石渡智帆さん
市ヶ尾高校
昭和大学 医療保健学部 看護学科 進学
-それでは、お名前と大学、学部、学科をお願いします。
石渡智帆です。昭和大学、医療保健学部看護学科4年です。
武蔵小杉校の自習室 現在はコロナ対策中です
―もう4年生なんですね。看護を希望する前段階からお聞きしたいんですが、まず小学校から高校まで、どのような教育環境で育っていらしたですか?
小学校は公立の子母口小学校で、中学校も公立で、そのあとは受験して神奈川県立市ヶ尾高校に進学しました。
―高校受験の勉強では私塾に通われましたか?
はい、湘南ゼミナールさんでした。湘ゼミが高校受験有名なの知っていたので自分で選びました。通っていた校舎ではちょうど私が一期生で。学年で15人くらいの規模でした。
―中2の最初から通ったの。
いや、中3ですかね。
―中学校の頃はあんまり受験意識しない方だった。
はい、ずっと水泳やってたので。
―そうでした、水泳ですよね!早いんですよね。
そうですね、一応、全国とかまで…水泳自体は0歳から、ベビーコースみたいな感じで始めたので。選手コースに小学校1年生から入って、中学校3年生まで、15歳までやってました。
―結構本格的なんだね。高校入ってからもやっていたの。
やってないです。ずっと週8回とか9回とか練習していたので…普通の高校生になりたかった(笑) 。
―じゃあ、水泳一筋でやってたんだけども、受験勉強を並走させて…。えらいですね、志望校の選び方はどんな風でしたか?
選び方は…、高校も大学も、インスピレーションと言いますか(笑)、ビビっときた感じです。
初めて市ヶ尾高校を知ったとき、パンフレットとかかな、すごくいいなと思って。
―市ヶ尾高校って、智帆さんのご自宅からそんなに近いわけじゃないじゃないのに?
たまたま友達に「一緒に説明会行かない?」って言われて、それで知って、すごくいいなって思って、行ってもう、絶対ここだって思って(笑) 校舎はきれいじゃないですし、遠いし(笑)、だったんですけど、学校の雰囲気がすごく私に合ってるなというか、文化祭とか、体育祭とかすごく楽しそうなのが決め手でした。
―たとえば武蔵小杉には、橘高校とかが近くにあるじゃないですか。それはご検討されなかったんですか?
はい、でも私は毎回、自分の新たな環境に行きたいっていう思いが結構強くて、あんまり友達がいない…、また別のコミュニティというか…、で、新しく友達作りたいっていうのがあったので。もともと川崎の高校より、横浜の高校の方が興味ありました。
―なるほど、納得しました(笑)
―新たなコミュニティで新たな事を、ということでね。高校では、水泳の代わりに何かなさったんですか。
高校では、生徒会関係の仕事というか…、市ヶ尾高校は部活以外にも、委員会がとても活発でした。生徒が主体的に行事を全て、書類作るところから生徒がやるっていう高校だったので。その生徒会と、体育祭の実行委員長とかをやっていました。
―えー、市ヶ尾高校は1学年10クラスあって、30クラスもあったの。マンモス校だね。
はい、そうですね。1200人いたのかな。学年400人で。
―それで、一会塾に高1から来た。なんで高校受験は中3からやったのに、大学受験は高1からやろうと思ったの。
んー、1つは、部活はやっていなかったので。まあ、委員会があると言っても、夏が一番忙しかったんですけど、それ以外の期間はそんなに忙しくなかったのと、後は…。一会塾のビラをたまたま、もらっていいなって思って…。自習室も、アットホームな雰囲気がすごくいいなって思ったので、もう、一年生からここに通っちゃおっていう感じで。
合格の瞬間の写真、担当スタッフも智帆さんも思わず涙
―じゃあ、看護に進路を決めて行った話をしたいんですけど、どの辺からですか、思い始めたのは。
小学生ですかね。
―ああ、そんな早いんですね。何かご家族の病気とか、きっかけがあるんですか。
はい、そうですね。母が卵巣がんで、私が小学校1年生からずっと闘病していて、5年生の時に亡くなったのがきっかけで。その時から、看護ってはっきり決めていたかは覚えていないんですけど、もう絶対自分は医療系に行くっていうのは、ずっと思ってました。
―そうなんですね、何歳で亡くなられたんですか。
46です。
―・・・・・・・お若いですね。じゃあ、その時はもう、つらかったね。
そうですね…。でも、結構まあ、家族が仲いいので、父と妹、3人で元気に仲良くっていう感じですかね(笑)
―そっかそっか。で、病院の働く人とか見たりとかして、影響を受けたんだ。
はい、すごく病院はもう、ずっと行ってたので。一人ででも通ってて、小学生の時。とっても身近な存在でした。
