川崎はるかさん 東京女子医科大学 医学部医学科(横浜市立東高校)
インタビュアー:関
(川崎さんは、思ったことをしっかりと口にするタイプでした笑 ストレートに生きている。何事にも本気で向かう芯のしっかりした女性でした。そんな川崎さんは途中何度も志望に悩んだり、勉強が思うようにできなかったときの落ち込みも人より激しかったかと思います。でも塾を頼りにしてくれていましたし、やりなさいって言ったことはきちんとやりきるタイプだったので指導のやりがいを感じていました。それだけに合格の瞬間は本当にうれしかったです)
全部ベクトルで考えたらいいなって思う。勉強にしたって何にしたって、量だけじゃなくて向きが大事。どこに向かって何を目的にしているのか。これから受験をする人達には、しっかり目的意識を持って、結果に注目して頑張ってほしいなって思います。
(関) 大学に入って半年たちましたが、大学生活はいかがですか。
(川崎) 普通の大学生をやっていると思っています。
(関) 医学部に一番入りたいと思って進学したと思うんだけれども、唯一女子だけの医学部ということや、勉強について、半年学んでみて、入学する前の期待と、入ってみてからの印象というところの差がもしあれば、教えてもらってもいいですか。
(川崎) 特に女子医に期待して入ったというわけではないので、そんなにないです。
(関) 入って、意外とここはよかったとか、思ったのと違ったなというのは何かありますか。
(川崎) よかったのは先生たちが、めっちゃ優しくしてくれて、冷蔵庫とか使わせてくれるし、お菓子もくれるし、ココアも入れてくれるし(笑)、質問に行ったり遊びに行ったりして、あとは卵からひよこにしたり、そういう何でもやらせてくれるところ。自分もそういう研究とか、1年生だからそんなに大がかりではないけど、そういうのができて、先生の研究を間近で見られるのがすごくいいです。思ったより近いなという感じがして、よかったです。
(関) 最近研究のお手伝いをちょっとさせてもらって、面白かった実験とか、やっていることとか何かありますか。
(担当スタッフ 関)
(川崎) 吸光度計が好きで、いろいろな液を入れたり出したりして楽しんでいます。
(関) 最近の趣味みたいなこと。
(川崎) 私専用の1台があるぐらい。使っていないのがあるからって。
(関) 先生が貸してくれるんだ。その研究室に行けば専用のものが。もちろんそれは、持ち帰ったりしない。
(川崎) 持ち帰れないです。
(関) 医学部の面接とちょっと重なる部分はあるかと思いますが、いくつかの受験を経験したり、川崎さんの場合は環境が変わったりとか、これまでに色々あったと思うんだけれども、小学生、中学生、高校生のそれぞれの時に、どんなふうに生活を送っていたかを教えてもらってもいいですか。まず小学生からいこうかな。
(川崎) 小学生の頃は、そんなに暗くも明るくもなかったんですけど、取りあえずすごく負けず嫌いで、男子とけんかとかしていたような気がする。本を読むのが好きで、友達と遊ぶとかはそんなにしなくて、帰ってすぐに本を読んでいたみたいな。妹がいたから、妹も友達みたいな感じで、折り紙とか縄跳びとか、結構幅広い遊びを一緒にやっていて。6年生になってからは受験をしなさいということで日能研という塾に連れていかれ、勉強をさせられ、国語と数学だけは満点で、いつも本当に9割は絶対に取れるみたいな感じだったんですけど、社会が本当にできなくて、毎回3点とか5点とか取って、、その頃から暗記が嫌いになったんです。
(関) 中学受験は、どっちかというと暗記ものが多いよね。理科は。
(川崎) 理科は普通ぐらい。だいたい平均点は取れていたかな。でも地学だけは好きじゃなくて。
(関) 暗記ものが多いのが一番の理由かな、きっと。
(川崎) でも、生物は好きだった。
(関) その頃は生物が好きだったのね。
(川崎) その頃は国語も好きだった。
(関) それで中学受験をして、1回私立の学校に入ったよね。何年生まで通っていたの。
(川崎) 中3の途中までいて。
(関) その後に1回どこに行ったっけ。
(川崎) アメリカのカリフォルニア、高校2年生まで。だから中学は、卒業できていないです。
(関) 向こうで高校に入学して、そこで生活を送っていた訳だけど、日本からいざ出てみて、ある程度自分の知識とか考え方とか徐々に出来上がってきている時期だったと思うんだけど、全然生活環境も違うところに行って、大変だったこととか、その辺で印象に残っていることってありますか。
(川崎) アメリカに行く前に、アメリカに行くかどうか自分で決めていいよって言われたんです。行きたいかどうか聞かれたときに、正直別に行きたいとは思っていなくて、でもそのころ中3で、もうすぐ大学受験のこととかも考えなきゃいけないみたいな感じで。中学の時は勉強しなくてもオール5みたいな感じで、めっちゃ成績もよくて、何も不自由がなくて。それだから親も大学のことを期待して、そのプレッシャーが自分にはすごく重くて。成績だけを見たら父が期待するのは分かるけど、本当は自分で何もやっていないというのがあったから、それから逃げたくてアメリカに行ったんですけど。
