東京慈恵会医科大学 医学部
坂本祐太郎さん 私立芝高校卒
≪その他の合格大学≫ 受験した日程順に記載 私大全勝!おめでとう
① 国際医療福祉大学 医学部 ※面接がポイント
② 杏林大学 医学部 ※圧迫面接がポイント
③ 帝京大学 医学部
④ 北里大学 医学部 (昭和の1次と重なり2次辞退)
⑤ 日本医科大学 医学部 ※2次の集団討論がポイント
⑥ 順天堂大学 医学部
⑦ 昭和大学 医学部 (日医の2次と重なり2次辞退)
⑧ 東邦大学 医学部
⑨ 東京医科大学 医学部 (2次辞退)
一会塾を選んだ一番の理由は?中学受験で通ってよかった塾と規模も雰囲気も似ていたとお聞きしましたが、中学受験時の塾について教えてください。
小学生の時、最初は(3大)大手中学受験進学塾の1つに通っていました。大きな規模の校舎でした。
大手塾にありがちな「先生!」と呼ばないと質問できない状況、自分から質問する場を用意することが自分には合っていなかった。合っていないということは自分でも理解していましたが、そのあたりは両親が主導して動いてくれました。先生に質問しづらいと感じている状況で、親は塾の方針に対して少しずつ不安が募りだして、僕に対しても怒っていました(笑)。
そして通い始めた塾が、学習会という目黒区大岡山にある個別指導塾です。1クラスは6人ほどの規模で雰囲気は一会塾に似ていました。先生もいい意味で厳しかったので自然と勉強することが習慣化されました。生徒の人数が少なかったこともあり、仲も良くなりました。仲良くなればなるほど「負けたくない」と思い、モチベーションにつながりました。
浪人時代で一会塾を選んだ理由は?
中学高校の現役時代の6年間は誰もが知る代々木にある大手大学受験予備校(以下、T会)に通いました。いわゆる東大出身の先生が教えているところですね(笑)。合っているとは感じていなかったけれど、ブランド力もあったので通い続けていました。なので、浪人することが決まった時点で起死回生を狙うなら、中学受験時代の塾のようなところに通うことは決めていました。
現役生時代は理科が苦手でした。数学を強みにしている塾はたくさんあったけれど、理科を強みとして個人に合わせてくれるところはほとんどありませんでした。一会塾はすでに、自分の友達も2人ほど通っていたので名前は聞いたことがあるという程度で、塾を選ぶ際の候補に入れていました。
一会塾に対して抱いたイメージについて
医学部専門予備校など体験は5つくらい、大手も全て行きました。他の予備校と比較して一会塾は自由で人が温かくて過ごしやすい点がいいなと思いました。授業も自分で選んで組みやすい点と、自習室の充実度にも魅力を感じました。教材はT会のものを使用しようと考えていたので、質問が出た時にすぐに聞けて、先生たちも自分をあたたかく支えてくれるところを探していました。あとは、やる気が起きない時にも塾に足を運ぼうと思えるところが良かったです。
現役のとき弱かった物理と化学の成績はどうやって伸びた?
授業は通常授業で化学の川原先生と物理の真木先生、個別授業で鳥田先生と千葉先生にお世話になりました。個別だけでもいいと思っていたくらいでしたが、必要性を感じた時に個別を入れるというスタイルから始めました。その後、川原先生の後押しを受けてクラス授業を受けるようになりました。クラス授業にも入って本当に良かったです。
また、他の予備校であれば、カバーしきれていないような医学部受験に特化した教材がとても良かったです。テキストを辞書のように使っていました。物理のテキストでは演習問題の★2までを完璧にしました。目で見て解法をすぐに言えるところまで極めた結果、日医の問題を見た時にすぐに解法が思いつきました。満点を狙えるところまで行けたのはあの緑のテキストのおかげです。
偏差値の変移
化学は47から72、物理は42から75になりました。
初めは英数で点を稼いで、化学と物理は偏差値60を超えればいいかなと思っていたが、逆転しました。最後は数学が足を引っ張っているくらいでした。(笑)
実際に医学部受験での各教科の出来具合は?