―それで、医療系は決めていて。徐々に看護になっていった経緯は何かありますか。
んー、それは何となく、看護しかないかな、さすがにちょっと医者は(笑)って感じでしたね。
―一会塾の授業は、高1は英語だけとか。
英語と数学だけです。高2も同じ感じで、たぶん最後高3で、化学を取ったと思います。
―で、推薦を受けようって話になって、高橋優子先生の進路発見講座とか、高2くらいに受けたりしたんでしたっけ。
はい、受けました。そうですね、進路発見講座。自分を発見するみたいな。
進路発見講座の様子。将来について、どんな職業があるのか?興味・関心を引き出し、アクティブラーニングでプレゼンも行う。
(智帆さんは真ん中の白いTシャツ)
―それで、紙にかいたりして、人前で発表したりして…。何か思い出はありますか。
そうですね。それまで(この講座を受けるまで)は、塾に同い年の女の子とか男の子とか居るのは分かってて、顔は合わせるし、高校も大体知ってたんですけど、仲は「そんなに…。」って感じだったんです。でも、この講座を私の学年みんなで受けて、そこで結構、自分の話とかをみんなにする中で、「あ、こういう子なんだ」とか「それで薬学部目指してるんだ」とか分かって、ちょっとなんか勝手に親近感沸いたというか。
―なるほど、それはとても刺激になっていいことでしたね。受験に向かう手前で、少しみんなのパーソナルヒストリーを知って、距離が近づいたね。
そうですね。たしか、同じようにご家族が病気されてる方もいたりして。それでちょっとなんか、近づいた感じが(笑)
―そんなことをね、みんなしゃべりあったわけだね。ありのままのことを・・・。高橋優子先生も熱く情熱的な先生だからとても深い話ができたんだろうね、実際はどんな雰囲気だったの。
まあ、最初はすごく言いづらかったんですよね、私も。でも、それで話すことによって、人に昔のことを話す練習にもなったし、もちろん面接試験とかでも自分のことを話す場面があるわけで・・・人に話すことに抵抗がなくなって、なんだろ、全然勉強からかけ離れている授業だけど、勉強のモチベーションが上がりましたね。「やっぱりここの大学行きたい」とか「やっぱり看護師になろう」って思えました。話すことって大事だなと思いました。
―なるほど。分かってても言葉に出すことで、確認されるもんね。そういう効果はあるよね、確かに。
それでちょっと自習がんばっちゃお!みたいな(笑)
―そして、高3の時は一生懸命勉強しましたか?
毎日学校行ってから、夜に一会塾行ってましたね。
―じゃあ、大学を選ぶ過程ってどういう感じでしたか?
最初、看護学部のある大学をバーっと資料請求してっていうところからだったんですけど、今通っている昭和大学は、一年生が全寮制なので、真っ先に選択肢から外してたんですよね。寮はやだって(笑)。
―そうなんだね。
外してたんですけど、高1から仲良かった同じ看護志望の高校の友達が、昭和を受けるっていう話をしてて。「え、昭和、寮じゃん!」っていう話をしたら、その子が昭和の魅力をすごい私に話してきたんですよ。すごく楽しそうで、友達もたくさん出来るし、寮も4年間だけじゃなくて、1年間だけで、色んな学べることがあるらしいっていう。その話を聞いてちょっと興味が出て、「確かに面白そう」と思って(笑)。で、実際に見に行って、「あ、寮いい!」って(笑)
昭和大学 富士吉田キャンパス近くの寮から見える富士山。昭和大学では、チーム医療を推進しており、原則として、医学部・歯学部・薬学部・看護学部から1人ずつ合計4名のメンバーで1年間をともに暮らす。
―単純だね(笑)
そうなんです、すごい単純でコロッと変わって。「あ、やっぱり、ここにしよう」って。オープンキャンパスにも行って色々聞きました。富士吉田の寮も見に行きました。
寮は全部で4つある。智帆さんはゆり寮で1年間を過ごした
―あ、そういう機会があったの。自分で勝手に見に行ったわけじゃなくて、セッティングされてた。
はい、セッティングされてて、寮を大学生が案内してくれるっていうイベントがあって。夏休みに。
―高3の夏。
はい、高3の夏。で、そこに行って確定したって感じです。
―その友達は最終的には…。
その子は指定校推薦で受かって、今も一緒に授業受けてます。
―あー、そうなんだ、泣けるじゃない(笑)。
あはは、そうなんです(笑)。4年間、授業、毎日毎日、一緒に受けてます(笑)。
―それはもう、一生の友達になるわけだね(笑)
そうですね(笑)
―その子以外に、市ヶ尾高校から昭和の看護にいった子はいないの。
