佐川宏行さん 帝京大学医学部 (神奈川県立多摩高校卒)
インタビュアー:川浦
受験というのは、やれば伸びるし、できる人が受かるし、やった人が最後に笑うことができる。あとは後手には回らない、というのが受験を勝ち抜く秘訣です。
(川浦) 小学校の時って、佐川君はどんな小学生だった?
(佐川) 小学校全体でとらえると、成績はそこそこ良くて、運動はあまりできない。
(川浦) 何にはまっていたの、その頃は。
(佐川) SF系。
(川浦) SF系というのは、本?
(佐川) 本もそうですし、テレビアニメもそうですし、あとはゲームもそこそこやっていました。
(川浦) 小学生の頃は塾には通っていましたか。
(佐川) 今もあるんですけど、ひのき進学教室というところがありまして、登戸の校舎にいました。
(川浦) それは何年生の頃から行っていたの。
(佐川) 小学校4年から6年まで。それがプライムコースという、中学受験をしないコース。公立中学に進学するけど、学力は高めたいと。小学校4年から6年までいて、また新たなコースで中学1年から3年の高校受験までその教室にいました。
(川浦) 中学ではどうだったの。
(佐川) 部活動という新たな活動場所を見つけて、そこで頑張りつつ、そこそこ勉強もやるタイプでした。
(川浦) 部活は何をやっていたんですか。
(佐川) 吹奏楽部で、ホルンという楽器をやっていました。それは高校生になっても続けていました。
(川浦) 中学の時って、勉強にかなり前向きな人だったのかな。
(佐川) そうですね。成績は、そこそこと言っていいかな。良かったですけど、提出物は全く出さない。 内申点で絶対に稼げないタイプの、嫌な生徒だったと思う。
(川浦) それで高校受験をして、高校はどちらに行かれたんですか。
(佐川) 神奈川県立多摩高校です。
(川浦) 高1、高2ってどんな感じでしたか。
(佐川) 全く勉強をしなくなりました。
(川浦) 中学の時にすごく勉強していたからかな。
(佐川) 中学もそこそこ、すごくというわけではなかったんですけど、高校ではまた部活が本格化して。
(川浦) 輪をかけてやらなくなった。
(佐川) あとは学校行事が盛んな学校だったので、楽しいことをやりすぎた結果、勉強を全くしなくなってしまって。
(川浦) でも受験をするわけじゃないですか。受験をしようと思ったのって、いつ頃なの。
(佐川) 受験をしようと口で言ったのが高校3年生で、口だけになっちゃって。
(川浦) 高3になって口では言っていたけど、実際には勉強していなかったと。
(佐川) はい。
(川浦) でも、夏とかはやったでしょう、さすがに。
(佐川) やろうとしても分からないんですよ。正直言って、2次関数のことを分からない人が微分積分って言われても何?という感じで。
(川浦) それで受験に臨んだ訳だけども、その時って、どこを受けたの。
(佐川) これもまた意思としては医学部を目指していて。現役の時は医学部だけって言っていて、結果は予想できると思うんですけど、全部落ちました。
(川浦) 全部だめだったんだ。ちなみに、どういうところを受けたの。
(佐川) 支払える限り、全部受けました。
受験費用が、親には申し訳ないぐらい。例えば日医と昭和と東邦と、杏林と日大だったと思います。覚えている範囲では。
(川浦) そういうところを受けたんだね。それで、全部だめだったと。じゃあ、そこから一会塾に来るまでのプロセスというのは。
(佐川) 全落ちしてからは、もう1回、医学部に入りたいという思いを強く持って、そこで医学部に行かせてくれる塾を探そうと。他力本願な言い方ではあるんですけど。
(川浦) そこで一会塾があったんだね。
(佐川) 大手予備校の医学部コースの学力標準みたいな、その基準となるセンターで何番というのは、大手予備校が提示するやつに全くそぐわなくて、一から伸ばしてくれるところを探そうってなった時に、一会塾を選びました。
(川浦) 入ったきっかけというのは、佐川君自身が見つけてくれたのかな。
(佐川) 色々とパンフレットを見たんですが、当時一会塾のパンフレットに、県立多摩高校から医学部に行ったという方が載っていて、前例があるならってことで入りました。当時は医学部の校舎が武蔵小杉にあったので、立地的な条件からもいいかなと思い、選びました。
(川浦) それで1年武蔵小杉で、2年目は恵比寿だったね。今振り返って、一会塾についてどんな生活だったか?教えていただけますか?
(佐川) スタート地点が固定されていなくても、伸ばしてくれる。例えば合格したいんだったら、今の時点で、今というのは4月の時点で、これだけ学力が無ければいけないみたいなのがあるんですけど、そういうスタート地点が一人一人違っても、しっかり伸ばしてくれるというところがありました。
(川浦) なるほど。
(佐川) あとは、苦手を“なあなあ”にさせない環境。もともと自分に甘い性格だったので、そういうのは幸いしました。
(川浦) なあなあを、許さないことね。他にはありますか?
