【合格体験記2022】埼玉医科大学 医学部医学科 木村亮太さん 再受験合格(広尾学園)~大手予備校での浪人生活を経て理工系へ進学するも大学1年の5月に再受験を決意。木村さんの運命を決めた2つのエピソードとは?中学受験以来の医学部への夢、ついに花開く!~

木村亮太さん

埼玉医科大学 医学部医学科

私立 広尾学園

 

 

その他の合格大学

東海大学 医学部医学科(2次辞退)

帝京大学 医学部医学科(1次)

 

幼少期からの夢を封印して一度は理工系へ進学された木村さん。しかし、電車内でのとある場面に遭遇してわずか一ヶ月で

再受験を決意します。そのとき偶然、目にしたのが一会塾の「Sさん」の体験記でした。

(この体験記を読んで)2次試験対策こそが合否を決めると確信。少人数制クラス授業にも魅力を感じて一会塾を選びました。

『受験中も常に社会時事に関心を向ける姿勢はとても立派でした。』

と語ったのは、木村さんを毎月指導された高橋優子先生でした。

短期決戦・再受験・圧迫面接、3つの逆境を乗り越えた医学部合格ストーリーをお届けします・・・・

 

 

―埼玉医科大学、正規合格おめでとうございます!

 

ありがとうございます!

 

 

―たしか、一会塾と木村くんが出会ったのは高校2年生の時でしたね。

 

そうですね、一回目の入塾は高2の4月だったので、出会ってもう4年になりますね。

 

―4年の付き合いなんだね!最初に入塾してくれた時は、古い方の校舎でしたか?

 

はい、恵比寿校がまだ古い校舎で、今よりもすごく狭かったときです(笑)

 

 

2017~2018年 旧恵比寿校の自習室、現在の約半分の大きさでした。

 

旧恵比寿校 大教室でも8人入ればきつきつに・・・

 

スマホ置きBOXは14名分しかなかった。

 

 

―旧校舎を知っている貴重な生徒さんですね。当時、すでに広尾学園の生徒さんはノリが良くて・・・何人か入塾してくれていました。

 

 

 

そうですね。自分は、大規模な塾で授業を受けたことはあったのですが、そこは肌に合わなくて、少人数の塾に通いたいと思っていたんです。そんなとき、友達が通っているという話を聞いて、一会塾を知りました。

 

 

―そして、実際に来てみたら、想像以上に小さい塾だったと(笑)

 

でもそのおかげで、近しい関係でいろいろな話ができたので、よかったです。

 

 

―大規模な塾は、どちらに通っていたのですか?

 

高1から駿台に通っていました。高3まで通っていたので、高2からは一会塾と併用していました。

 

 

―埼玉医科大学合格を手にするまでのストーリーを、教えてください。まず、現役の時は、理工学部志望だったのかな?

 

はい。現役の時は理工系志望だったので、農工大、早稲田、理科大、芝浦工大、千葉工大、東京電機、たくさん受けたのですが、全落ちでした。

 

 

―全落ち!?何があったの!?

 

自分でもびっくりしました(苦笑)そもそも、全体的に勉強が足りず、理解が甘かったので、当たり前の結果だったのかもしれませんが・・・

 

 

―でも、木村くんなら、どこかは合格できる成績だったでしょ。

 

きっかけがあったとすれば、千葉工大の試験ですね。自分は午後ティーを8年くらいほぼ毎日飲み続けているんですけど、試験当日も午後ティーを飲もうとして蓋を開けたら、手が滑って試験会場で午後ティーをぶちまけてしまったんです。もうそこから記憶がないほど動揺し、試験も手につかなくて。 

 

 

 

―え!そんな事件があったの!?

 

はい。12月に受験した神奈川大学の給費生試験では合格していたのですが、進学辞退していたので、千葉工大が滑り止めだったんです。滑り止めの大学で大コケしてしまったという焦りと不安を、そのあとの受験でもずっと引きずってしまって・・・あとがないという極度の緊張もあり、メンタルがやられ、雪崩式に落ちていったのだと思います。 

 

 

―トラウマみたいになってしまったのですね。

 

そうですね。そのあとは、行く大学がないので、もちろん浪人しました。

 

 

―そのときは、どちらの塾に?