はい、いないです。看護自体は、志望者はそれなりにいたと思います。一般でも推薦でも、他にも受けてる子は何人も聞いたので。でも、受かったのは私とその子の2人だけでした。
合格報告の瞬間、高橋優子先生もかけつけてくれた
―そうなの!学校の中じゃきっと英雄じゃない(笑)。そのお友達は指定校でいったから、学校の成績は良かったと。ちほさんは。
私は学校の成績が良くなかったので(笑)。指定校も出したんですよ。でも、その子が取ることも分かってたので、じゃあ、「私は公募を受けよう」と思って、公募を受けました。
―公募をいくつか併願したことはなかった。
ないです。昭和だけです。
―やろうと思えば出来た。あんまり考えなかった。
考えなかったですね。昭和が第1志望だったので、昭和の受験で、1つ目、2つ目、3つ目って受けていこうと思って。
―1期、2期・・・・と昭和はありましたね。
そうですね。最初公募があって、あと一般の1期、2期とセンターも。全部昭和を受けきる気で公募は出しました。
―じゃあ、公募のためにやったこと、覚えています。
公募推薦でも、英語、数学、理科の試験があったので、まずその基礎勉強を集中的にやりました。あと、プラス面接と小論文もあったので、面接対策は高橋優子先生に、もの凄くやって頂いて。小論文も自分で本を選んで、ずっとその本を読んでいて、そしたら、その本に出ているお題が、本番出たんですよ(笑)。
―その本はどういう経緯で読む事になったの。
えっと、たまたま学校の図書館で見つけました。題名は覚えてないんですけど、内容は老老介護についてです。
―あー、老老介護についての本を読んでたんだ。
本は医療系大学の小論文対策っていうもので、よく出やすいお題とそれに対する小論文の解答があるような本でした。その中のお題が出て、そのページをすごく読んでたので、めっちゃ書けました(笑)
―書けたと。良かった。持ってるね(笑)。
―試験は、英語と数学と化学でしたね?
はい、40分、40分、40分みたいな。中身はほんとに基礎で。英語も基礎的なもので、数学もⅠAのみ、生物化学も基礎のみでどっちか選択。
令和3年(2021年) 昭和大学の推薦入試の問題冊子(3科目を140分で解く)
―相性ぴったりじゃん! じゃあ、テストはそれなりに出来た。
数学は、出来た(笑)。英語と化学は…(苦笑)。
―どうして受かったのか思い出せますか?小論がすごく良くできたのかな(笑)。
そうですね、小論と数学で受かったって当時は思ってました(笑)。
―あと面接か。面接は5分とか10分かな。
はい、10分で簡易的な仕切りのスペースで。
―そうだよね。寮生活大丈夫ですか、だよね。
そうですね。寮生活はやっぱり…。あと人間関係のこととか、聞かれた気がします。
―そうだよね、やっぱり入ってからも思うでしょ、寮のことを大丈夫かどうか確かめたいんだよね。
そうですね、結構辞めちゃう子多いので…。
―辞めちゃう子が多いっていうのは、身近にそういう経験がありましたか。
たしか、ゴールデンウイークで一回自宅に帰るんですけど、休みが終わっても「あれ、帰ってこない。」みたいな人が、学年で5人くらいいた気が…。でも、まあ、最初で辞めたら、後からはそんなに…、そこが一番多かった気がします。
―ところで最近は看護婦、とは言わなくなりましたね。看護師と言ったりしますが、女子の中で男子の看護師さん、途中でやめたりすることもあるって聞きましたが・・・・
それはあると思います。はい。最初は10人で、今は6人ですね。
―1年次は富士吉田の全寮制で、2年次からはどちらですか。
2年次からは、(長津田にある)横浜キャンパスです。
―えー、長津田駅から徒歩どれくらい。
徒歩35分…くらい。普段はバスです。
―ルートとしては、何駅からバスとかってあるの
えっと、長津田駅からしかバスが出てないので、長津田駅からバスか…、でもそれも結構本数が少なかったり、ちょっと乗れないときがあるんですよね。そういうときは、青葉台から、お金かかっちゃうんですけど、市営のバスだと、朝だと10分に一本絶対出てるので、それも私は結構使ってましたね。バスだったら15分もかかんないです。
―学科生が411人って書いてあって、だいたい1学年が100人から110人っていう感じ。
はい、そうですね。
―で、まあ、国家試験の合格率はこのデータでは100%って書いてありますが・・・
はい、去年と一昨年は100%と先輩から聞いてます。
ーすみません。医療系大学あるある、で寮生活のことについて、もう少し聞いても良いですか?寮生活を乗り切るコツというものとか・・・トラブルあった際の対処法とか?
