かった気がします。その証拠に、藤田医科大は合格時に学科試験と面接試験の点数が開示されるのですが、私の面接試験の点数は40点中15点という破格の点数でした(笑)。藤田医科大の面接はMMIが2回、個人面接が2回の計4回あり、面接点40点が各面接に10点ずつ割り振られているとするなら理論上2/4の面接で0点を叩き出しているということになりますね。理由は多分MMIだと思います。私は2回のMMIはどちらも周りの受験生よりも早く終わってしまい(あんまり語れませんでした)かつ、浪人差別を無くすべく年齢を明かすなという旨の告知を直前まで受けていたのにも関わらず、MMI開口一番に間違えて年を言ってしまったりと色々やらかしていました。先程、焦るなとか平静を保てとか偉そうに言いましたがこれが結構難しいんですね。
どのような対策が効果的だと思いましたか
藤田医科大の成績開示によると、面接の点数こそ赤点ですが学科試験の方は全体の上位10%に食いこんでいて、かつ先の面接の失敗談から言える事は学科試験で点数を取れってことです。医学部の面接など極端に危ない奴を弾く目的でしかなくその人の根幹や中身を真面目に吟味するなど限界があります。なので、学科試験で高得点をとり面接やら小論文試験のある程度失敗を粉砕出来るように学科試験をとりましょう。
なぜ地域枠を選んだのですか
私は昭和大学医学部の地域枠が第1志望でした。実際過去問などやっていてかなり余裕を持って点数を取れていて、周りからも多分受かるでしょってくらいのところが第1志望でした。受験の志望っていうのは大体上から下にかけて偏差値も下がっていくものですが私はそうではありませんでした。昭和大学のそれも地域枠を選んだ理由は学費です。私の家は所謂一般家庭で両親がお医者さんであるとか社長さんなどのいわゆる裕福な医学部受験家庭ではありませんでした。これから受験を控える弟もいるので家庭に金銭面で負担を極力かけないために地域枠を受けることを決めました。かつ、大学在学中に一人暮らしをするとなるとまたかなりのお金がかかるので、家から通える大学という条件も必要でした。小田先生からの勧めもあり、この条件を満たす大学を探した結果昭和大学が残った訳です。
昨今、医学部の地域枠の制約がどうとか色々意見ありますが、結構前のほうで述べた通り、私が医者を志した際のきっかけは「人の役に立つ職」です。場所がどうとか拘束がどうとかは関係なく、求められる場所で己の力によって人の役に立つことこそが私の本懐であるので、特に抵抗もありませんでした。
浪人生活での注意点はありますか?
2浪目になるにあたって1浪での反省点は、①学習の計画性や網羅性の無さと②人間関係です。
①については、授業を受けていたのもあり目先のものばかり勉強していました。要するに、自分が出来なかった問題に出会ったらその問題やそれに関する単元を徹底的に埋めるというやり方を続けていたことです。確かに、分からないものに出会ったら二度と間違わない様に勉強するのは決して悪いことではありませんが、逆にそれだけに注力するのが危険ということです。たまたま「自分が分からなかった問題」として出会わなかっただけで、本番まで実はちゃんと理解していない状態で本番その問題に出会ってしまったらそれは致命傷になります。つまり、目先の分からない問題のみを追い続けて他のあまり分かってない問題を野放しにしている状態、ということです。このミスから1浪時の試験で、なんだっけこの問題、となることが頻発して死ぬほど腹が立った覚えがあります。このミスを補完するべく各単元を網羅するために、単元ごとの学習ルートの調整やそのチェックを徹底しました。
②の人間関係は言葉の如く、塾内での人間関係です。何かと他人の人間関係に巻き込まれやすかったり、相談されやすい人間でこんなのを受験期に続けてたら自分もトラブルに巻き込まれるのは必然です。そんなトラブルで受験勉強や試験に支障が出たら本末転倒です。そんなトラブルを1浪時にやっていたので、2浪目では人間関係を極力断つようにしていました。塾内での人間関係もある程度断ち、塾外での友人は皆大学生なので2浪目は極度の孤独環境に追い込まれました。元々、友達とよく遊び回ったり喋りだしたら止まらない様な性格の私にとってはこの環境はかなり応えました。気分はさながら修行僧でしたね。だからこそ、特にお世話になった一瀬先生や小田先生などその他先生方、加えてスタッフの方などが普段の話し相手になってくださったことはとても大きかったです。
受験勉強を振り返って思うことはありますか?
合格した瞬間と今現在の心境はやっぱり安心です。合格発表の時期は常に3浪or全落ちの恐怖に苛まれていたので嬉しさとかよりはため息が出るタイプの安心でした。母も同じとのことです。この1年を振り返って感じるのは、繰り返しになりますが、本当に修行僧のような日々でした。周囲との断絶による環境と自習メインの自習室に留まり続ける毎日はかなり重く、宅浪出来るやつってすごいなぁって思いました。事を深刻に捉えて憂鬱になるのも無駄なので、どうにかなんだろってぐらいの感覚でいた毎日でした。しかしながら、私の学力の推移を俯瞰してみるとこの2浪の年でぶち上がったと思います。浪人して成績が上がるのは2割程度と言われる中でこの伸びはかなりのものだと自負しています。恐ろしく長く感じたこの受験生活が遂に終わりを迎えるわけですが、これからも勉強は続きます。少なくとも、合格発表確認の時のような全身を震わす勢いの心臓の高鳴りについてはしばらくは無くても大丈夫です、笑。