京都府立医科大学 医学部 医学科
再受験合格 都築陽世さん(東京学芸大附属)
慶應大 薬学部からの医学部再受験合格!
≪1次通過したその他の医大≫
・国際医療福祉大 医学部(最終合格)
・順天堂大 医学部
・東邦大 医学部
・東京慈恵会医科大 医学部
~再受験生としての受験生活について~
私は、慶応義塾大学薬学部に通っていました。通っていたのは7月の春学期までで、退学届けを出して受理されたのは9月とかですね。
一度入学された大学を辞めるのってすごく勇気がいることだと思うのですが・・・
やっぱり(現役のときに)受験失敗したなっていうのが元々あったのと、薬学部でちゃんと頑張れなかったことで成績がだいぶ酷いことになってしまって・・・結構、危うい状況だったんですね。このまま慶應で薬学部を6年やるくらいだったら、医学部をもう一度受け直して医学部で6年やった方がいいんじゃないかっていう風に思い直したんです。
(再受験の際に)一会塾に通い始めたのはいつ頃でしたか。
9月末とか10月とかたぶんそれくらいですね。ほんとに間に合うかな、大丈夫かなこれっていう感じだったんですね。もう夏休みも終わってて。大学を辞めてから塾に来るまではちょっとだけ自習してました。本当に思い出す程度だったんですけど。夏までの大学の成績出るまでの期間は車の免許取ってたりのんびりしてました。
そもそも今更、大手には入れてもらえないし、現役のとき、一会塾でがんばって医学部に届かなかったとは言え、かなり実力をつけてもらいましたし、塾自体が私に合っていたと思ったので、とりあえず戻れるか聞いてみようって。既卒生の授業に途中編入させてもらいました。
自分は文系の『頭』だという都築さん、苦手な数学・化学の克服法は?
そうですね、化学は川原先生の授業が本当に大きくて。現役の段階で、学校では上級者向けというかテンポの速い授業をしていて全然ついていけなかったから苦手だったっていうのがたぶんあったんです。でもここで川原先生の授業を受けていると、すごいプリントとかも見やすくて整理されているし、すごく色んなことが頭の中にスッと入ってこれてそれで理解力が格段に上がったのかなと思ってます。化学の基礎的なところがきちんと理解できた、という点がすごく大きいのかなと思っています。
数学は『受験数学ⅠA・ⅡB』を受講しました。勉強していたテンポみたいなものは現役の時と今とであんまり変わっていなかったと思うんですけど、それでもフィードバック、復習的なものに力を入れるようになりました。現役の時は解いたテストを片っ端から無くしていました。今年は切り抜いてノートに貼ってまとめていたので、間違えたところをちゃんと復習出来たのかなって思っています。私、一度ハマるとできるんですけど、ハマるまでが長いんですよ(笑)
理科の学習状況について教えてください。
生物は学校のテストでも最後まで赤点という感じだったんですね。でも一会塾で熊谷先生の『受験生物』を取ったことによってたぶん、医学部の生物っていうのが、もうとんでもなく強くなったんじゃないかなって思ってます。学校だと免疫とか詳しくはやってもらえなかったし、アレルギーの細かいことも分からなかった…。医学部の生物という意味では『受験生物』はかなり強いと思います。
生物に関しては、現役の時は結構難しいなって思っていました。(再受験する前の)大学に通って、ほとんど受験勉強をしなくなっていた間に頭の中が整理されていたみたいです。それでもう一度熊谷先生の授業を10月に受け始めたときに頭にすんなり入ってきて。こういうことだったんだって理解できるようになったので、そこで一気に生物ができるようになったんじゃないかなって思います。
ーそれぞれの科目がきちんと底上げされた状態で今回の試験に向かえた都築さん。再受験では理科と数学部分の底上げが特になされたことでうまく結果に繋がりましたー
医学部志望理由については
もともとは、とても幼いときから「お医者さんっていいよねかっこいいな」って漠然と夢見てる部分があったんです。それで受験期の高2の進路選択の時期になっていざ将来を決めるってなったときに、頭の中で医者になりたいってずっと反芻していたものが意識として染みついていたから、『ここらで医者目指してみるか』って。スタートはそんな軽い感じだったんですよ。
医学部受験が入塾のきっかけに・・・再受験なのに、さらに国立を目指したのは!?