はい、幸いなことに、私の部屋はたいしたトラブルはなかったです。私は部屋のメンバーにも、いろんなメンバーにも常に恵まれていたので…。
―取っ組み合いの喧嘩とか!なかったんですか。
私はなかったんですけど、周りでは結構ありましたね(笑) もうほんとに、女の子のいざこざというか、やっぱり合う子合わない子がいるので…、それでよく「部屋出」っていう言葉が使われてて、「家出」じゃなくて「部屋出」(笑)。
―部屋出(笑)。どこに行くの。
友達の部屋に居候しに行くんです(笑)。
それもそれで迷惑だから、そこでまたいざこざが起きたり(笑)。
―そういうことも、まあ、ちょくちょくある中で、でもそれも、勉強のうちですもんね。
はい、ほんとに勉強だし、でも楽しかったですね、私は。あっという間でした、1年間。
―その時の部屋の所属メンバーの学科は何でしたか。
はい、医学部1人、薬学部2人、看護学科私の、4人です。偶然で、だいたい、医学部が1人だったし、歯学部が1人だったり。あと薬学部がだいたい2人…、で、あと看護か理学・作業が1人か2人…。
―学科によって勉強内容が違う訳だけど、まあ、それによって勉強量とかに差があって、寝る時間が違うとかってありますか。
最初はあると思ってたんですけど、そんなことなくて、みんなで同じくらい勉強してました(笑)。
―1年生だと、一般教養が一緒だったり…。
そうですね、はい。割と同じでした。全員で受ける英語のテストがあったりとか、全員で受ける教養、社会系の教養があったりしたので、みんなで同じ授業受けたりとか…。あとはやっぱり、教え合いがすごかったですね。
武蔵小杉校 1F 受付
―あー、いいね。
それはすごく良かったと思います。生物、物理、と、あと統計系、数学系の授業も各学部でちょっとずつ内容とか重さは違うんですけど、あったので、やっぱりみんな医学部の子に聞きに行ったりとか(笑)。部屋内で教えあったりもしたいし、その寮のフロアで何階って、それでみんな仲良くなるんですけど、その中の看護だけが集まって、リビングフロアで勉強したりとか、薬学部だけで集まって勉強したりとかしてましたね。
―そうなんでね。その部屋の子たちとは、今も仲が割といい方ですか。
はい、私は、1人の子は仲良くて、もうしょっちゅう遊んでて、でも4人でも毎月…、部屋が603号室だったんですけど、毎年6月3日にご飯食べてます(笑)。
―まじですか(笑)。6月3日に会おうって誰が提案したの。
はい!私が(笑)。部屋長だったんで。
―さすが(笑)。部屋長だったんだ。
部屋長とかフロア長とかもやってました。
―貢献しましたね(笑)。そしたら、就職の話なんだけど、だいたい看護の人は3年生の終わり、4年生で始まる。
3年生の終わりくらいから、就活はじめます。
―ほとんどの人が昭和の付属病院に行くんだよね。
はい、去年で言うと、8割以上が昭和大学の付属病院に就職です。
―それは選び放題なの。
えっと、一応自分の希望の病院が選べて、だいたいはそこに決まってます。選び方はみんな意外とバラバラなんですけど、みんなそれぞれ家からの近さだったり、自分が行った病棟をすごい気にいったりして決めています。
―あ、実習で行ったところね。
はい、すごい実習でお世話になるので、そこにそのまま就職の人はすごい多いですね。
―実習の期間はいつから、何年のいつからどれくらいやるんですか。
えっと、メインは3年生の8月から、3年生の1月、冬休みがちょっとあって1月までですね。半年くらい、ほんとだったらほぼ毎日。あ、でも、2週間行って、1週間休みのが9クールとか。
―ということは、もう戦力として期待されるってことだね。
そうですね、完全にすぐに働けるように。4年生の実習になると1ヶ月間まるまる、ある病棟に行くんですけど、もうそこでは、看護師さんの固定チームナーシング制っていうのを昭和大学はやっています。そこのAチーム、Bチーム、Cチームに完全に学生が入って、同じシフト、同じ日勤、夜勤もやって、もう完全に1ヶ月間働くみたいな実習がありまして。そこでもう、そこに就職する子とか、もう病棟全部の事がそこで分かるので。
―へえ、リアルな実習が行われてるってことだね。
とってもリアルですね、夜勤中のナースステーションの会話とか(笑)。すごくリアルで。面白いです。
―はいはい、楽しそうですね、ごめんなさい、不謹慎で。なんか話で問題とか出てきますか?