 

駿台です。高校の友達も浪人する人がけっこういて、駿台に通う人が多かったので、自分もそのまま1年間駿台に行きました。当時は、東北大志望だったので東北大コースを受講していました。

 

 

 

―現役の時も駿台に通っていたわけですが、浪人生として通うと、やはり生活リズムなど全然違いますか?

 

現役のときは学校が終わってから塾に行くじゃないですか。浪人だと丸一日塾にいるので、リズムは全然違います。でも、結局あまりいいリズムをつかめないままでした。朝予備校に行って、9時頃から6限まで授業があり、17時半頃終わって帰宅してからすぐに寝て、夜中に起きて勉強し、3時~4時に寝て、7時頃起きてまた予備校に行くという・・・

 

 

―すごい生活だね。

 

夜中に起きても、正直だらだらと勉強するだけでした。予備校だけは毎日通っていたので、全然勉強していなかった現役時代と比べたら、勉強した気になっていたんですけど。結局、共通テストも思ったほど点が取れず、東北大は諦めて、農工大を受けました。そして、また落ちて、青山学院大学理工学部機械創造工学科に進学したんです。

 

 

 

―青学に進学したんだ!キャンパスはもしや・・・

 

5月末まで相模原キャンパスに通っていました。

 

 

―相模原、ご自宅からはかなり遠いよね?

 

片道2時間かけて通っていました。でもそのおかげで、埼玉医科の片道1時間半が楽に思えますね(笑)

 

 

―そこから、2ヶ月で別大学を受験しようと思ったきっかけは、何だったんですか?

 

青学はとてもいい大学です。JAXAの施設も近いので、宇宙に興味のある自分としては、そこで研究してみたいとも思っていました。でも、研究するなら国立に行きたいという気持ちが強く、入学時点で仮面浪人しようと決めていたんです。大学受験の勉強を続けながら、青学に通っていました。 

 

 

―そうだったんですね。いつ頃から、医学部受験を意識していたのですか?

 

実は、僕自身、中学まで医者になるのが夢だったんです。田舎者の考えかもしれないけど、中学受験を決めたのも、東京のハイレベルの中高に行けば医者になれると思ったからです。

 

 

―それで広尾学園に?

 

広尾学園は第4志望だったんです。中学受験のときも、あまり勉強していなくて、第3志望の都市大付属と第4志望の広尾学園だけ受かりました。自分はずっと男子校に通いたいと思っていたんですけど、母親に、6年間通うことをちゃんと考えなさいと言われまして。確かに、6年間男子だけの生活はきついかもと思い、共学の広尾学園を選びました。

 

 

―第1志望は、どの中学だったのですか?

 

第1志望は駒場東邦でした。広尾学園には埼京線で通っていたんですけど、渋谷まで駒場東邦の生徒がいるんですよ(苦笑)それを見て、若干自暴自棄になり、自分はどうせ勉強できないからと中学で遊び惚けてしまい、結果、医者になる道も諦めました。そして、高校の時に機械が好きだったのもあり、理工学部を目指すことにしたんです。

 

 

―一度は諦めて理工学部に行き、でもやはり諦めきれず、また医学部を目指したと。とても強い意志を感じられますが、何がそこまで木村くんを動かしてくれているのですか?

 

自分が最初に医者を目指そうと思ったのは、幼稚園の頃なんです。その頃、父親は海外出張で不在がちだったのですが、帰ってくるとたまに飲み屋に連れて行ってくれました。飲み屋だからあまり楽しくなかったんですけど、当時大学生だったお兄さんが、よく相手してくれて。一緒に遊んでくれたり、僕の好きな電車を一緒に見に行ってくれたり、大好きな人でした。その人が大学を卒業して就職後、健康診断で腫瘍が見つかったんです。もう助からないステージでした。幼稚園年長の時、お見舞いに行ったんですけど、抗癌剤治療で髪は抜け、変わり果てた姿にものすごくショックを受けました。そんなとき、会話の中で、彼が「医者になって多くの命を救ってほしい」と言ったんです。その時、自分は医者になるのだと、強く決意しました。半年後、彼が亡くなり、自分は小学校にあがり、明確になった夢のために中学受験をしようと思ったんです。

 

 

―その方との思い出や、その方の言葉が、大きな力となり、木村くんを今でも突き動かしているんですね。納得です。

 

当時撮った彼との写真は今でも大事に保存していて、医学部受験を決意した時から、待ち受けにしています。

 

 

―お見せいただき、ありがとうございます。木村さんがまだとても小さいころなのですね。ところで再度、医学部受験を決意されたのは、青学入学後でしたか?

