近藤奏真さん
青山学院大学 理工学部
桐蔭学園高校
その他の合格大学
山口大学 工学部 知能情報工学科
中央大学 理工学部 ビジネスデータ学科
関東学院大学 理工学部 情報ネット学科
―お名前と進学先をお願いします。
近藤奏真です。青山学院大学 理工学部 情報テクノロジー学科に進学します。
―おめでとうございます。それでは、(浪人が決まってから)一会塾に来るきっかけからお聞きしてよいでしょうか?
学校の先生から、少人数で面倒見の良い塾があるよ、と紹介していただきました。
それまで聞いたことがない塾でしたので、正直、不安でした(笑)。
―そうでしたか。得体の知れない所によく来てくださいましたね(笑)
はは。でも一応、口コミも見ましたし、一会塾にも実際に見学して説明を聞きにも伺いました。学校の先生には、「お前は個別に面倒見てくれる塾の方が合ってると思うよ」と言われていました。確かに自分は、流されやすいし、(みんなが行く大手よりは)こっちがいいかなって思って、一会塾に入ることにしました。
―今、実際に通い終わっての感想を教えてください。
大手では、自分は駄目だと思っていたので、結果的に良かったなって思っています。
横浜の大手予備校に1度見学へ行ったんですけれど、まあ普通というか。大手予備校行く前に、一会塾の少人数制を見てしまっていたので、「やっぱりこっち(一会塾)かな」ってという結論に落ち着きました。
1クラス平均8名
近藤さんの1年間の受講クラス(1週間に28単位:28時間受講)
受験英文法・語法 α |
鍋谷 弘治 |
武蔵小杉校 |
木 |
20:10-21:40 |
英文読解 |
浅野 修慈 |
武蔵小杉校 |
金 |
11:40-14:50 |
私大英語 |
鍋谷 弘治 |
武蔵小杉校 |
木 |
13:00-16:10 |
演習英作文 |
鍋谷 弘治 |
武蔵小杉校 |
木 |
17:00-18:00 |
数学Ⅲ |
一瀬 律子 |
武蔵小杉校 |
火 |
11:10-14:20 |
数学ⅠAⅡB |
佐藤 悠太 |
武蔵小杉校 |
月 |
14:00-17:10 |
総合数学 |
小田 広喜 |
武蔵小杉校 |
木 |
9:00-10:30 |
演習数学 |
小田 広喜 |
武蔵小杉校 |
木 |
10:45-12:15 |
受験物理 β |
岩佐 和幸 |
武蔵小杉校 |
火 |
18:20-21:40 |
演習物理 β |
岩佐 和幸 |
武蔵小杉校 |
火 |
16:30-18:00 |
受験化学 β |
千葉 裕也 |
武蔵小杉校 |
金 |
18:20-21:40 |
演習化学 β |
千葉 裕也 |
武蔵小杉校 |
金 |
16:30-18:00 |
メディカル小論文 |
原田 広幸 |
武蔵小杉校 |
土 |
16:30-18:00 |
共通テスト総合国語 |
原田 友弘 |
武蔵小杉校 |
土 |
20:10-21:40 |
―高3の時は塾に通ったんですか?
高3に入ってすぐくらいに映像中心の大手フランチャイズの塾に一応通っていました。
―映像ですと「ビデオを予約して見る」感じですかね?
自分は、高校に入った時は基礎とか全然できてなかったので、土台から作らなきゃいけないということで結構な量の映像授業を課題として課されていました。ところが、受験直前までいっぱいいっぱいで。あんまり過去問も出来てなかったし、準備が整わなかったですね。慌ただしくて、最後までの最後まで項目学習を終えるのが大変で、自力での問題演習までたどりつかなかった感じでした。
―なるほど。詰め込んだんですね。
そうですね、詰め込んで終わって、あんまり解く時間もないし、学校で解いた程度でした。
―桐蔭さんには中学受験で入ったんですか?
はい、中学受験で入りました。
―高校生になって、高1高2は塾に行ってなかったんですね。部活は何かやっていましたか?