共通テストの結果は、物理が100点、化学が87点、英語が191点、数学ⅠAが92点、数学ⅡBが97点、国語が151点、社会(地理)が72点でした。
苦手だった数学の本番での手ごたえは・・・・・
おかげさまで慈恵はうまくいきました。3科目めが数学でしたが、その前の物化がうまくいっていたので、波に乗れました。慈恵の数学はもともと難しくて、大問1の確率が合っていれば補欠が狙えるくらい。今回は大問の1、2、3は完答、大問4の半分くらいまで解けて、数学はうまくいったなと感じました。
杏林は難しすぎて、周りには「お腹痛い」って誤魔化してました。(笑) その前の年までは9割取れていたのに、今年は3割しか取れませんでした。
順天は5割いくかなと思いつつも、試験後のて手ごたえとしては3割でしたが、採点結果は5割5分取れていました。
国際医療福祉は9割取れました。穴埋め形式で数Ⅲの立体積分が出るかどうかで難易度が変わります。複雑な数字が答えで出ると穴埋めにハマらず焦って、気づいたら時間が過ぎてしまいます。
日医は3割しか取れなかった。それでも理科ができたこともあり、正規合格をいただけました。友達の話では、数学が2割しか取れていなくても合格をもらえていました。逆に数学が苦手な人が受けたほうがいいかも知れません。(笑)
数学で難しかったところは日医、北里、杏林、順天です。慈恵はうまく行きましたが、難しかったと思います。国際医療福祉、杏林、北里、帝京に関しては過去問だと9割取れていました。
国際医療福祉の数学は高得点でしたが、英語についてはどう?
他の教科と比べると難しいです。スピード勝負なのと、単語が難しいです。見たことのない単語を予想して解く能力が必要で、文字数が多いです。英語ではあまり点を稼ぐことができませんでした。
理科を極めるべき理由
医学部の物理は複合問題で難しいけれど、化学は有機と無機で単発問題が多いので浪人生は満点を狙うべきだと思います。物理は6割取れることを狙いました。共通テストは物理が満点で20分ほど時間が余りました。
医学部の志望理由や面接対策について
志望理由書は10月頃に対策を始めました。一度、夏に推薦の話が出たのですが、勉強に集中したかったため推薦を狙うことはやめました。
慈恵、帝京は志望理由書は必要ありませんが、他は大抵、志望理由書が必要になります。
志望理由書は国際医療福祉から書き始めることを強くおすすめします。字数が1000文字なので、はじめに1500字くらいで志望理由を作成してから、様々な大学に合わせて要約していくスタイルがいいです。願書作成会に参加して高橋優子先生にサポートしていただきました。
普通であれば大学の志望理由を書くと思うのですが、自分は将来の夢を語りました。祖母の大腸がんと膵臓がんの経験から、将来は消化器系の医師を目指しています。がん家系であるため、自分の代で打ち切りたいという強い思いがあり、その点を中心に展開していきました。
1次試験をたくさん通過された分、2次試験も大変だったのではないかと思いますが、いかがですか?
2次試験は最初の試験だった国際医療福祉大がとても印象的に残っていますね。25分×2回の合計50分の試験です。面接という緊張感のある中で、素の自分を出しすぎないように注意することが大変でした。試験の開催時期が早いため、受けるかどうか悩む人も多いと思いますが、最初に国際医療福祉を受けたことで後が楽に感じましたし、その後の試験に対するスイッチにもなりました。
日医の集団討論は4人グループでした。(一会塾で開催される集団討論対策)メディベートの経験がとても役に立ちました。僕はリーダーを補佐する立場について、意見出しの役割を担いました。メディベートから活かせたこととしては、自分が知っている課題内容の時にはリーダーに立候補はせず、意見出しの役割を担い、課題内容に自信がない時にはリーダーを務めて周りから意見を引き出すということでした。
順天の試験では自作のアルバムを持参しました※。面接官は6人いて、アルバムを受け取った面接官の先生からは最後に質問が来ました。留学の話、生徒会、バレー部と13年間続けている水泳の話をしました。その他にも高校の成績で1位になった強みもあります。このアルバムは順天の試験のために作成して、自分だけでなく両親にとっても思い出が詰まっています。
※順天堂に持参したアルバムの一部
現役のときの受験について(面接試験の重要性を実感!)