 

はい。ただ現役で一会塾に通っているときから、医学部受験生をみて、羨ましいとは思っていたんです。でも、覚悟するタイミングを逃してしまったのと、機械が好きなのも事実だったので、機械の道に行くんだと自分に言い聞かせていました。そして、青学理工学部に進学するわけですが、父親がよく口にしていた「世のため人のためになれ」という言葉が忘れられず、果たしてこのままの自分で、世のため人のためになれるのだろうかと疑問を持ち始めたんです。

 

 

―木村くんの中にあった諦めきれない夢が、そういう気持ちにさせていたんですね。

 

その通りで、もちろん機械を造るのも立派な仕事だけれど、そもそも医者になる道を、全然諦められていなかったんですよね。そんな時、大学に向かう電車の中で急病の方がいて、医者らしき人が急病人の対応にあたる姿を目の当たりにしました。これこそが、自分が世のため人のためになれる仕事だと思い、やっぱり医学部に行きたいと父親に頭を下げて、医学部再受験を了承してもらいました。

 

 

―ものすごく、寛大なお父様ですね!びっくりしていたでしょう?

 

すごく驚いていました。でも、日頃から「やりたいようにやれ」と子どもの意志を尊重してくれているのと、「世のため人のために」というのを大事にしている人なので、許してくれたのだと思います。

 

 

―素敵なお父様です!憧れます。

 

親不孝の極みだと思いますが、そのおかげで、本当にやりたいことをようやく手に入れることができました。

 

 

―多くの人とのつながり、そしてかけがえのない経験が、木村くんを「今」に繋げてくれたんですね。

 そして、再受験を決意して、動き出したと?

 

はい、5月中頃に青学に休学届を出して、一週間くらい予備校探しをしていました。国立の理工を目指すなら、今までも理工受験は経験があったので独学でもいいかなと思っていたんですけど、その時はもう医学部を受験すると決めていて、初めての医学部受験は未知だったので、やはり予備校に通うことにしました。

 

 

―そして、一会塾を思い出してくれたんですね。

 

大手の医学系のコースか、一会塾かで迷っていたんですけど、一会塾のホームページを見てみたら、ちょうどSさんの合格体験記が掲載された時で。その記事の中で、医学部の2次試験の重要性、一会塾の2次試験対策の手厚さ、そしてSさん自身も2次試験対策のために大手予備校から一会塾に通い直したことが書かれていたんです。その記事を読んで、自分ももう一度一会塾に通おうと決めました。そして、一会塾に電話し、川浦先生と話をして、再入塾となりました。

 

 Sさんの体験記はこちら

【合格体験談】杏林大学 医学部 Sさん 三田国際高校『・・・浪人して、感じたことは、たまたま合格するということは絶対に無いこと、そして2次試験の重要性。』大手と一会塾の2つを経験されたSさんにしかわからない合格の秘訣とは!?

 

 

―こうして話を聞くと、すごく筋の通ったストーリーがあったのですね。

 

2次試験は経験がないのでこわかったんです。1次でずば抜けた高得点がとれる人は、もしかしたら2次にそこまで力を入れなくてもいいのかもしれないけど、自分はそこまでの能力があるわけではないので。優子先生ならきっと手厚く指導してくれると思い、もう一会塾しかないなと思いました。

 

 

―そして、5月末頃に再入塾してくださり、授業は何を受講されていましたか?

 

・数学ⅠAⅡB、数Ⅲ:仲野先生

・総合数学:佐藤悠太先生

・受験物理:真木先生

・受験化学:川原先生

・受験英文法・語法、メディカル英語:鍋谷先生

・受験英文読解:浅野先生

・メディカル小論文:高橋靖先生

・コミュニケーション個別指導:高橋優子先生

 

を受講していました。

 

 

―かなりみっちりですね。

 

川浦先生に何をとるべきか相談して、オススメの組み合わせを作成してもらい、その通りに受講しました。

 

 

―2回目の一会塾生活は、いかがでしたか?