医師に対するあこがれに対して、当初は反対していた母が、「あなたが本気なら医学部向けの塾探すわよ」って見つけてくれたのが一会塾でした。
最初は国立は厳しそうだから私立に向けてやって、あわよくば国立も受けられたらいいな、くらいの感じだったんです。だから地理とか国語とかほぼやってなくて。国語は現代文がそこそこ出来たからよかったんですど、(実は)古文漢文をだいぶ忘れている状態のまま受けちゃったんですよ。
だから共通テストの結果はあまり、奮わなくて、76%とかですね、8割行ってないんです。
~京都府立医科大学を選んだ理由~ 関東からすぐに行けること、2次の配点が高いこと・・・
元々評定が取れていなかったので、ダメ元で評定の割合が低くて逆転できそうなところを選ぼうって探してみたんです。それで並べたときに、京都府立医科と大分と地方がパラパラ上がって。この中から受かったときに自分が6年間通えるのはどこだって考えてみたら、京都なら陸続きでそこまで遠くはないし、都会で環境もそこまで変わりすぎないし、知り合いもいたので、京都府立医科に一か八か出してみようって思いました。
京都府立医科大学は最初に理科が2科目同時に150分、200点満点。試験時間が長いですね。それに記述一本。特に京都府立医科の生物は特にがっつり考察させる感じで、生物のワードは聞いても全部で2問くらいなので、暗記系の問題がほぼ出ないんです。知っている知識を基に考察するっていう問題ばかりでしたね。大問ごとに大きなテーマで出されて、「この実験結果がこうだったけど、なんでこうなったか答えなさい」とか、「この実験結果はどうなったと予想されるか理由をつけて答えなさい」みたいな問題でした。
京都府立医科大学 医学部医学科
1) 8:50~11:20 理科 (150分200点)
2)12:20~14:20 数学 (120分200点)
3)14:50~16:50 英語 (120分200点)
4)17:20~18:10 小論文(50分・調査書とともに面接試験で活用)
個人面接 (10分)
配点 【共通テスト】450点(R50 L50 数200理科200国100 社50) 【2次】600点
【面接・小論文】小論文は調査書とともに面接試験で活用
化学は、実験考察もあったんですけど計算は割と少ない学校でした。でも私が知らない実験記号が出てきたりとか、だいぶ個性的な実験に思えました。
生物・化学は同じ時間内だから受験生側で時間配分を決められます。
数学は120分、200点でした。あんまり出来てはないと思うんですけど、たぶんこれはみんなできないだろうなって思ってしまう難しさでした。京都府立医科大の数学って実は東大京大レベルみたいなんですよ。でも受ける層が東大京大ほどではないので、低い点数での争いになる。だから私は、どの問題も最後までは出来ていないんですけど、途中までを埋める、問3まであるとしたら問2までは全部出来ているっていう感じを徹底しました。あと、多面体の問題がほぼ毎年出ていたんですけど、図形問題はとても得意だったので、とても丁寧に、これは文句のつけようがないだろうっていうくらいにまで書けたのがアドバンテージだったかもしれないです。
数学の傾向をさらに説明すると、大問は4つ。赤本には誘導が丁寧、って書いてあるんですけどそんなこともない感じです。範囲はどうだったかな…そんなに苦しくはなかったから数学Ⅲが少なかったんじゃないかと思います。数学Ⅲが苦手でしたので。(笑)
英語の出題傾向は?
医学部っぽさは0でしたね。医学部単語ほぼ出てこないです。結構文章自体も人文系でした。今年はなかったんですけど年度によっては小説なんかも出てます。でも全体的に英語も結構難しい大学で、文章量が他より長いんですよね。まず最初の大問1がかなりの長文で、答えも記述ですごく重い問題が1つ。次の大問2が小説とかエッセイの少し軽めのもの、ただし答えは全部記述。大問3はTrue or Falseの内容一致問題、最後が英作文でした。とにかく大問1が重いんですよ、赤本だと5・6ページくらいの長文です。読み解くのも大変な人がほとんどだと思います。私は一応、時間内に全部やり切ることができました。
(差がついたところがあるとすると・・)英作文をいつも最初にやっていたので、それも大きかったと思います。時間が足りなくて英作文真っ白みたいな人もちらほらいたので。
英作文の対策は? 順天堂にも1次合格されているので、やりこんでいましたか?
