合格体験記(現役) 医学部編 横市/順天堂 山本さん

合格体験記 横浜市立大/順天堂(医)へ 山本あかりさん(洗足学園卒)

 

“中学受験も大学受験も、人とはちょっと違う選択をした山本あかりさん。医者になりたい強い気持ちで積極的に一会塾を活用して見事現役合格。センターの当日は、あごが外れるアクシデント発生。台湾留学も果たし、充実した山本先輩の発言には合格のヒントがあちこちに散りばめられています”

【山本さん 合格大学】

横浜市立大学 医学部 

国際医療福祉大 医学部(特待生)

国際医療福祉大 医学部(センター利用方式)

順天堂大 医学部(A方式)※山本さんはB方式で合格

順天堂大 医学部(センター利用方式)

昭和大学 医学部(特待生)

昭和大学 医学部(センター利用)

東邦大学 医学部

山本さんが横浜市立大学(医)を選ばなかった理由が、医歯薬進学2月号(2020年1月12日発売)で記事になりました。ご希望の方には記事を郵送させていただきます。

(医歯薬進学では14名の先輩は取材を受けました)

 

(尾関) よろしくお願いします。大学2年目ですね。

(山本) 1年のときは、やっぱり忙しいです。

 

(尾関) 何が忙しい。

 

(山本) 医学の方の勉強が。あと、剣道部に入っているんですけど、1年のときは土曜日だけの練習で。男子は火曜日、木曜日も練習をやっていたんですけど、女子はそんなに。本郷キャンパスに行くようになって、火曜日、木曜日、土曜日週3練習が入るようになって、体力的に大変でした、1学期は。あとは7月の後半から研究室に入っていて、実験とかはまだしていないんですけど、熱帯医学・寄生虫病学講座というものに入っていて、レポート課題を出されて、その研究室って一応マラリアが強くて、マラリアのことは全然何も分からないんですけど、夏休み中にそのレポートを書き上げて提出してねと言われて、でも夏休み中は部活の合宿と、あとは帰省とか、台湾に留学と、あとそのリポートに追われている感じでした。

 

(尾関) 大変、楽しい、どんな感じ。

 

(山本) 大変ですけど、楽しいです。

 

(尾関) ちなみに1年生のときは、教養だけ。

 

(山本) 酒々井にいる間は、12月とか1月までは教養で、キャンパスがお茶の水に移ってからは、哲学とか医療プロフェッショナリズムとか、医療系の講座に、だんだん傾いていく感じ。

 

(尾関) 1月からなんだよね。2年で戻ってくるのは。すごい中途半端じゃない、早いよね。

 

(山本) 冬休みの間に荷物を運んだりとか、区切りとしては春からです。

 

(尾関) 実質いたのは4月~12月の9カ月。

 

(山本) そのくらいですね。

(尾関) 酒々井はどんな感じなの。

 

(山本) 悪口になるんですけど()、まず不便なんですよ、そもそも。千葉県の結構田舎のところなので、最寄りの京成酒々井駅がキャンパスまで歩いたら30分ぐらいで、バスも1時間に2本来るかなみたいな、バスも不便なんですよね。交通の便が悪いというのと、そのせいもあって食料の調達が大変で。あとは寮生活でみんな同じ狭いスペースにいるので、病気がはやりやすいんです。

 

(尾関) 本当に?

 

(山本) 酒々井病ってみんな言っているんですけど、風邪がはやるって。

 

(尾関) 何であんなところって言っちゃうとあれだけど。キャンパスはしょうがない。

 

(山本) でもあそこはスポーツ健康科学部という人たちと同じ寮にいるので、頑健な肉体の、我々ガリ勉とはまた違った方向のストイックな方々と一緒に生活できたのは、結構いい経験になりました。

 

(尾関) 一会塾の塾生で、順天堂スポーツに行った子が。

 

(山本) どんな子でしたか。

 

(尾関) ストイックで、結構サッカーのキーパーで、いいところまでいったんだけど。いろいろ言っていたの、服が売っていないとか。

いよいよ、本題ね。じゃあ、順番に小学校のときからさかのぼっていきたいんですけど、受験を意識したのは、どのくらいからですか。

 

(山本) 小4とかで、受験を意識したというか、まず日能研に入りました、小4ぐらいに。

(尾関) 小4だとお母さんに連れられてという感じですか?

