【合格体験記】国際医療福祉大 医学部 医学科 第1回帰国生特別選抜 “え?10月1日にもう合格”(第2回は11月27日実施)~入塾後半年での医学部合格はNさんに続いて2人目の快挙。数学偏差値36からの逆転合格。数学と理科は知識ゼロからのスタート。7月の模試では数学偏差値60までに伸長。毎日3時間かけて塾へ通塾。途中あまりのプレシャーで授業中倒れることも・・・すべての努力が報われた!ど根性合格物語~

A.Nさん

 

国際医療福祉大学 医学部医学科 2022年4月入学

グレナンガ・インターナショナルハイスクール卒(オーストラリア)

第1回 帰国生特別選抜 合格者

 

【試験日程】

20219月7日 1次試験  主要4教科+英語小論文(300words

2021918日 2次試験 面接20分×2回(英語面接)

2021 10月1日 合格 

 

~入塾後半年での医学部合格はNさんに続いて2人目の快挙。数学偏差値36からの逆転合格。数学と理科は知識ゼロからのスタート。7月の模試では数学偏差値60までに伸長。毎日3時間かけて塾へ通塾。途中あまりのプレシャーで授業中倒れることも・・・すべての努力が報われた!ど根性合格物語~

 

―医学部を目指そうと思ったきっかけは。

 

2015年のネパール大地震でネパール人の友人が被災しました。地震から1週間後に彼女からメールがあって、生きていたんだと歓喜したのですが、けが人で溢れる病院で診てもらえずに親族が亡くなったと聞いて立ちすくみました。私はその時 横浜に住んでいて小学校6年だったんですけど、その年に「横浜子ども平和スピーチコンテスト」で

『貧しさと困難に心を寄せて助け合える世界の一員になる第一歩は医療である』

と主張して、優勝したんです。それで優勝した人たちはピースメッセンジャーとしてニューヨークの国連本部とユニセフ本部、あと国連学校に派遣されて、そこでさまざまな医師の方とか国際医療団の方々にお目にかかることができて、自分もその方たちみたいになりたいなと思ったのがきっかけです。

 

ーどうしてこのスピーチコンテストに出ようと思ったんですか。

 

横浜市の公立小学校ではみんな参加しないといけなくて。(笑)でもせっかくなら頑張ろうと思いました。

 

ーなるほど。では小学6年生まで日本の公立小学校だったんですね。

 

実は、幼稚園から小学校4年までは、元町のインターナショナルスクールに通っていました。その後2年ほど地元の公立小学校です。

 

―では小4までの環境というのは、家庭以外では全部英語っていう感じでしたか。

 

生まれた時から、母(日本人)と英語で話していました。だから日本語を話すっていったら、学校で日本語の授業がある時か、父と話すときでした。

 

ーインターでの幼稚園、小学校は楽しかったですか。

 

はい、楽しかったと思います。あんまり深く考えたことはなかったですけど。自分の置かれた環境が当たり前だと思っていましたから。インターでは20人ぐらいが2クラスあったので、1学年40人ぐらいいました。

 

―結構大きいですね。その後4年生から公立小学校にかわって、どうでしたか。勉強のやり方とかも全部違ったと思いますが。

 

最初は先生が何を言っているかもわからなかったし、国語のノートを逆から書いていて怒られたり、そういう勉強以前のことで苦労しました。

 

 

―なるほど。日本語の方は、今はその時と比べるとずいぶんできるようになりましたか?

 

いや、同じか減ってるぐらいじゃないかなと思います。(笑)

 

―えっ(笑)、日本語の方が自信がないんだね。(小さいころから)最初に英語で情報を入れる期間がずっと続いたっていうことですか?なんでもかんでも最初に英語で入ってくる。

 

そうですね。最初に母に言われた言葉が “Nice to meet you! “だったから。それが当たり前でした。

 

―でも住んでるところが日本だったから、切符買うのから何から何まで日本語が必要だったと思うけど、それは困ったことはないの。

 

困ったことはないですね。

 

―表面的なやりとりはほぼ完ぺきにできると。込み入った話の日本語になってくると、えーっみたいな感じになる。

 

そうですね。(笑)

 

―小学校56年は友達は普通にできてた。

 

はい。地元だったから、逆に放課後一緒に遊んだりしていて。

 

―で、そのままいくかと思いきや。

 

オーストラリアに引っ越し、43か月で中学高校課程を修了しました。

 

―なぜオーストラリアに行ったんですか。

 

インターナショナルスクールの校長先生がオーストラリア人だったので、オーストラリアを勧められて・・・

 

―じゃあもう海外の中学に行くっていうのは決めてたの。

 

地元の中学校に行きたくないと言って、まぁ母も英語が出来たから、自然の流れでした。でも引っ越しって言っても、キャリーケース1個であとはなんにもない感じでしたね()

 

 

―えっ、たくましいー!ドラマだね。オーストラリアの何州でしたか?