(佐川) これは個人的な話になってしまうんですが、校舎に1人か2人、すごくできる人が必ずいました。
(川浦) それは何でよかったの。
(佐川) その人になりたいという感じで、努力ができました。
(初代 恵比寿校のメンバー全員医学部へ進学できました)
(川浦) 励みになる人がいたということ。
(佐川) 目標となる学力の人がいたということですね。どれだけできれば医学部に合格できるとか、偏差値がいくつあればいいのかとか最初は分からないので、明確な人を目標にするしか。
(川浦) ちなみに合格した年は、誰か目標はいたんですか。
(佐川) いました。
(川浦) 誰ですか。
(佐川) 個人的にものすごくできるなと思った人は、大鹿さんとか堀越君。
(川浦) そうだね。そこを結構励みにして。
(佐川) はい。
(川浦) 得意科目とか苦手科目とか、色々あったと思いますが、佐川君は得意科目は生物だよね。
(佐川) そうです。
(川浦) 他にもありますか、得意科目。
(佐川) 一応最後の最後で英語は。
(川浦) 生物、英語だよね。苦手科目は。
(佐川) 数学です。
(川浦) では得意科目の生物と英語って、どんな勉強をしていましたか。
(佐川) まず生物に関しては、暗記科目だったら暗記科目なりに、楽じゃないんですけど効率よくできる部分があるのでがんばれました。
(川浦) 英語は。
(佐川) 英語は、単語レベルからやり直しました。やり直したというか、もともとやってもいなかったんですけど。
(川浦) しっかりスタートをしたということね。
(佐川) スタートが基本です。
(川浦) 苦手科目の数学は。
(佐川) これは他力を十分に活用しました。(笑)
(川浦) 他力を活用。(笑)例えば。
(佐川) 先生だったり、できる友達だったり。 あとは、四の五の言わずに量をこなせば、ちょっとできるようになった。
(川浦) 合格した秘訣というのかな。これがやっぱり僕の秘訣だったというものを1つ挙げてください。
(佐川) 捨てる問題を、自信を持って捨てられたというところです。入試の一番最初が岩手医科大学だったんですが、その時の感触があまり良くなかったんです。だけど1次の合格を頂いて。それで、その後の試験でも、岩手が受かるなら、これも受かるだろうみたいな、多少できない問題があっても、多分この問題は捨てても合格ラインに行くだろうと、迷わずに捨てられました。
(川浦) 受験を経験して、合格の秘訣の1つは、捨てる問題を自信を持って捨てるということですが、そのほか何か受験生にアドバイスをするとしたら、どんなことがありますか。
(佐川) まず日々の勉強においては、絶対に後手に回ってはいけないということだと思います。
(川浦) 後手に回るなね。これは。
(佐川) これは、受験というのは日程がもちろん最初から決まっていて、そこに向かってどうするかだけなんですけど、1つ後手に回ると、後のスケジュールとか、やらなきゃいけない勉強がおざなりになってしまうというのが、よくあるんです。なので、決められたスケジュールを絶対に守らなきゃいけないということではないかもしれませんが、勉強をする上で人のやっていることを、自分もできるようにするとか、周りの水準から、それ以上外れないとか、そういう初歩的なことをしっかりやるのが重要だと思います。
(川浦) いつ頃だっけ、医学部を目指そうと思ったのは。
(佐川) まず第一段階、ちょっとした衝動が小学4年生だったんです。
(川浦) それは何がきっかけだったの。
(佐川) 入院ですね。その時の医療従事者の方が格好良かったので、医師を目指そうと思ったんですが、後々気付いたらその人は医師じゃなくて、他の医療従事者の方だったんですけどね。
(川浦) でもいいんじゃない。それがきっかけだったんだね。
(佐川) 大学受験をするにあたって、忘れていた夢を思い出して、高校生の後半ぐらいに医学部に決めました。
(川浦) 今は大学に入ってどうですか。授業とか、サークルは何か入ったの。
(佐川) JIMSA(ジムサ)という、いろいろな大学が集まって、英語と医学を学び合おうというサークルに。
(川浦) 面白そうだね。
(川浦) 大学に入って驚いたことってありますか。
(佐川) 入って驚いたことは、大学というよりも帝京医学部の場合、クラスがありまして。今まで抱いていた、大学になるとクラスがないとか個人主義というのは、あまりうちではないです。みんなで勉強というスタンスが強いです。
(川浦) 何クラスあるの。
(佐川) 2クラスです。130人程度で2クラスです。
(川浦) じゃあ、60~70人ぐらいということ。
(佐川) そうです。
(川浦) これからの大学生活、どのように過ごしていきたいですか。
(佐川) うちの授業では、8月の時点で解剖学に着手するんです。なので、これからはどんどん忙しくなって、勉強も難しくなってくると思うので、そこはしっかり頑張ろうと思います。
(川浦) では、佐川君が帝京大学の広報宣伝部長になったつもりで、大学のよいところを紹介してください。
(佐川) うちの大学は、たぶん設備で言うと、かなり上位の方にあると思います。なので、勉強をする上で、例えば友達に聞くとか、人を活用するのもいいですけど、設備も頼るところも沢山あると。
(川浦) 例えば一押しの設備は。
(佐川) 一押しの設備はコンピューター室ですね。講義試聴というものがあって、講義が録画されていて、それを後から見直せるというシステムがあるんです。
(川浦) 録画されているんだ。
(佐川) はい。
(川浦) あと他に自慢できることは。
(佐川) 他の大学ですと、例えば医学部だと学年ごとにキャンパスが分かれていて、6年間1つのキャンパスで学ぶというのは、そんなに多くないと思うんですが、うちは1つのキャンパスに医学部の1年生から6年生がいるんです。もちろん上の代の学年ですと、実習があったりとかで学内にいることは少なくはなりますが。1年生が6年生から話を聞いて、医学についてより深い関心を持てるという点が魅力だと思います。
(川浦) 1年から6年まで、繋がりがすごくあるということかな。
(佐川) そうですね。
(川浦) 分かりました。最後に一言、受験生に向けてエールというか、アドバイスがあればお願いします。
(佐川) 受験というのは、やれば伸びるし、できる人が受かるし、やった人が最後に笑うことができるので、頑張ってください。あとは先ほども言いましたが、後手には回らない。
(川浦) やれば伸びる。後手に回らない。分かりました。
長いインタビューになりましたが、今日はありがとうございました。
(佐川) ありがとうございました。