 

(山本) 自分から何か言った記憶はないですけど、親は私が行きたいと言ったというんですけど、私はそんな記憶がないので。たぶん頭が空っぽの状態で何となく塾に行って、でも日能研がちょっと肌に合わなくてSAPIXに行って、そのあとは6年生までずっとSAPIXに行っていたという感じです。

 

(尾関) 医者になりたいとか、医学部に行きたいということは、もう考えていたの。

 

(山本) 漠然とドラマとかで手術を、見ていて、それがきっかけで、お医者さんってかっこいいなと思うようになって。まだ明確になろうとは思っていなかったんですけど、でも漠然とした憧れはあったので。

 

(尾関) 山本さんはすごく変わった子だったって誰からか聞いたかも、お母さんじゃないな。昔からお人形が解剖できるお人形で、それで遊んでいたというふうに。

 

(山本) ちょっと気持ち悪い子って感じですけどね()

 

(尾関) 医学部は小2ぐらいからちょっと意識をし始めたようだけけど、明確に医学部に行こうとか医者になりたいというのは?

 

(山本) それは高1とか高2のときに祖父が亡くなって。ありがちではあるんですけど、自分は何もできなかったし、祖父が苦しまずに亡くなったとは思えないみたいな。患者さんを健康な状態に近づけることはやって、その人の苦痛を軽くしたり、生きるのが楽になるというのが医者なんじゃないかみたいなことを思って、医学部を目指すようになりました。あと、普通に医学って楽しそうだなって思いました。

 

(尾関) まだ小学校のときは、そういうことは、ふわっと思っていたんですね。

 

(山本) はい、ふわっとは。

 

(尾関) それで小4からとかではなく。

 

(山本) 小4からは絶対医者になんて、考えていなかったです。

 

(尾関) 小学校のときの塾はちょっと楽しかったりしたの?

 

(山本) 日能研と比べてSAPIXの方が、競争は激しかった気がします。成績によって結構クラスが細かく分かれるじゃないですか、SAPIXって。それでクラスのアップダウンが激しくて、SAPIXの方が刺激になったんじゃないでしょうか。

 

(尾関) それで、受験はどこを目指していたの。

 

(山本) 小学生のときってわりと自分の意思がそんなになかったなと思って、でもいくつか学校を回って、それで洗足は英語のプログラムが、帰国生と一般生と分かれる。フェリスも候補の1つだったんですけど、ABCから英語を習うのはちょっと忘れちゃいそうで怖いなと思って、洗足が第1志望でした。

 

(尾関) もともと洗足が第1。

 

(山本) だったと思います。

 

(尾関) 周りは、えっ、みたいな。

 

(山本) SAPIXの先生のところに菓子折りを持って、受験が終わりました、今までありがとうございましたというあいさつのときに、じゃあ、フェリスに行くのって言われて、いや、洗足に行きますと言ったら、ちょっとびっくりされたなって。

 

(尾関) そういえば、山本さんは横市(医)も受かって、横市は違う気がするって、順天堂(医)を選んでいたね。

 

(山本) でも、それでよかったと思います。

 

(尾関) そうだよね。

 

(山本) 洗足の英語のおかげで、大学受験も楽にできたので。

 

(尾関) そうだよね。ちなみに一応帰国。一応というのは、そういうふうに聞いたので、いつまでどこにいたの。

 

(山本) 4歳から6歳まで、アメリカに住んでいました。

 

(尾関) このときの影響ってあるよね。

 

(山本) 絶対あると思います。

 