 

南オーストラリア州。のどかなところです。

 

―そこにみんなが寄り集まって住んでる感じ。じゃあみんな知り合い。

 

そんな感じです。日本と比べると近所付き合いが濃かったですね。日本よりも人と人とのコミュニケーションがもっとオープンな感じだったなと思います。

 

―南オーストラリア州のなんという町なんですか。

 

アデレードです。

 

―そこで、20168月に入学なんですね。

 

オーストラリアのカレンダーでは、学校の年度は、2月から12月なんですけど、準備に時間がかかって、3月に日本の小学校を卒業して、7月ぐらいだったかな、引っ越したのが。オーストラリアはなかなかビザが厳しいので。

 

8月に入学して、ヘンリーハイスクールは現地の人ばかり。日本人は少しぐらいいましたか。

 

日本人は私1人だけでした。誰もいないとは思っていなかったので、びっくりしたんですけど。学校は、ビーチから歩いて5分ぐらいのところだったので、毎日ビーチに行って授業でした。

 

―開放的な感じだね。カリキュラムでぎちぎちじゃなくて、自由にやるのかな。

 

はい。おおらかでしたね。

 

―じゃあ現地の友達もいっぱいできて・・・・大きい学校なんですか。

 

大きかったですね。1学年300人ぐらい。

 

―大きいですね。ヘンリーハイスクールっていうのは、ジュニアハイスクールじゃないってこと?

 

違います。8年生から12年生まであるので。日本で言うと中2かな。中1の年から飛び級して入ったんですけど。

 

―飛び級して入ったんだ。中1の年齢なのに中2ぐらいに入った。全然大丈夫だったの。試験とか無いのかな。

 

英語の試験はあります。まぁついて来れるか見るための。

 

―で、そのまま2年間過ぎて、ヘンリーハイスクール10年生修了。で、転学ってありますが、学校かわったのですか?

 

国際バカロレアを取りたかったです。ヘンリーのカリキュラムが悪かったわけではないけど、緩かったりして、せっかくオーストラリアにいるからもうちょっとチャレンジしたいなと思って。そこでもまた面接も他の科目の試験もあって、なんとか受かったので転学しました。

 

国際バカロレア(IB)とは・・・・

国際バカロレア機構(本部ジュネーブ)が提供する国際的な教育プログラム。
国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)は、1968年、チャレンジに満ちた総合的な教育プログラムとして、世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、生徒に対し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格(国際バカロレア資格)を与え、大学進学へのルートを確保することを目的として設置されました。

 

 

―住んでた場所からは離れているんですか。

 

アデレード市内ですが、家から車で45分ほどでした。

その学校だけが、南オーストラリア州で国際バカロレアが取れる唯一の公立学校だったんです。

 

―なるほど。国際バカロレアを取ると日本で大学受験ができるっていうのが大きかった。

 

はい。今はもっとIBとれるところは増えたみたいですけどね。私立だと結構あるけど学費の安い公立を選びました。

 

―国際バカロレアを取る人はこれから増えるだろうなって思うんですけど、外国語を何時間やらなきゃいけないとか、そういう縛りがいっぱいあるんですよね。急に生活が変わった感じでしたか。

 

全然違いました。思ってたよりも大変で、これなら飛び級しない方が良かったかなって思うぐらいでした。

 

―自分の年齢より1コ上のところに入っているから、要求されるものも高い。

 

違うと思いましたね。

 

―どんなものが例としてしんどかったですか。

 

最終学年の時は、4000語のエッセイを7本書き上げないといけないんですよ。ヘンリーのままでいってたら1本でよかったのに、7本で大変でした。

 