(中学・高校と)6年間サッカー部でした。
―桐蔭のサッカー部は、強いし練習も大変だという印象がありますが。
強豪なのは桐蔭学園高校のサッカー部ですね。自分は桐蔭中等教育学校のサッカー部だったので、週6日、日数はありましたけれど、そんなに強豪校って言うわけではなかったです。
―桐蔭は中等ともう1校サッカー部があるっていうことですか?
はい、学校が違うので。桐蔭中等っていうのと、桐蔭っていうのが同じ敷地にあるのですが、別々のカリキュラムで動いていて練習も違うので、全然違う学校みたいな感じです。
―なるほど、ではやはり、桐蔭学園高校の方がサッカーは強いのですか?
サッカーだけじゃなくて、スポーツ全般桐蔭学園高校の方が強いです。
―高校時代はどんな学習状況だったんですか?
高1・2はほぼ何もやっていませんでした。正直に言いますと・・・宿題も答えを写すような感じでした!
―じゃ、問題児だったかもしれないですね(笑)
はい。「部活やって終わり!」と。勉強ゼロみたいな感じだったんで、さすがに高3になって周りが勉強し始めて、成績でクラス分けされてるんですけれど、「下のクラスでやばいな」みたいな状況でした。それからは、朝起きて1時間勉強して、学校行って部活やって、部活終わってからちょっと勉強して帰るという感じでした。
高3になっても勉強の蓄積はやはりほぼゼロからで、スタートも遅かったですし、映像授業の方も学校と噛み合わない状況でした。映像で見た授業内容もほぼ分わからない。ビデオで新しい知識を基礎から入れてるといった感じだったので、逆に、学校の授業が無駄なになってしまった感じです。今から考えるともったいなかったかなと思います。
―それは、大変な状況でしたね。模擬試験などではいかがでしたか?
E判定以外出たことがなかったです。
―危機感があった状態で浪人生活に入ったということですね。塾は朝から来ていましたか?
そうですね、朝は、時々30分くらい遅れることもありました。
―学校がなくなって、生活サイクルは上手く行きましたか?
途中、塾の友達や、誰か話をする友達が欲しかったんですけど、今年は(一会塾は)あんまり男子がいなかったので、ちょっと孤独でそこがちょっと大変だったかなと思います。
―今まで受けていた学校などの授業と比べると一会塾は小人数でしたかね。
物理だと1人の時もありましたし、平均2~3人で。学校では30人は超えてたので、それと比べるととても手厚い環境でしたね。
―それによるメリットというか、質問・理解度などどう違いましたか?
授業が会話みたいになるので、分かっていないのも先生が察してくれますし、質問もしやすいですし、そう言ったところは、やはり少人数がいいですね。逃げられないし、宿題をやっていなかったらバレバレだし、やって来いって言うのも見られます。そういうのがとても自分は良かったなと思っています。
―それで、感覚的に基礎学力はつきましたか?
はい、授業はちゃんと聞いてたので、ある程度問題集を解いても出来る、基礎学力ついたなと思います。
―良かったです。数学が比較的得意でしたね。
数学と物理が若干得意です。化学は普通くらいでした。
得意なのは、上から数学・物理・・・ガクンと下がって化学・英語です(笑)
―教科の好き嫌いが激しいのかな?
そう思います。
―たしか近藤さんは、浪人になった時に一時期、「医学部を目指そうかな」って話になってましたよね? それは、どういう事情だったのですか?
元々は昔から、医大に行きたかったんですけど、レベルが高いなと思っていました。高3の時、底辺だったので、工学部しかないなと考えていたのですが、浪人したので、せっかくだから行ってみたかった医学部を目指そうかなと思いました。入ったのが医学部の塾だったということもあります。
―何月くらいまで、医学部を目指そうって意識があったんですか?
11~12月くらいから、やはり「難しいな」って思い始めていました。科目数も増えますし、授業数も増えるので、どこか絞っていこうかなって思った時に、医学部の科目を絞らないと工学部すら受からないなという感じで考えを修正していきました。
―割と真際まで、医学部を想定していたんですね。
粘っていたんですけれど、駄目でした。お恥ずかしいながら。
―絶対医学部じゃなきゃいけないって訳じゃなかったから、状況を見て判断したって事なんですね。
―理工は情報系を多く受けていますが、これは医学の次に興味のある分野でしたか?