(尾関) どんな感じ。

 

(山本) たぶん4歳から6歳って言葉が結構発達するのに、いい時期なんじゃないかなと思って。現地の学校に普通に通わされていたので、英語を習わざるを得ないみたいな。

 

(尾関) これはどういう感覚なんだろう。4歳ぐらいだと日本語も、ひょっとしたらままならないというか。

 

(山本) そうです。

 

(尾関) それで英語という、逆に困ったとか、あまり記憶にない。

 

(山本) 日本に帰ってから日本語がちょっと分からなくて、ちょっと混乱していた時期があったような気がします。

 

(尾関) 小学校1年生で帰ってきたということ。

 

(山本) 小学校1年生の夏ぐらいに、今井小学校に入りました。

 

(尾関) 小1の夏ね。

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(山本) 夏休み明けですかね。

 

(尾関) 9月とか、時期的にそうだね。

 

(山本) あと、中学受験で洗足を候補にした理由の1つが、たぶん帰国生入試で入ったんですよ、そのときは。ほかの中学は帰国生枠が何歳まで、何年以上、こういう国に住んでいないと帰国子女として認めないみたいな感じで、洗足は4歳から6歳まで2年間しかアメリカに住んでいないみたいな人も、わりとゆるく受け入れてくれたので、英語がしゃべれれば何年とかは別に関係なかった感じでした。

 

(尾関) それがちょっと有利だったのかな、洗足は。

 

(山本) 有利だったと思います。洗足の帰国生入試は、算数のテストと国語のテストと、理社はあったか分からないんですけど、英語は英語のテストと、英語で面接もあったと思います。英語のテストも一般生入試と帰国生入試というのがまずあって、帰国生入試はA方式とB方式が。

 

(尾関) 中学受験で、何が大変だったとか。

 

(山本) 算数ができなかったのが大変でした。

 

(尾関) 苦手だった?

 

(山本) たぶん苦手だったと。数学も苦手ですよ、私。

 

(尾関) 得意というふうには思っていなかったの?

 

(山本) 思っていなかったです。中学入試の模試みたいな、よく分かっていないんですけど、どこかのタイミングであったテストで、算数が100点中3点とか、そういうので母にあきれられたような気が。

 

(尾関) それで中学に入りました。どんな中学生でしたか。

 

(山本) おとなしめの、勉強はテスト前にだけやって、そんな真剣にはやっていないです。テストで6割とか8割取れればいいかなって。

 

(尾関) 中1・中2あたり。部活動はやっていたの。

 

(山本) 文芸同好会というところに入っていました。文芸部。

 

(尾関) 文化祭のときに何か作るって言っていたね。でも、直前にすごい大変って言っていたじゃない。何かを作らなきゃいけない。

 

(山本) 確かにそうですね。印刷所に学生3人で行って、こうこう、こういうふうな冊子をお願いしますって、値段の交渉とか結構大変だった。

 

(尾関) どこに行ったの。

 

(山本) ねこのしっぽって知っていますか。

 

(尾関) 知ってる。

 

(山本) そこに直接行って、このくらいのサイズで、このくらいの紙で。

 

(尾関) それは代々先輩から、ここでやっているよというのがあって。

 

(山本) 文芸部は、そういう事務的な関係の仕事とか、出版サービスの人と話したりするのが高校2年生の仕事なので、中学のときは本当に気楽に、本当にしゃべっているだけ。

 

(尾関) 学校の勉強はどのくらいやってましたか?