―全部英語で書くんですよね。国際バカロレアはスイスの制度ですよね。スイスが作った基準を世界中が取り入れて、修了してたらどこの国の大学でも行けるよということだよね。で、苦労して見事に卒業できたわけですね。しかも中1の年で中2に入ったそのままの状態のまま、なんとか卒業できた。この学校でもアジア人は1人だけだったんですか。

 

いや、アジア人が半分ぐらいいました。

 

―おお、それは心強かった。

 

はい。アデレードで生まれ育った白人だけではなく移民のアジア人が半数いたので、価値観が色々あったりして興味深かったです。

 

―どこの国の人が多かったですか。

 

中国、韓国、インドネシア、マレーシア、スリランカ、ベトナム、香港、インド、ネパールなどです。

 

―なるほど。それは国際色豊かな環境だったんだね。規模としては大きかったですか?

 

大きいです。1学年400人ぐらい。2020年の1016歳で卒業しました。

 

16歳って高2じゃない、すごいね。卒業式は盛り上がった。

 

いえ、コロナで全然。アデレードは田舎だからほとんど感染者はいなかったんですけど、オーストラリアという国自体は、(日本と違って)ロックダウンが本当に厳しかったです。

 

―なるほど。2020年は大変な年だったね。そして卒業して、日本の医学部に入ろうと思ったのね。

 

はい。転学したグレナンダハイスクールを見学に行ったのも、日本の医学部に入りたいなっていう思いがあったからその時から考えていました。

 

―じゃあ医者になるために、国際バカロレアを絶対に取らなきゃっていうプレッシャーのもと、頑張ってたんだね。ところでA.Nさんはスポーツもやっていたんですよね。

 

はい。新体操を9年間と、水泳6年とテニスを4年。

 

―文武両道だね。それは部活のようなもの、それとも習い事でしたか?

 

新体操は習い事で、オーストラリアは部活っていうのは無いから、外の団体で色々と行っていました。

 

―周りもそういう何かしらスポーツをやっている環境だったの。

 

そうですね。誘われて水泳を始めて、テニスもそうでした。

 

―それは、とても忙しかったね。

 

はい、スポーツと語学学習と、あと友達と過ごす時間を優先してたと思います。

 

―そういえばドイツ語もオーストラリアで習得されたようですね、どういう経緯でしたか?

 

ヘンリーに入った時にドイツ語は必須だったんですけど、2月からみんな始めてるっていうので半年分遅れがあったんですよ。それで、英語も大変だけどドイツ語も大変だって思って、土曜日にドイツ人協会のドイツ語学校っていうのがあって、そこに通い始めました。ほとんど無料でネイティブの先生が教えて下さっていました。でも学校と違って、机で勉強するというよりはみんなで会話をする方が多かったりして。結局ずっと通って最後まで行ってたんですよ、2020年の11月ぐらいまでですね。

 

―そのまま土曜教室に行ってた。1回、何時間ぐらいあるんですか。

 

半日あったり、夕方まである日もありました。

 

―えーっ、そんなにやるの。それがほぼ無料なんだね。

 

はい。周りもドイツ人ばっかりでしたし、そこでもまたアジア人が1人だけ。(笑)

 

―ドイツ人は何のためにそこに来るんですか?

 

アデレードには、ドイツからの移民が多くて、自分の国の言葉や文化をオーストラリアで育つ子供世代にも教えてほしい、と考える父兄が大勢いました。

 

―とても良い環境だね。

 

そうなんですよ。それで、高校1年生の時にオーストラリアの学校で1位になったんですよ。

 

―ドイツ語のテスト。TOEICみたいなドイツ語版があるのかな。

 

そうです、そうです。資格は励みになりました。

 

―語学の吸収力っていうのは、中2ぐらいの時ってどんな感じなんだろう。中2ぐらいから学び始めて、それで半日とは言え週1回で、日常会話は困らないぐらいできるようになって。日本では毎日英語の授業があって、それでもずっとみんな英語は苦手なんだけど。(笑)

 

学び方が違うから、きっとできることも違うと思います。日本の英語教育だと、文法とか完璧になるじゃないですか。だけど会話になると難しい。オーストラリアではイマージョンが主流でした。

 

イマージョン(イマ―ジョン・プログラム、イマージョン教育)