何やりたいかって言われたら、情報かなと思っていました。やって楽しそうだな分野でした。
でも情報系やプログラミング系って難易度が高くて、偏差値表を見ると、どの学部もその学科は1番上かその2番目に上かくらいですね。建築系の1つしたくらいでしたので頑張らないとと思っていました。
―なるほど。今、はやりのAIや最新テクノロジーですもんね。
そうですね、その分、わりと偏差値では低い所を受けに行きました。でも東京都市大と工学院はしょっぱな落ちてしまったんです。そのときは、最初の入試だったので両親も自分も「もう、やばいやばいっ」て言ったりしていました。でも国立の山口大学はA判定だったので、「安心しろ」っとも自分に言い聞かせました。その時が(精神的に)一番きつかったですね。
―それは大変でした。偏差値的には工学院大学を練習校にしていたのですね?
そうですね、工学院に関しては、急遽受けることになったので、過去問を直前に解いた位であんまり解いてなかったんですね。それがまずかったと思います。
―なるほど、工学院が駄目で青学の理工学部に受かるっていうのは、(通常は)あまりないかもしれません。
青学の方は、ある程度過去問をやっていたので勝算はあるなと思っていました。
―医学部のレベルに達しようと頑張っていたことが、中央と青学合格に影響しましたか?
去年が相当悪かったんで、それに比べると、ここまで上がってこれたのは自分的には、頑張ったのかなと思います。
―実際に受験会場での手ごたえと合否の関係性はいかがでしたか?
受かったところが「落ちた」と思って、落ちたところが「受かった」みたいな感じでした。)「受かったな」と思ったのが多かったですけれど、ほとんどが落ちていたので、「あれ?」みたいな感覚になりました。やはり、自分が出来たと思えた大学は、周りもできているということを学びました。
―問題の難易度が高い大学の方が、むしろ強かったんですね。
そうなのかもしれないですね。
―青学の英語で、英単語の定義を読んで単語を書かせる問題がありましたね。
あれ毎回、過去問で毎回0点だったんで、そういうところは最低限取れていればよいと腹をくくっていました。その分、長文読解とかを頑張って取りに行こうって割り切っていました。
―本番はいかがでしたか?つかみどころがない語義定義説明問題でしたが。
いや、でも確か、1個も埋められなかったです。あれ、本当に苦手で。やっと思い浮かんだ単語も、違う単語だったりして・・・なかなか難しかったです。
―最終的には、英語の力はこの1年で受験レベルにまで仕上がりましたか?
それが、お恥ずかしいことに、たぶん、受験者平均か受験者平均以下のレベルだったと思います。自分は、その他の科目(物理・数学)で補おうとしていました。英語の問題レベルの高い所だと、マルっと失点してしまう感じでした。
―塾での英語の読解のレベルは、工学部の中では本当に上のレベルのものを読んでいたと
思うんですね。それに比べると青学にしても中央にしても理工系の英語の問題は簡単ですよね。
そうなんです。自分でもすらすらと読めました。
―わかります。だって、普段、医学部を想定した授業の中で英語をやっていたら、MARCHの理工系の英語問題は(文系のMARCHの英語問題と比べて)「え?!いいの?、これで」っていう感じの易しさだと思います。
たしかにそうですね。早稲田教育とかも英語解けましたし、受けた所ほとんどの英語は読めると自分では感じていました。
―ところで、塾で一番お世話になった先生または、スタッフは誰ですか?
それは各教科の先生方には、大変お世話になりました。特にと言われれば、授業の人数が少なかった物理の岩佐が印象に残っています。物理が自分の年は少なかったんで、ほぼマンツーマンでずっと話す感じでした。自分の中で一番、鍛えられた科目でしたね。
物理科 岩佐講師 ※↑写真をクリックすると自己紹介をご覧いただけます
スタッフでは、佐藤雄一郎先生ですね、半年経過して気が付いたんですけど、佐藤先生は僕の担任の先生だったんです。そういう制度があったって言う事を知らなかったんです(笑)よく話してくれるなあと思ってたら、担任の先生でした。
校舎長 数学科 佐藤雄一郎講師
―さて、近藤さんは、国立の山口大学に合格されましたが、私立の結果が出てから、受験されたんですか?