はい。英語は基本授業は取らないで自分で赤本ガリガリやって行こうって感じで(スタッフの)関さんとも話してやっていたんですけど、英作文は鍋谷先生に見てもらっていました。
京都府立医科大学の2次試験・小論文について
小論文は50分で、去年は短めの文章がついていたのですが、今回はいわゆるテーマ型の小論文でした。
「医師を目指すにふさわしい傑出した人物とは」。600字程度
これは書きやすかったですね、色んな学校で「医師に求められるものは何か」みたいなことを面接で聞かれていたのでそれをだいぶ踏み込んで自分の意見も併せて書いたっていう感じです。「とても良く書けていて文句ありません、異論ないです」って面接でも言われました。
書いた内容は、「人を想う心と強い精神力」「貢献の意識、感謝の想い」「コミュニケーション力と協調性」についてでした。
これはちゃんと下書きを書いて、これについては何行で書く、トピック事に組み立てて書いたので、たぶん今までより理路整然としていたかなっていう風に思っています。
京都府立医科大の面接試験では・・・
実は京都府立医科大の志望理由は聞かれなかったんです。
聞かれる年度もあったはずだから意外だなと思いました。地方の大学だから聞いてくると思ったんですけどね。どういう医者になりたいかとか、これまで頑張ってきたこととかが聞かれました。
面接を受けていた人は、一次試験に受かった人はほぼ全員来ているんじゃないかなって思いました。私がいた教室は50人くらいいました。空席は2、3個あったかなというぐらいでした。荷物は試験時間中は前に預けるシステムでした。
面接時間は、あっというまで、10分程度で終わってしまいます。国立はみんなそうなのかもしれないんですけど、再面接っていうシステムがあって、人によってはもう一回面接があるから待っててくださいっていう形になっていました。試験官の中で意見が分かれたりしたときなのか…呼ばれなくてよかったです(笑)
私大の合格校もすべて2次面接重視の大学がそろっていますね。対策は?
面接対策では高橋優子先生にお世話になりました。何回も回を重ねて結構厳しめに見てもらったかなって思います。例えば、私はしゃべるときに「なんか」とか「つまり」とか言葉を挟んでしまう癖があって。それを指摘されて意識するようになったりとか。あとは解答に困るような質問を色々してもらって、どんなシチュエーションにも対応できるようにしてもらったんじゃないかと思います。
東京慈恵会の面接・小論文は私大でもっとも難しい!?
東京慈恵会医科大の2次試験は、日時によって集まる人数が違うみたいで、私のグループは30人くらいいました。30人が何チームに分かれました。面接時間は朝から14時くらいまでありました。ただ、面接を待っている時間というものはあまりなかったです。ブースがおおよそ人数分あったので。30個くらいのブースから、自分のチームに当てられた6個くらいのブースを回るという感じだったので。
★一会塾作成の対策シート(抜粋)
30個もブースがあって30人試験監がいるってことになりますね。場所によっては2人いるところもあった気がします。30人が5チームくらいに分かれて、チームの中でA、B、C、みたいに番号が振られてそれぞれ割り振られたところから始めるので1~6どのブースからスタートするかわからないんです。時間が来たら上のフロアの人とスイッチ。
1~3回の面接では独立した個室で、4~6回は壁に仕切られたブースっていう感じでした。
面接の雰囲気は微妙で、他の大学よりも頭ひねりました。でも焦らせるような圧迫感はないです。私、結構かんじゃったんですけど、「ああ大丈夫だよ、ゆっくりねー」という感じではありました。
6つのブースは、1つ以外は課題が決まっていて、それを粛々と進める。1つは受験生自信についての質問で、歩み寄ってくれている感じです。そこでは自己紹介お願いします、長所と短所お願いしますっていう典型的な部屋でした。私は短所を言う前に次の質問を聞かれちゃったんですけど、多分ここは本当に時間がないので、面接官もちょっと焦っていたのかもしれないです。
~1つの部屋につき7分。始まる前に1階では、30人が集まって一斉に説明~