 

(山本) 国語と生物と英語は結構できて、ほかは普通で、数学はそれ以下みたいな。

 

(尾関) あれって順位とか出るの。

(山本) それは覚えていないです。真ん中とか、真ん中より上ぐらい。ひどい成績ではなかったです。中学のときは本当に何も考えずに、ふらふらしていた気がします。

 

(尾関) ちょっと意識が変わったのって、どれぐらい。

 

(山本) やっぱり高校に入ってから、洗足って結構大学受験を意識した感じのオリエンテーションがよくあるんですね、先生の。ボランティアとかをしたければ、大学の入試のときに履歴書っぽいやつに書きやすいとか、英検とかTOEFLを受けて自己アピールがいざ必要になったらできるでしょうって。そういう感じの学校だったので、高校に入ったら大学受験が迫っているということを、先生たちから結構ぐいぐい言われるんですよ。

 

(尾関) じゃあ、そういうのを見せられると、そろそろかなって。

 

(山本) ちょっとは真剣に勉強しますね。

 

(尾関) それで一会塾に来たんだね。

 

(山本) そうです。

 

(尾関) 高1のいつだっけ。

 

(山本) 夏とかそのぐらいだったと思います。一会塾を見つけたのは確か母か父か。

 

(尾関) それはどんなふうに見つけたの。ネットとかで見つけたのかな。

 

(山本) ネットかチラシか、ちょっと分からないです。

 

(尾関) それはどんなふうに。こういうところがあるので、行ってみないって。

 

(山本) そんな感じです。まず父と母が一会塾に相談に来て、その後私を連れてきて。そのとき確か父と母は、最初に私なしでここに来たときに、尾関先生と話をして。

 

(尾関) 何で一会塾にしたの。

 

(山本) まず武蔵小杉って最寄りなので、家から近くのは結構大きいメリットで。あと、医学部に入ろうかなって思い始めていたのが、その時期だったので。医学部予備校っていいな、と思いました。

 

(尾関) 最初に受講したのは。

 

(山本) 数学か化学か。

 

(尾関) 高2のときは、一会塾は化学だけじゃなかったかな。医学部合格で有名な大手予備校に行ってみようと思うんですって言ってたね?

 

(山本) そこは化学のために行ったんですよ。

 

(尾関) そこは、無料だったの?

 

(山本) はい。そのときは化学をただで受けようと思って模試で。数学は、たぶん一会塾1本だったと思います。数学は一会塾、化学は大手予備校。でも結局化学は一会塾の川原先生のところに戻ってきたんですよね。

(尾関) そうだったよね。

 

(山本) 分からなかったといえば、分からなかったです。講義資料もすごい詰め詰めで書いてあって、周りみんな寝ているし、窓がないしみたいな感じでした。

 

(尾関) 校舎はどこなの。

 

(山本) 校舎は自由が丘でした。

 

(尾関) それで2年が過ぎ、高3になったら大手を辞め、一会塾では?

 

(山本) 川原先生だと思う。あと、仲野先生ですね、数Ⅲ。

(尾関) どうでしたか、記憶的に。

 

(山本) お2人とも話は面白いんですけど、でもやるときはやる。仲野先生の方は特に予習・復習が欠かせないみたいな。化学もそうですけど、とにかく数学が苦手だったので、苦しかったです。

 

(尾関) 特に仲野先生が、講師室ではにこにこしているんだけど、生徒との話を聞くと、にこにこしながら、すごいぐさぐさ刺されるんだよね。

 

(山本) 確か何かの公式を解ききれていなかった学生に対して、お前のことを今、珍獣みたいな感じで見ていたけどって、笑いながら言っているんですけど、ちょっとぐさっとくるみたいな。でも、面白い人でした。

 

(尾関) 受験は結果として、1校だめだったぐらいじゃなかったかな。

 

(山本) 慈恵と日医がだめでした。数学が本当に難しくて、化学も難しくて。

 

(尾関) 受験をちょっと分析すると、どんな受験でしたか。

 

(山本) 英語は、できているじゃないですか。なので、理科をできるだけ化学を上げつつ、数学は足を引っ張らない程度にはしたいみたいな勉強になっていました。

 

(尾関) ではやはり、順天堂と横浜市立大にうかって、でも順天堂を選んだ。決め手はなんだったの?