 

大学に通っているときは、授業が午前だけとか午後だけとかで、丸一日学校にいることはほとんどなかったんです。なので、久々に朝から夜まで塾にこもって、最初は体調を崩したりもしました。自習室も利用していたのですが、家から塾まで遠いので、体力的にきつくて。でも、だんだんとペースを取り戻し、無理なく通えるようになりました。

 

 

―授業についてお伺いしたいのですが、まず、木村くんの得意科目は何でしたか?

 

自分は高校まで、文系が得意で、理系は苦手だったんです。中学受験のときも、国語と社会は点がとれるけれど、数学と理科が苦手で、それを克服できないまま受験しました。中高でも、一番得意なのが現代文、次に現代社会や世界史、数学と理科は本当に苦手でした。

 

 

 

―そうだったんですね(驚)でも、大学は理系を目指された?

 

苦手だったからこそ、理系への憧れも強かったんだと思います。あとは、普段あまり口出ししない父親が、理系を推している雰囲気をなんとなく醸し出していたので、その影響もありました。

 

 

―英語はいかがでしたか?

 

英語は、読解はいいのですが、文法が苦手でした。現代文や英文読解は、フィーリングで解けてしまうので、言語はフィーリングで解くものというイメージがあったんです。そして、フィーリングを頼りに解いていたら、文法が置き去りになり、英文法や古文などの知識が固まらずに苦手科目になってしまいました。なので英語も、文法では点数がとれず、読解で稼いでいましたね。

 

 

―確かに、埼玉医科の英語は、読解に寄っていますよね?

 

はい、最初の大問1のみ文法問題で、それ以降は読解問題です。

 

 

―なるほどですね。塾では浅野先生の英文読解を受講されていましたね?

 

浅野先生の授業は、英文の和訳を、生徒が希望制で前に出てホワイトボードに書くんです。周りの人の解答と、自分の解答を見比べる機会なんてなかなかないので、すごくためになりました。少人数授業だからこそ、できたことだと思います。

 

 

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―他に、印象に残っている授業はありますか?

 

一番インパクトが大きかったのは、真木先生の物理です。物理の授業って、受験テクニックを教えるか、物理学の本質を教えるか、先生によって二極化すると思うんです。でも、真木先生は“いいとこどり”と言いますか、なぜ?という理論も説明してくれるし、限られた時間でどう解くかというテクニックも教えてくれました。

 

 

 

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―高校は進学校で大手予備校にも通い、いろんな先生方の授業を受けてきた木村くんだからこそ、できる分析ですね。

 

あとは、仲野先生の数学ですが、自分は『大学への数学』という参考書を読んでいたんですけど、仲野先生の授業がその参考書の内容に近いもので。授業内容と参考書の中身がリンクするので、授業を受けてすごくスッキリしたのを覚えています。

 

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―苦手だった理系科目ですが、力はつきましたか?

 

はい。最終的には、数学と物理に力を入れて勉強していました。

 

 

―本番は、共通テストももちろん受けましたか?

 

受けたのですが、思ったほど点が取れなかったので、国立は諦めました。今思えば、とりあえず出願して、2次で巻き返しすればよかったかなとも思うんですけど、そこまで強くメンタルを保つのも難しかったかなと。まずは医者になることが一番の目標だったので、私大に全力投球しようとおもいました。

 

 

―初めての医学部受験はいかがでしたか?過密スケジュールで大変だった?

 

帝京大学なんかは、3日連続試験だったんですけど、9時~13時半頃までだったので大丈夫でした。ただ、2月1日~6日まで、連続で試験があったのはきつかったですね。しかも、4日目は帝京の2次試験だったので、1次と2次の思考サイクルの切り替えが大変で、気が狂うかと思いました(笑)

 

 

 

―1次のことも2次のことも考えなきゃいけないですもんね。医学部の受験会場と、理工学部の受験会場は、雰囲気は違いましたか?