あとは書類を書かされますね。合格した時の連絡先とか、本日の体調についてとか。そこで番号札をもらって、個人面接ではそれを服につけて回る。
そのあとが小論文です。小論文は自由作文型で今年のテーマは、『愚痴を言うと言った方はすっきりするが、言われた方はもやもやする』。現代文の問題みたいに解かされました。エッセイ的なものがA4で1枚分出されて、別の紙にお題が書いてあって、さらに別のが解答用紙、という感じです。なので何枚かがどさっと机に置いてある感じ。解答用紙は合わせて1200か1800字くらいだったと思います。
設問形式も独特で、テーマを決めてください、そのテーマを選んだ理由を教えてください、ではそのテーマで書いてください、みたいな流れだったのでかなり自由度が高いです。
よくある、下線も引いてない、書きたいものを書いてってね、という感じでした。
課題文の用紙に、『世界でたった一人だけの「自分」が考えたことを表現しようと努力する人を求めています』みたいなことが書いてあります。
私は、いじめが起こるプロセスの一例を上げて、その解決策について書きました。悪意の悪循環からいじめが起きるんだろうなっていうのを考察して書いてみました。
時間的には90分でしたが、ギリギリでした。1800字目一杯書いたので、周りはもっとはやく終わっていたと思います。下書き用紙も一応あったんですけど、あんまり使っている余裕はないかも、私はちょっとだけ使いました。
順天堂大の面接・小論文について
~―次に順天の二次試験についてお聞きしますね。今年は小論文から、朝日新聞の記事が出たんですね。『特攻隊員が爆弾を積んで敵軍に体当たりする30分前に取られた写真です』。うわあ、強烈ですね。『この隊員の気持ちになって家族に手紙を書いて、さらにどのような考えでそれを書いたかも答えなさい』。大変ですね?~
あはは、そうですよね。でも想像力で殴るみたいな問題は割と得意だったので。小論文は良く書けていると面接でも言ってもらいました。私は順天堂大は現役のときと再受験のときで、2回2次試験を受けているのですが、去年の面接のときの一番端の方は、「私は精神科医です」って申告していたんですけど、今年はそれがなかったです。でも今年も多分あの人精神科の人だなって。その人の前だけ箱…機械みたいなのがあって何か測っている感じでした。
順天堂は自分の資料を持参しても良いのですが、
賞状と、一会塾で高橋優子先生と作成したアルバムみたいなのを持って行って、あとは空手の黒帯とメダルと、それ入れた袋を横に並べました。
国際医療福祉大の2次面接(25分×2回)では・・・
1日に100人くらいの規模のはずですが、でも時間で結構分けられていたので人数の多さは感じませんでした。私は午前の中でも割と早い枠で、午前中に終わりました。呼ばれたのも最初から2番目くらいです。
~25分×2回、最初は3分で自己紹介してください~
はい、これは事前に優子先生とかなり練習したので出来たと思います。それから慶應薬で学んだことはなんですか、というのも聞かれました。
後半は自己紹介の後に、気になるニュースを聞かれて、『TikTokでホームレスをいじめる動画が拡散されている』ことを話したんです。これはたまたま新聞で見たことを話したので、事前に考えてはいなかったんですけど。まあ言えたのでオッケーという感じでした(笑)
その流れでSNSのデマ拡散の話に話題が移っていきました。
最初に気になるニュースをいくつか聞かれて、そのあとは、人が代わって「次は私が質問します、新薬の研究について~」と言われました。確か新薬開発について思うこと、知っていることを教えてくださいみたいな感じでした。「本当は新薬の治験は時間をかけてやらなければいけないけど、コロナの時は~」みたいな話をしました。このテーマ、もしかしたら私が薬学部だったから聞かれたのかなとも思いましたね、答えた後に「さすが薬学部の方、詳しい」と言ってもらえたので。
ひとしきり終わった後に「医師に必要な教養とは、入学後どう身につけるか」を聞かれました。