確か、都市大の結果が出ていて、それが駄目だったので、ビビッてしまって、どうしようかってなった時に、確実そうなところで判定Aの山口大学を受けることにしました。前期試験は2/25で、そのときは、青学理工の合格は出ていました。中央も出ていたと思います。
―青学と中央の合格の結果が出ていたけれど、それでも山口大学受けに行ったんですね。
はい、飛行機がもうキャンセルできなかったし、親からも「塾の実績にもなるんだから、恩返しのつもりで行ってきなさい」って言われて(笑)。半分、旅行気分で行かせてもらいました。
―それは、なんか申し訳ないですね(笑)。ありがとうございました。それでは、次に、近藤さんの小学校の時の話を聞かせて頂きたいと思います。小学校は公立ですよね。塾には何年生から塾には通ったんですか。
自習室
日能研に小学校2年の後半から6年生まで通いました。はじめの方は勉強を強制されていた感じではありましたが、頑張っていました。
―日能研での成績というかクラス分けではどの位置でしたか?
初めの方はかなり、上だったんですね。で、偏差値75くらいになった時に親が強制(束縛)をやめたんです。
そしたら、急に勉強しなくなって。どんどん落ちていってしまいました。小学生の自分は強制されないと勉強はできない状態でした。最後8クラス中、上から4番目の真ん中のクラスでした。塾の先生にも「お前は貯金で受かったんだぞ」って言われました(笑)。
―それはわかりやすいというか・・・、きっと勉強の勘みたいなセンスを持っていて、のせられれば、どんどん突っ走れるタイプだったんでしょうね。ただ、遊びに流れるのも早い感じだったんでしょうか。
自分は、やればできるかなって言うのはその時思っていました。でも、やらなかったんですけれどね。ある程度自信はありました。親に強制されれば、テストも毎回1位だったって言うこともありました。「俺は、やればできる」と最後まで言い続けて、結局やりませんでした(笑)でも、今、思うと「やればできる」は「やらない」と同じなんですよね。
―桐蔭中等教育学校に入って、中学3年間は高校と比べるとどんな感じだったんですか。
高校と比べると、とても長かった気がします。楽しくなかったっていったら、あれですけれど。部活もAチームではなかったんで、日数も少ないし、特に遊びに行くってこともなかったですね。高校の方が楽しかったです。高校は一瞬で終わりました。それと比べると、やや地味な感じの印象でしたね。
―Aチームがレギュラーチームですか。
Aチームが全国行くみたいなチームです。Bチームはベンチメンバーみたいな感じでした。
―桐蔭中等教育学校は大きな中学なんですか?
中学でも、高校になっても桐蔭中等教育学校は4クラスしかないです。桐蔭学園(男子部)が7~8クラスくらいあります。学校が違うんで、高1・高2の間は、一緒に授業を受けることもなかったです。
―中学3年間ずっと4クラスだったんですか?
はい、ずっと4クラスで。ほぼみんな名前と顔を覚えるくらいでした。
―桐蔭中等教育学校は高校へ進学するとバラバラにならないんですか?
高1・2年は中等教育学校オンリーで、高3は科目によって変わりますけれど、男子部・女子部・中等部が一緒になります。そこでいきなり共学化されます。
※桐蔭中等教育学校は2019年より共学化されています。
―高3で、いきなりソワソワし出すんじゃないですか(笑)
そうかもしれないです。周り見だしたりして(笑)
―青山学院の理工学部は、4年間は相模原にある、淵野辺キャンパスでしたね、大学に向けての抱負はありますか?こういう事やりたいとか。
自分の家からは意外と近いんです。1時間ちょっとくらいですね。大学へ向けては、自分はこれから見つけようと思います。
―わかりました。1年間、本当にお疲れ様でした。
こちらこそ、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。