 

医学部のほうが、人数が多かったです。一つの学科で数千人とか受験するので、スケールが全然違いました。あとは、例えば帝京大学は、病院が近いので救急車の音が聞こえるんですよ。自分が医者になれたら、こういう環境に身を置くのかと、試験中に妄想していました。

 

 

―それは確かに、特殊な環境ですね!

 

あとは、何よりTOCのインパクトがすごかったです。

 

TOC(東京卸売センター)ビル・・・竣工は1970(昭和45)年で、地下3階・地上13階建て、延床面積=約17万4,013平方メートルの商業ビル。卸売業や流通業を支える五反田のシンボル的存在。2023年春に解体が決まっている。2022年にTOCビルで行われた医学部入試は以下の通り。ちなみに恵比寿校から山手線で2つとなりが五反田駅だ。

 

【五反田TOCビル】杏林大学、獨協医科大学、埼玉医科大学、国際医療福祉大学、昭和大学、東京慈恵会医科大学、東邦大学、聖マリアンナ医科大学、東海大学、金沢医科大学、東北医科薬科大学、藤田医科大学

【五反田TOCメッセ】昭和大学、東海大学、関西医科大学、埼玉医科大学、東京慈恵会医科大学(※TOCメッセは、TOCビルのすぐ近くです)

 

 

TOC!五反田にある医学部受験の戦場ですね!

 

医学部受験生のトラウマの地だと、話は聞いていたんです。これが噂のエレベータか!これが噂のトイレか!と、観光気分でした(笑)

 

 

TOCは取り壊しが決まっているけれど、今もまだ旧式トイレなんだよね?大丈夫でしたか?

 

大丈夫でした。逆に、楽しんでましたね。TOCでは東海大学と埼玉医科大を受験したのですが、どちらも合格したので、楽しみながらリラックスして試験に臨めたのだと思います。ようやく自分もここまで来られた、という気持ちもありました。

 

 

―あの環境が良い方向に作用してくれて、よかったです。

 では、本番の試験について教えて下さい。まず1次ですが、試験科目は何でしたか?

 

英語、数学、物理、化学、小論文です。

 

 

―埼玉医科は1次で小論文がありましたね。確か、2次試験の判定で使用するものだったと思うのですが、どのような内容でしたか?

 

大問は3つあり、1と2は日本文、3は英文で書かれています。もう記憶が曖昧ですが、大問1は日本語の長文を読んで要約問題が出され、大問2は、理論の説明と図が与えられ、その理論にあてはめたときに図がどう変化していくか、みたいなことを問われたと思います。大問3は英文和訳と、和文英訳が出題されました。

 

 

―ありがとうございます。記述形式でしたね、試験時間は?

 

全て記述形式でした。試験時間は60分です。

 

 

―時間的には厳しかったですか?

 

時間が足りなくて、焦りました。解答用紙が冊子になっていて、大問ごとに1枚ずつ解答用紙があるので、分量は多いと思います。

 

 

―大問1から順番に解きましたか?

 

まず大問1の文章を読んで、すぐに回答できなさそうだったので、大問2に進んで回答し、大問3を解いて、最後大問1に戻って回答、という解き方をしました。

 

 

 

 

―回答順序も、その場で臨機応変に対応できたんですね。

 では、次に2次試験について教えて下さい。優子先生と、2次対策はされましたか?

 

はい、対策して頂きました。志望理由書をみて頂き、面接シートの準備もしました。

 

 

―面接シート?

 

埼玉医科の2次は、面接の前に20分で面接シートを記入するんです。志望理由含めて5つの質問があり、それぞれ回答していくかたちです。どういった内容を書くか優子先生と練ったうえで、自分で時間を計って練習していました。

 

 

―2月13日に2次試験でしたね。本番は、どういった流れでしたか?

 

全部で5グループあり、自分は4番目のグループでした。12時半に集合して、20分で面接シートを記入し、回収後、番号順に呼ばれて面接となります。

 

 

―1グループ、何人くらいだったか覚えていますか?