 

(山本) 迷ったと言えば迷いました。私の家は医者の家計ではなかったので知り合いのお医者さんやっている人がいて、その人に相談したんですよ。順天堂と横市、入るとしたらどっちが後々有利になるかみたいなこと。将来的に。その方の話によると、横市の方が公立だし、順天は私立。なので、お金持ちが集まる。でも横市はそうじゃないから、いろいろな家庭環境の人と会えるし、人生観もちょっと豊かになるかもしれないけど、やっぱり順天の方が歴史もある私立だし、医学界では結構力を入れているから、順天出身だって言った方が強みじゃないかみたいな。ああ、そうなんだって。でもやっぱり大学は高校と中学もそうだと思いますけど、入ってみないと分からないから。今の話は卒業して何十年もたっていないと分からないと思います。でも後悔はしていないです。

 

(尾関) もともと山本さん自身の順天は、すごく好きなの。

 

(山本) 都市部にあるし、横市よりはちょっときらきらした学生生活を送れるんじゃないかって思っています()

 

(尾関) 横市、ちょっと場所的なこともsるね。

 

(山本) モノレールっぽいやつに乗りましたね。

 

(尾関) 少し遠かったかもね。ところで苦手科目の話するよ。

 

(山本) ずっと数学です。

 

(尾関) 数学はどんなふうに攻略というか、頑張りましたか。

 

(山本) 先生方に頻繁に質問に行ったのもそうだし、高3の4月とか春休みから、とにかくいろいろな先生にどんな教材を使えばいいかって聞いて回っていました。結構前々から準備をして、何をすればいいのか、どういう計画にすればいいのか考えていました。

 

(尾関) 結構いろいろな先生に聞きに行ったの。

 

(山本) 数学も苦労しましたけど、古文も結構。

 

(尾関) じゃあ、いろいろなアドバイスというか情報の中で、自分はこれだなということを学習して。でもその後も俺は偉いなと思ったのは、何度か確認して、今こうこうだから、これでいいですかって確認してくれるの。あれはやっぱり偉かったよね。

 

(山本) 自分のやっていることが本当に正しいのか分からないじゃないですか。こっちは初めてなので。でも先生方は何十年も受験を。先生方に聞くのが一番賢いかなと思って。

 

(尾関) あと、一会塾はどうでしたか。

 

(山本) 大正解だったと思います。

 

(尾関) どんなところが。

 

(山本) 今言ったみたいに、何度か先生にスケジュールはどうかとか、この問題はどう解くだとか、何度質問をしに行っても嫌な顔をされないし、質問はするべきものじゃないですか。分からないところは、どうやって解決するみたいな。さっきのインタビュー、誰でしたっけ。

 

(尾関) 近津さん。

(山本) 近津さんは大手予備校に行っていたときに、質問をしにくい空気だったから辞めたって言っていたんですよ。だから質問しやすい空気というのは、すごくいいと思うし、自習室も朝から空いていて、それもよかったですし。あとは質問しやすいのと、ちょっと共通するかもしれないですけど、アットホームというか、関さんとかいるじゃないですか。関さんに寝過ぎだとか、休憩しすぎだとか言われたり、たまに褒められたり、結構見守られている感じがよかったなって。

(化学科スタッフ:関)

 

(尾関) あんまり他の塾は知らないんだけどね。

 

(山本) 私、自由が丘の大手に通っていたじゃないですか。そこは質問しにくいんですよ。教員のスペースとか、私が行っていた自由が丘校は1階に受付があって、その奥に教員スペースがあって、教員スペースの横に狭い通路があって、そこに階段があって、そこから上の階に行ったりして質問ですみたいな感じなので、スペース的にも先生方の空間に入っていくのが、ちょっとやりづらいし、ちょっと空気も張りつめているというか。一会塾はみんな知り合いだけど、そこは他人同士ですごい。電車の中で隣になった人がたくさん周りにいる感じ。居心地は、そんな感じです。

 

(尾関) 受験を通して得たことは?