イマージョン・プログラムとは、未修得の言語を身につける学習方法の一つ。没入法と言われることもある。目標とする言語の言葉だけを習うのではなく、「その言語環境で」他教科を学びその言葉に浸りきった状態での言語獲得を目指す。1960年代にカナダで始まり、現在は世界各地の学校で導入されている。

 

―それがAさんには合っていたんだね。

 

はい、そうですね。

 

―体感的に理解できるように、英語もドイツ語もなってて、日本語に関してはその体感的が難しいんだよね、きっと。

 

難しいです、まだ。

 

―面白いですね。日本ではまだまだ少数派です(笑)。英語もドイツ語もできるようになって、それは今回の国際医療の試験の面接ではちゃんと伝えましましたか。わかってくれましたか、そういう部分。

 

どうでしょう。まぁ、2回あるじゃないですか、面接が。2回目は最初に、あなたの名前の意味は何ですかみたいなのを聞かれて、それは英語だったんですけど、そのすぐ後、日本語に切り替わってしまって。で、格差について聞かれたんですよ。コロナによる教育格差について。それで上手く答えたつもりだったんですけど、多分日本語がどこかおかしくて、すぐその後に、「日本語と英語どっちで考えていますか」って聞かれて、英語ですって答えたら、そこから英語に変わったんです。

 

―あぁー、良かったじゃない。英語の方がすらすら話せるんだから。

 

はい、聞かれてよかったんですけど、日本語が(英語より)できないっていうのは多分気付かれたんじゃないかなと思います。

 

 

―気づかれて良かったと思うよ。でも国際医療福祉大だと20人は外国人(留学生)の人だから。国際医療福祉大に入ったら、きっと(日本人の)リーダー的な存在になるかもしれないね。

 

いや、そんなことないですよ。自分のことで手一杯です(笑)

 

―ハイスクールを卒業して、日本に何月に戻って来たんですか。

 

12月でした。

 

―その時は止められたんですか、空港で。

 

止められましたね。いや、ビックリしました。その時はオーストラリアは0人だったから、なんで0人のところから来て厳しくされるんだろうと思って。

 

―ホテルとかで2週間隔離だったんですか。

 

母の友人のところに行って、そこでそのまま2週間。隔離って言っても隔離になってないですけどね。その後どうするかっていうのはそこで考えていました。

 

―帰って来てから家探そうみたいな感じですか?それで202012月にやっと日本の生活が始まると。で、一会塾に来たのが2月。それまではどうしていたんですか。どんな動きをしてたんですか。

 

オーストラリアから引っ越しの荷物を送っていたんですよ。それの税関通すのが大変でした。思ったより早く荷物が来て、結構量があったんですけど、個人の引っ越しの荷物を運んでくれる業者さんがなかなかいなくて・・・・

 

―コロナで業者さんが見つかりにくかったんだね。

 

そうです。慌ただしかったですね。

 

―なるほど。でまぁ荷物が来て、インターネットが繋がって、携帯契約して、それで塾探そうみたいになったの。

 

そんな感じでした。

 

―どうやって医学部の塾を見つけたんですか?それとも、そもそも独学でやろうとしてたの。

 

独学でやろうとしていました。ただ、母はそうしてほしいと言ってたんですけど、まぁお話を聞くだけだったら行って損はないんじゃないってことで、「帰国子女・国際医療福祉医学部」で検索したら一会塾が出てきて、Nさんの記事を読みました。自分と近いなと思って。他に、帰国子女専門のところとかもあったんですけど。大手だったし、遠かったりしたので他には行きませんでした。

 

 

―じゃあ、最初にここに来て、ここに決めちゃったんだ。

 

はい、決めちゃったんです。

 

―理由は。

 

なんでしょう。佐藤(雄一郎さん)さんが人が良さそうに見えたこと。(笑)

 

数学科 佐藤雄一郎講師

 

―なるほど。(笑)

そして私の数学の力を押し上げてくださったのが、一ノ瀬先生。一瀬先生は、授業の範囲以外の私の苦手分野を考慮してくださって、目標設定と勉強のバランスについて絶えず意識するように教えてくれました。

 

一瀬講師とAさん

 

あと授業と授業外での数学の質問で小田先生にもとてもお世話になりました。小田先生には授業のたびに帰国子女レベルの出題予想プリントをたくさんいただいて。その問題を解いてわからないものを解説してもらうことの連続で強くなっていったと思います。

 

数学科 小田広喜講師

 

 

―生物はいかがでしたか?