 

80人くらいだったと思います。

 

 

―1グループに80人!そこまで人数は多いと選ばれた人が、最終選抜に来るという感じじゃないですね。

 

そうですね、多かったです。10人ずつくらい呼ばれて、別フロアにある面接室の前で待つんですけど、その待ち方がおかしくて。壁に向かって立つよう指示されるんですよ。壁に向かってじーっと待っていて、自分何やっているんだろうという気持ちになりました(笑)

 

 

―それは、どういった意図があるんだろうね。前の人が終わると、次の人が呼ばれるのかな?

 

チャイムで区切られて、順番に面接室に入っていきます。面接官は3人で、向かって左側の人が時間を計っていて、15分~20分くらいでした。

 

 

―面接の手応えはいかがでしたか?

 

手応えはありました。帝京の2次で失敗してしまったので、その経験が活かせたかなと。

 

 

―帝京では失敗しちゃったんですか?

 

帝京は面接官が2人で、けっこう辛辣な質問が多かったんです。例えば、自分は高校で風紀委員長だったんですけど「調査書に風紀委員長と書いてあるけど、こういう肩書って名ばかりで、実際に相応の働きしている人って少ないけど、君はどう?」みたいに聞かれて。

 

 

―おぉ、手厳しい。それで詰まってしまった?

 

いえ、逆です。自分は風紀委員長としてしっかり仕事していたので、キタ!と思って、委員会の仕事について話し過ぎてしまったんです。それで、時間が無くなって、他に伝えたかったこと、伝えるべきことを、伝えきれないまま終わってしまいました。

 

 

―なるほど、そうだったんですね。それで帝京での経験を埼玉医科で上手に活かせたんですね。

 

はい。帝京2次が終わった後、優子先生に再度対策して頂きました。伝えるべきことを再確認して、これは最低限伝えきろうと。埼玉医科は面接シートの記入があるので、そのときにも志望理由などの整理ができたと思います。

 

 

―面接では、具体的にどんなことを聞かれましたか?

 

志望理由はもちろん聞かれて、その答えに対して「今の時点で、そこまで明確な将来像を持てているのは良いことだ」とお褒めの言葉を頂きました。

 

 

―すごいですね!ちなみに、どのような志望理由か、教えて頂いてもよろしいですか?

 

自分は外科医になりたいので、「外科医になって世界にも目を向け、来る高齢化に対応できるような医療を目指したい。また、患者さんやご家族に寄り添える医者になりたい」という内容を、自分の経験を織り交ぜて答えました。

 

 

―面接の中で褒めてもらえたら、テンション上がるよね。

 

実はもう一つ、合格を確信した瞬間があるんです。「朝は目覚ましで起きてるの?それとも親に起こしてもらってるの?」と聞いてきた面接官がいて、もちろん目覚ましで起きていると答えたんですけど、そのあとに「家から大学まで遠いけど、1限起きられる?」と聞かれまして。自分、中高6年間皆勤だったので、ここぞとばかりにその話をしたら、面接官が3人とも「おぉ!」と声を出したんです。その瞬間、受かった、と思いました(笑)

 

 

―6年間皆勤はすごいですね!

 

自分はすごく友達に恵まれたので、毎日楽しく学校に通えました。毎朝、駒場東邦生を見ながらも(笑)

 

 

―その努力が実を結んでよかったですね。

 

ネットでは、埼玉医科は再受験が厳しいとも言われていたんですけど、再受験についても、理由をきちんと説明し、納得して頂けました。

 

 

―今回は、伝えたいことを伝えきることができたんですね。

 

優子先生のおかげです。優子先生に教わりながら、大事な内容をまとめていけたので、優子先生のご指導なくしては合格できなかったです。

 

 

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一会塾の面接コミュニケーション個別指導とは・・・

月に2回、医療人としての明確な目的意識を高め、偏りのない見識を持たせて良医を育てる指導を行います

 

 

―そうでしたか!優子先生にもお伝えさせていただきますね。

 

医学部受験を決意して、昨年の5月にもう一度一会塾に通おうと決めたことは、人生で最高の決断だったと思います。今年は20歳になる節目の時なので、一つの区切りをつけられてよかったです。ここからがスタートですけどね。

 

 

―そうですね!抱いてきた夢への、大きな第一歩ですね!これからも、今の気持ちを大切に、頑張ってください!本日は、貴重なお話ありがとうございました。

 

こちらこそ、ありがとうございました。

 

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