いやー、問題はないですけど(笑) やっぱその色々病棟の事を話していたりとか。
―まあね、色んな患者さんいるだろうからね。
そうですね(笑)
―苦手な事とかあるんですか。注射とか。
苦手なこと…、特にだいたい大丈夫です。どれも面白そーと思って見学してました(笑)。
―看護を学ぶことによって、自分が健康に気を付けたりとか、こういうことはしない方がいいんだなとかって、どんどん知識増えていきましたか。
そうですね、勉強中なんですけど、やっぱり健康って一番大事だなっていうのを、身をもって実感するというか、私は大学生活中に今回コロナウイルスっていうのが起きて、全員が、生活が一変したじゃないですか。今まで学校に当たり前のように行けて、当たり前のようにバイトして、友達と会ってたのが、一切一時期できなくなっちゃって。それを、置き換えるっていうか、病気になってしまったり、何かを宣告されてしまった人も全く同じで、一気に生活が変わって、もう全てが出来なくなっちゃう、やりたいことが出来なくなっちゃうっていうのが、ちょっと自分も完全にではないけど、そういう体験を…。みんながしたと思うんですけど、患者さんってこういう感じなんだなっていうのを思ったりとか…、しました。
―すばらしい感じ方だね、それは智帆さんが医療の世界にしっかり入っているからこそ、そして現場でリアルに勉強しているからこそ感じられたことですね。
患者さんが診断結果を伝えられた時とか、「こういう風にどんどん生活が変わっていくんだな」って思いましたね。
―なるほどね。自分の高校の後輩とかに向けて、高校生活のアドバイスをするとすれば、振り返って何がお言葉をいただけますか?
高校生活だと、まあやっぱり、自分のやりたいことを見つけるって高校生だとほとんどの人が難しいっていうか…。大学4年間かけても今まだやっぱり就職活動して何の仕事すればいいか分からないっていう人が多い中で、でも医療系って高校3年生までに自分の職業まで決めなければいけない世界なので…。やっぱり途中で辞めちゃう人も多いんですよね、大学に入ってもそういうことが実際に起きています。なので医療系を受けたいていう気持ちが「親に言われて」とか「先生に言われて」とか「将来が安定だから」っていう理由とかじゃなくて…、まあ最初はそれがきっかけでももちろん全然いいと思うんですけど、何か自分で興味があることとか、やりがいとかを探せるような機会のところに自分から行ってみたりとかするのが、高校生の時にしかできないと思うので、そういうことをするのがすごい大事かなって思います。たぶん行くと分かるんです(笑)。行かないと分かんないんですよね、ほんとに。
―とても貴重で具体的なアドバイスありがとうございます。看護だけじゃなくて医療系の大学全般に言えることですね。
ほんとに辞めちゃうんですよね。医は少ないんですけど、薬が一番多くて…。ほんと親に言われて入ったけど、やっぱりテストがすっごい大変なので、自分の何かがないと、頑張れないんですよねそこまで。大学生ってやっぱり他にも誘惑があるし、でも、それでせっかく2年間とか3年間お金も払って勉強もしてるのに、「辞めちゃうのはすごいもったいないな」って私は思ってて…。でも、それを選ぶ機会(時期)は高校生なので…。
―薬学部は人数も多いから数に埋もれてしまうということがありますかね?
そうですね、1番そうですね。人数も一番多くて、230…、240人います。でも、やっぱり行けば、なんだろその体験とかの機会ってあると思うんですよ、自分で探せば。で、行かないとほんとに分かんないし、行ったり体験すれば分かると思うんですよね、自分が興味あるかとか合うか合わないかって。だからなんか、ぜひその機会があるなら自分で…、自分からつかみに行くというか、行ってほしいなって思います。
ー今日は、本当に貴重なお話をいただき、ありがとうございました!しっかり塾生たちに伝えていきたいと思います。
こちらこそ、ありがとうございました。私にできることは何でもしますので、またお声かけしてください。
次はあなたの番です!