 

生物科 熊谷講師 医学博士

 

生物の熊谷先生には本当に救われました。日本語と英語を両方使って教えてくださいました。日本語できついところは英語のプリントももらったり、ホワイトボードに英語を書いてくださったり、バイリンガルの熊谷先生が作ってくださった単語集を使って勉強することができて、ありがたかったです。熊谷先生の授業で生物が好きになりました。

 

―こういうのって縁だと思うんですよ。一期一会塾という名前でもありますが。巡り合わせというかタイミングってあるんですよね。

 

そうですね。出会いがすべてだと知りました。6か月で合格できたのは、一会塾で鍛えられたからだと思います。

 

―志望理由の宮下先生はいかがでしたか?

 

本当にお世話になりました。試験日の土砂降りの朝に、晴れやかな気持ちで受験に臨めたのは宮下先生の丁寧で情熱のある教えを受けたからです。(本番では)最初の質問から宮下先生との授業で何度も練習したものでした。圧迫や難問が来たら、これに必ず戻れというキーワードをもらっていたので、面接中はずっと宮下先生の声を思い出していました。

宮下先生から習ったこと、医師を目指すものがどのようにあるべきか、何を求められるのかなど自らを冷静にふりかえる経験を授業で積み重ねていきました。宮下先生の言葉は今も心に響いています。

 

宮下講師とAさん

 

一会塾のメディカル・ディベイトで熱弁を揮う宮下講師 各自の発言に対して厳しい指摘が・・・医大生(東北大 医学部など)も複数参加して、熱い議論が巻き起こされた。

 

メディベイト(メディカル・ディベイト)で発表するAさん 年2回ある、医大生とともに医療についてディスカッションするメディベイトは貴重な推薦入試の練習となる。

医大生から塾生の良いところ、改善すべきところがフィードバックされる。

 

 

 

 

―ここからは国際医療福祉大の帰国生特別選抜の対策についてお聞きします。帰国生枠は第1回と第2回とありますが、なぜ第1回から受けようと思ったのですか?入塾後、5か月足らずで試験が来るので、学科の仕上がりが大変かと思いますが・・・・

 

迷っていました。そうしたら佐藤雄一郎先生に、絶対に第1回からやりなさいって言われて。ネットからの出願で、私、初日に出願したんですけど、まだサイトがオープンしていなくて電話したら、今から開けますって。だから私、受験番号が1番だったんです。

 

―推薦で一番も、一般で一番もとても意味がありますよ。だって一番最初の人は、少なくとも印象に残りやすい。だんだん、面接官の人も、疲れてくるんでね()

 

―1次通過者は何名でしたか?

 

1次試験は29名受けていました。で、通過したのは5名でした。5名の方の顔は、はっきり覚えています。

 

―その中に、一会塾で対策された方が1名います※、しかも熊谷先生に対策していただきました。

※1名の方も見事に合格されています。

 

え?そうだったんですか?毎年、若干名しか合格できないので、とても緊張していました。

 

JASSOの留学生用の問題が、国際医療福祉大の帰国生選抜の対策として有名ですが、何年分くらい解きましたか?

 

過去問は12年分解きました。

実際の国際医療福祉大の試験とは、生物が全然違っていました。数学と化学は比較的近いと思います。日本の生物の問題だと、考察問題とかそういうのがあるけど、本番ではそういうのは、全くなかったですね。日本の試験だったら問われないだろうなっていうような豆知識がけっこう問われていました。熊谷先生は、直前になって帰国生の試験の問題を見て、予想問題集を作ってくださってそれを解いていました。実際のテストを予想しながら解くことができたので、それは本当に有難かったなと思います。

 

―一般入試では問われないような知識とはどのような問題でしたか?