 

(山本) 得たことは、周りへの感謝。一会塾に来ている時点で、今も学費を払ってもらっているんですけど、一会塾に来た時点で、結構すごい大金を親は投資してくれているじゃないですか。先生方も、ものすごい遅い時間までいらっしゃるじゃないですか。土日も休日も。周りの人間がいるからこそ、結果を出せるかもしれない。今の塾でやっていければ。周りへの感謝と、あとは健康管理、大事ですね。

 

(尾関) 崩したということ?

 

(山本) 崩したんじゃないですけど、センターの当日の朝に、あごが外れたじゃないですか。言っていませんでしたっけ。かばんにいろいろ入れていて、受験票を持った、筆箱持った、よしみたいなタイミングで、あごが外れたんですよ。

 

(尾関) どうしたの。

 

(山本) 行きました、そのままセンターに。

 

(尾関) あごが外れるって、閉じなくなるの。

 

(山本) 閉じなくなったというか、痛いんですよ。うまくはまらない感じ。今は全然大丈夫ですけど。特に夏から眠気を覚ますために、たまに昼寝をしたり、どうしてもそれでだめだったらガムを何十分もかんでみたいなことをやって、センター当日にそれが積もり積もって出たんじゃないかって。

(尾関) よりによってセンター。

 

(山本) そのとき母は、もうだめだと思ったらしいです。言っていませんでしたっけ、結構面白い、あごが外れました。

 

(尾関) 後輩にアドバイスをすると。

 

(山本) ストレスは多い感じじゃないけど、できるだけ周りの人には感謝の気持ちを、最後まで言葉で伝えることと、あとは体調管理とスケジュールはちゃんと立てて。

 

(尾関) 感謝を何かしら表現するというのは、山本さんにとってどういう意味。

 

(山本) 受験では、親子での怒鳴り合いとかあるじゃないですか。受験生が親に八つ当たりとかシーンとか。八つ当たりみたいなことは絶対にしないと思って、私的にはしていなかったかな。していたかもしれないですけど、でもできるだけ態度が悪くないようにしました。

 

(尾関) それはどうして。別の言い方をすれば自分は頑張っていて、ほかは何もしてくれないじゃない、できないわけじゃない。自分だけが大変みたいなふうに陥りがちなんだよね、受験生って。

 

(山本) やっぱり受験生から見たら小さいことかもしれないですけど、お弁当を作ってくれたり、車で送り迎えをしてくれたり、そういう小さいことがありがたいですよね。

 

(尾関) 山本さん自身は、そういう小さい、ありがとうという感謝を。

 

(山本) お弁当を作ってくれてありがとう、という気持ちは大事だと思います。

 

(尾関) 最後に、大学自慢、大学の雰囲気、順天のこんなところが。

 

(山本) 授業はちゃんと受けなきゃいけないんですけど、部活とか生徒の学生団体とか、結構バリエーションがあって、あとは研究室も2年生から入れますし、やりたいことが多い人は結構探せば、かなり充実した生活が送れるんじゃないかなと思います。順天堂大学ってj-Megという、順天堂メディカル何たらかんたらという、医療系の同好会みたいなやつがあるんですよ。そのプログラムの一貫で、台湾の国防医学院に行ったんです。台湾バージョンの防衛医科大みたいなところに見学に行って、手術も実際に見せてもらったりとか、AIが医療にどういうふうに影響をおよぼすのかとか、そういう講義を聞けたりして、夏休みはすごく充実していて、順天はそういう授業以外の生活も充実できるようにサポートする環境が整っていると思います。

 

(尾関) 実際にお茶の水のキャンパスに通ってみて。

 

(山本) 結構すごくやる気のある人もいれば、勉強とか研究とか、もうちょっとバイトとか部活とか、そっちの方に興味がある人もいて、結構学生のバラエティーが豊かで、面白いなと思います。

 

(尾関) じゃあ、以上です。ありがとうございました。

 

(山本) ありがとうございました。

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