アメリカに行ったらそれが全然変わって、大学受験前でもみんなめっちゃ遊ぶし、先生もテスト持ち込み可にしたり、結構緩い感じで、そんなに勉強せずで。帰国生は英語を学ぶのが大変というけど、私は別に英語を学ぶのは大変じゃなくて、ただ遊んで本を読むのが好きだったし、パソコンをいじるのも好きだし、そういう好きなことを全部やっていたという感じ。
(関) 向こうに行って、たぶん食生活も変わったと思うけど、そういうので苦労したことってありましたか。
(川崎) 食生活は正直全然何も食べたくなくて。味が濃いものとか、ちょっと日本と味が違うものが多くて。それは結構お母さんの手料理とか、そういうものばかり食べていて、ジャンクフードは全然食べたことがなかった。だから アメリカの食生活は結構なじめなくて、カロリーメイトとか食べていました(笑)
(関) 日本食は、向こうで食べたりしていたの。
(川崎) レストランとかあったけど、そんなに行っていなかったです。
(関) 本当はちゃんとご飯が食べられるはずなのに、向こうの食生活が合わなくて、固いものばかり食べていた。向こうに行って勉強のことで、すごく大きく困ったとかは特には無かった?
(川崎) 無かった訳ではなくて。
(関) 何かすごく苦労したこととか、覚えていることはありますか。
(川崎) アメリカに来て一番最初の宿題がプレゼンテーションで、日本ではPowerPointとかやったことがなかったから、えっ、これはどうやって作るんだろうみたいな、そういうのでめっちゃ困りました。
(関) パソコンとかは、自分で頑張って触って覚えてという感じ。周りの友達とかは、結構教えてくれたりしたの。
(川崎) 結構生徒同士で助け合うシステムみたいなものがあって、自分から申請すればチューターとか付けられて。生徒が困らないようにみたいな配慮が、結構ありました。
(関) それは日本と結構違うところかもしれないね。高校2年生、実質3年生のちょっと前に、日本に帰ってきたんだよね。こっちに帰ってきてから高校に編入して、そこからすぐに大学受験のことを考えなきゃいけなくなったんだよね。
(川崎) はい。
(関) こっちに戻ってきてから、大学受験ってすぐに言われたと思うんだけど、その頃ってどういうふうに考えていましたか。大学、どうしようかなとか。
(川崎) 実は大学は入る気はなかったし、アメリカに行って帰ってきた後は、かなり勉強から遠ざかっていたので、親も正直残念に思っていたとは思うけど、そんなに押しつけなくなってきて、好きにすればみたいな感じでした。母も別に就職すればみたいな感じで。私もそれでいいかなとは思っていたんですけど、今のままじゃ人付き合いも上手くできないし、気を使うのもできないし、愛想もできないし、それで高卒で就職したって、絶対に後で困るだけだなと思って。だったら小説家にでもなろうかなと思ったけど、どうせ小説家になって苦労するなら、同じ苦労で大学に入った方がいいんじゃないかみたいな。大学に入って研究者になれば、私の人格が欠けていようと、多少は自分の居心地のいい場所が見つけられるんじゃないかと思って、高校3年生の終盤、寒くなるくらいの時期に、そういうふうに思って勉強を始めたんです。
(関) その時に、自分の中で魅力に感じたのは医学だったんですね。そこから一会塾に入るってなった時に、たぶん塾を選ぶに当たって基準があったと思うんだけど、何が一番決め手になって入ったの。
(川崎) 場所が、歩いて通える場所だったことが大きいです。
(関) 一会塾で受験生活をして、やってみて印象に残っていることは。授業でもいいし、例えばスタッフさんでもいいし、何でもいいんだけど、すごく強く印象に残っていることとか何かあれば、教えてください。
(川崎) いいところを見つけようとしてくれる先生が多くて、鍋谷先生も普段はめっちゃディスってくるけど(笑)、読むのが早いとか、そういういいところも見つけてくれて、単語も覚えていないけど、普通の学校の先生だったら、日本語に直せないから分かっていないじゃんって、めっちゃ怒られるところも、鍋谷先生はそういうのは、分かっているんだよねと理解してくれて。川原先生も、本当は物理寄りだよねというふうにわかってくれていたり、ちゃんと見てくれている先生が多かったのが印象的です。
(英語科 鍋谷先生)
(化学科 川原先生)
(関) 塾の授業はいろいろ受けたと思うんだけれども、授業を受けてみて成績が上がった、できるようになったなと実感した授業とか、もしあれば教えてほしいのと、いつぐらいにそれを自分の肌で感じたかという、その時期も覚えていたら、教えてもらっていいですか。