 

顕微鏡の開発者の名前は次の8つ名前の内どれか。もう本当に知らないとわからないですよね、逆に。考えたってわからないような問題ばっかりなんですよ。

 

―知識系。クイズみたいだね。正解を1つに絞るのは大変だったと。やってても無駄だったような問題もあったかもしれないね。でもハッキリと出来た出来ないがわかりやすいですね。

 

はい。でまぁ生物は、自分が解いた感じでは5割ぐらいだったので、落ちたなーと思ったんですよ。

 

―化学もこんな調子で出たんですか。

 

化学はもうちょっとマシでした。計算だったり、一般的な問題も多かったと思います。7割ぐらいは出来たかなと思ってます。

 

―じゃあ留学生用の12年間分やった問題は役に立ちましたか?。全く同じ問題は出ないとしても。

 

はい、役に立ちました。それをやっていったことで、自分の自習時間にはもうほんとに基礎問だけをやるっていう習慣になったし、自信を持つというか、基礎問だけやってればいいんだなって思うことができたので、そこは楽でしたね。

 

 

ー数学の出来は。

 

本番が一番良かったと思うんですよ。それがほんとに良かったですね。

 

―良かったねー。

 

はい、本番の試験で、一瀬先生の数学Ⅲの授業で扱った問題が、本当にそっくりそのまま出題されて。数週間前にやった問題だったから、先生の解説を思い出しながら、解けました。

 

【的中した箇所】Aさんは、4回ずつ解きなおしている。レ点が解いた回数を示す。

 

 

―来たねー。”呼んでる”っていうんだよ、そういうの。大学が呼んでくれたんだね。努力した成果だね。努力した人にしかそういう運も回って来ないからね。

 

いえいえ、それは一瀬先生のおかげです。

あとは原田広幸先生の『メディカル小論文』でもお世話になりました。原田先生の紳士的な言葉使いとテーマに沿って展開される授業の奥行きや広さに目を見張ることも多かったです。先生は、日本語が難しくて悩んでいる私に、英語で言換えてくださったりして、私の日本語ー英語での医療系知識もサポートしてくださいました。

 

 

 

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★最後にA.Nさんによる受験回顧録をお届けします。

 

「入塾したころはまだレギュラー授業が始まっていなかったので、自習してわからない問題を質問することの繰り返しでした。小田先生には週に2回、数時間つきっきりで基礎を教えていただきました。勉強の順序や仕方を自分だけで決めないで、小田先生に相談できたことはとてもためになりました。化学や生物のわからない問題は大学生の方が丁寧に教えてくださってありがたかったです。

この頃は何をやっても理解に時間がかかり、先が見えない不安が大きかったですね。気分転換に赤本の英語の過去問を解いていました。 

 

4月に入って授業が始まると宿題や予習のための時間が増えましたが、ひたすら自習するよりもメリハリがありました。5月の模試で数学の偏差値は36。気を取り直して数学に割く時間を増やしました。とりあえず7月の摸試まで、数学に集中しようと決意して。塾に提出する計画表には毎日3科目欠かさず自習したと書いていましたが、実際には数学しか勉強してない日も多かったです。すみません。・・・5月の偏差値36を見てから焦りが大きくなりました。6月からJASSOの留学生試験の過去問を解き始めました。いつもだいたい数学は5割、理科は8割。12年分の過去問を解き終わったのは9月の試験1週間前。留学生試験の過去問は日本の参考書や問題集にのっている問題とは出題形式が異なるものがほとんどでした。

 

先生方のアドバイスにそって2か月勉強し、7月に恐怖の第2回全国摸試を受けました。この模試で数学の偏差値60が出ました。はじめて努力が報われたと感じました。ちょうどそのころ、突然低血糖で体調を崩したりしていました。低血糖で倒れるということはそれまでに何回も経験してきたため、(自分では)心配はなかったのですが、塾の皆さんにはご心配をおかけしたかと思います。プレッシャーでしょうか、その後2か月ほど体調不良が続き、授業を休んだり、家で勉強することが増えました。授業中に急にマラソンを走った後のような動悸と息切れを感じたり、家に帰っても眠れない夜が頻繁にありました。

 試験まで3週間をきった頃、佐藤雄一郎先生の励ましで、不思議と体調はもとに戻りました。半年を振り返ってみると佐藤雄一郎先生には何度も助けてもらいました。毎日3時間の通塾時間を勉強のラストスパートにあてたかったため、8月中旬からほとんどの授業を自宅からオンラインで受けるよう切り替えていただきました。試験までの最後の3週間をZOOMを利用して有意義に使えてよかったと思います。帰国子女専用の塾ではなかったので、正直ここまでしていただけると思ってはいませんでした・・・・」

 

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