全体的によどみはしなかったんですけど、思っていたことを聞いてくれなかったかなという感想です。時事ネタもベタなやつは聞いてくれなかったし、違う角度から来たというか。薬学部の話もなんで辞めたの、とかはなかったし、意表を突くようなものが多かった気がします。
合格した瞬間のことを覚えていますか
合格を手にしたときは、やっぱり嬉しかったですね。受かるっていうのはもう単純に嬉しいです。特に京都府立医科大に合格したときは父も母も大変に喜んでくれました。泣
もともと私にとって国立医学部は、チャレンジというか、少し高望みの要素が大きかったと思います。「やるだけやってみよう、まあもしかしたらいけるんじゃね」っていうくらいの(笑)。母は楽観的というか『大丈夫、受かるよ!』って感じだったんですけど、それでも受かったときはやはり、とても喜んでくれましたね。私もうれしかったです。
スタッフや優子先生によると・・・、都築さんは一筋縄ではいかない、紆余曲折があった人で…。学校の方でも大変だったと伺いましたが、なにか、その・・・問題児だったとかそういうことはあるんでしょうか(笑)
だいぶ問題児だったと思います(笑) 物忘れがひどくて、宿題も結構な確率で忘れてました。慶應(?)で成績悪いのも多分そのせいなんですよ。小学生のころからそうで、2年生くらいに怖いおばちゃん先生が連絡帳に「何回言ったら分かるんですか」って書かれたり。ずっとそんな感じだったんです。周りの大人から見ると、たぶん、ひやひやするような子どもだったと思います(笑) それでも本人はあまり動ぜずに、これが自分の普通だしなっていう感じでした(笑)
だから一会塾でも、関さんにはもう、『ケツをたたかれていた』っていう表現が一番ぴったりです。色々忘れがちな私には一会塾が、本当に合っていたんじゃないかなって。「あれはこうした方がいい」「あれやった?」「これやった?」みたいに色々確認してくれたりとか、かなり気にかけてもらったなと思います。
―本当にすごい短期決戦を制しましたねー
でもこれで良かったんだろうなって思います。たぶん私は1年やるとなると(心も体も)持たなかっただろうなって(笑) 思っています。
これからは京都で1人暮らしですね・・・
―医学部受験では、願書も不備なく行けたということですが、ここからは1人でやらないといけない。
そうですね…これから1人暮らしだし、頑張ってみるしかないですね(笑)
―やばくなる前に連絡ください、関さんに(笑)
あはは(笑)、はい。
―京都に行った際にはぜひキャンパスを案内してください。本日はありがとうございました。
ぜひ。ありがとうございました。
【高橋優子先生からのコメントをいただきました】
心身共に本当につらいときに戻ってきてくださって、しかもここでまた始めるにあたりみんなに気を使って(秋からの途中参加だったため)、彼女は肩身の狭い縮こもった様子でした。私は、堂々としていてほしいと思って声をかけさせていただいたりしていました。
特に印象に残っているのは願書作成会の時の出来事です。都築陽世さんは、去年と同じように志望理由を書いていたのですが、それがどうにも心に届いてこない、説得力に欠けるように感じられました。そこで、こちらも勇気を出して「これでは大学には響かないよ」、と声をかけさせていただいたのですが、元々柔軟性のある彼女はすぐに気がついてくれました。そのときの原点回帰が彼女の合格を決めたと確信しています。別の部屋で二人になって、たくさん泣きながら、「書いてきたこと、実はそうじゃない」と今まで抱えてきたデリケートな部分もすべてさらけ出してくれました。向き合いたくないところにしっかり向き合った彼女が仕上げた志望理由は以前とは根本が異なる、変化を遂げたものになりました。陽世さん自身もあの時のことは絶対に忘れられない出来事だったと思います。
面接対策のほうも、安心せず一つずつ丁寧に対策に取り組みました。校舎の中で自習室を一番最後まで使い切ったのは彼女です。まさにこの合格は成すべくして成したものです。
ぜひここからは自信をもって自己肯定感を上げてほしいですね。陽世さんは、痛みを持っているからこそ、繊細なキャッチができるいい医師になります。みんなが彼女を求めて、彼女を好きになるはずです。先生になられたら絶対に会いに行こうと思っています(笑)。