(関) この授業を受けたことによって、勉強の仕方が変わったとか、こうやって考えるんだって気付けた授業とかって何かありますか。
(川崎) 鍋谷先生の普通の英語の授業と、化学のいつもの授業。いつも受けているのは、そうだったと思います。
(関) 化学は、どの辺が印象に残っているの。具体的に授業の単元とか、何か覚えていれば。
(川崎) 超ゼロからスタートで、いきなりハイレベルの授業に入って、ハイレベルって何がハイレベルなんだろうって思っていたんですけど、電気分解とかも知らないし、電気分解をするってどういうことって思っていたんですけど、そういうのを一からというかゼロからやってくれたのは、本当に勉強の仕方が分かるというか、こうすればいいんだなって分かるというのはあったし、先生もわたし用に細々覚えなくてもできるやり方とか、いろいろ先生が持っていて、そういうのを教えてくれて、それでこうすればいいんだという勉強の仕方みたいな、解き方みたないのは、すごくいっぱい得られた。
(関) 学部が医学部の志望だったので、面接の対策とか、いわゆる志望入塾準備で一会塾のコミュニケーション個別も受講してもらったと思うんだけど、あの授業を受ける前と、受けた後で、自分の中で変わったなとか実感していることとか、その授業で印象に残っていることがあれば教えてください。
(川崎) 最初志望理由書を自分で考えたときは、本当に自分ってつまらない人間だなって思ったけど、その後 優子さんが見てくれて書き直してみると、自分ってこんなにいいところがあったんだなって思えて、自分でも医学部に行ってもいいんじゃないかなという気持ちになりました。
(面接コミュニケーション講師 高橋優子)
(関) 優子さんと話していると、色々変われるものとか、変わったこととか、自分の中であったんだね。
(川崎) やっぱりすごく当たり前のことだけど、人に当たり前みたいにいいことを言ってあげるとか、自分が何かそういうことをしようと思っても、絶対どうしようって、何を言っていいか分からなくなっちゃうから、そういうところを見ると、こういうことができるって本当に特別なことだなって思う。
(関) 結構あの授業は、自分の中で影響が大きかったなって思っているかな。
(川崎) 思っています。
(関) これからラストスパートに向けて頑張っていく受験生が沢山いるんだけど、川崎さんが、そんな受験生達にアドバイスをするとしたら、どんなことをアドバイスしますか。
(川崎) 全部ベクトルで考えたらいいなって思っていて、たぶん量だけじゃなくて、勉強にしても量だけじゃだめで、向きが大事で。でもみんなは何時間やったとか、何を何冊読んだとか。私はそういうことを聞かれても、そういうのを聞かされても、だから何、それはすごいの?って思うことがいっぱいあって。それはどこに向けられた努力なのか、努力の方向が違えば、その努力ってまったく何の役にも立たないのと一緒だし、努力の量はこれくらい小さかったとしても、それがすごくいい方向に行って、色々なことができるようになったなら、それは有益なことだと思うし。やっぱりどこに向かって何を目的にしているのかというのはすごく大事だと思う。個別の勉強だけではなくて大元の、自分がどうして大学に行きたいのかとか、そういうところまでしっかり目的意識を持って、結果に注目して頑張ってほしいなって思います。
(関) じゃあ、これから医学部をまだまだ目指している子は沢山いるんだけど、もし川崎さんが行っている東京女子医科大学に、ちょっと入りたいなと思っているんですけど、どんなところがいいところですかって聞かれたら、中を分かっている生徒として、うちの大学はこういうところがいいよというところがもしあったら、教えてください。
(川崎) 女子医は先生が質問を歓迎してくれる、質問に来てほしいと思っているような先生達で、大学の先生って授業が分からないとか、何を言っているのか分からないとか、そういう印象があるかもしれないけど、女子医の先生は会いに来てほしいと思っているから、質問とか、ただ行って質問を聞いて帰るだけでも、すごくやりやすくて、ただ普通にメールしていいよって言って、率直に分からないことを聞いても怒ったりしないし、質問にすごく親切で。
(関) それはすごくいいね。
(川崎) そうですよね。すごくいいですし、あと1科目でも落としたら留年とか、そんな感じじゃなくて。それはそうなんですけど、本試があって追試があって、さらに補講があって、それでもだめだったら落ちるっていう。補講を受けて落ちる人はいないので、苦手な科目が1科目ぐらいだったら本当に全然大丈夫なので、卒業できるので。
(関) 分かりました。じゃあ、今日のインタビューは以上になります。お疲れさまでした。
(川崎) ありがとうございました。