秋田大と北海道大を受けました。秋田大は教科試験と面接試験の割合が1対1で面接の配分がとても高かったです。この経験もあり、国際医療福祉での面接の評価配分の高さには納得がいっています。
また、御三家と国際医療福祉も受けました。現役時代で2次まで行けなかった国際医療福祉が浪人時代2次試験一発目ということもあり、とても印象的な試験でした。
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東京慈恵会の面接(MMI※)について。印象に残っている部屋は?
※MMIとは・・・5分程度の短いインタビューを数回(3回から6回ほど)サーキット方式で繰り返し、受験生のコミュニケーション・スキル等を客観的に判定する面接試験
慈恵のMMI面接は7分×6部屋あって1つを除いては自信がありました。コミュニケーション能力を測っているなという面では、先生と意気投合し、向こうの感触を引き出せたことから自信がありました。
印象的だった部屋は「指示されたことをその通りできるか」という部屋です。「そこにあるものを運び、ちぎって黒板に貼ってください」などというコミュニケーションとは別のところを測られていてとても興味深かったです。サランラップを使う場面で切りづらかったことが受験生の中では話題になりました。ここでも無理やりちぎってしまう人よりも、使い方を素直に聞くことができる人材が求められているのかなと感じました。
また、一番難しかった部屋は、複数の資料を見てわかることを説明するといった内容でした。各国の石油の量についての資料や、年毎の変化の資料などを見せられましたが、それらにはなんらの規則性も法則性も見出すことができませんでした。試験官の先生から何か引き出せないかなと思いながらも、考えるふりをしたりしていました。(笑) 隣の部屋で話している声も聞こえたので、少し参考にしました。黙ってしまうよりも何かしらのリアクションをすることが求められていたのだと思います。
反対に、うまくいった部屋は、自己紹介をする部屋で、試験官の笑いも取りました。面白かった部屋は、絵をみて物語を作成する部屋です。四コマ漫画の最後の一コマを考えるという内容で、ハッピーエンドを選んだところ、試験管から性格がポジティブなんですねと言われました。練習はしませんでしたが、過去の試験資料は事前に読みました。本番は全てアドリブで行いました。
東京慈恵会で謎の多い小論文試験については…
まず、2次試験の小論文は文章をA4で2ページくらい読んで、傍線部が引かれている部分について(数箇所の内どれか)1200字から1800字以内で述べるというものでした。場所は西新橋校の講堂でした。東京慈恵会の2次試験は3日ありましたので、3日間の中の1日での試験のことで、毎日、その形式かまでは不明です。
かなり時間が厳しかったのを覚えているのですが、たしか文章読んですぐに書き始めないときつい感じだったと記憶しています。面接のMMIの後に小論文をやる順番となっていました。
杏林大学の面接はかなりの圧迫面接だったと聞いたけど…
去年も圧迫面接だったそうです。面接官は2人いて、共感のない聞き方や、足を組んでいるといった態度でした。そこに対して、どれだけ誠実に受け答えができるかを見ているのかなと思ったので乗り切って正規合格をいただきました。
最後に東京慈恵会に通ってみての感想を教えてください。
通っていた芝高校と校風が近いところがとても良いです。東京慈恵会というと質実剛健なイメージがありましたが、意外に自由な部分があるんですよ(笑)。また、入学して最初に「上下関係が大事です」という話を聞いて、緊張しながら授業も出席していましたが、生徒も先生もフレンドリーな方が多く、安心しました。医学科だから真面目に授業を受けているよりというよりも、ここまで頑張った分、大学では楽しみたいという気持ちが強いです。最初は自分も含めみんなが真面目なふりをしていましたが、6月には本性が顕になりました。(笑) 要領がいいのも慈恵会の特徴なのかも知れません。(笑)
慈恵会は一年生が一番きついです。学年が上がると、知識の授業などは全てオンラインになって、対面である必要がない授業には行く必要がありません。このオンライン化はコロナの流行前からだという話も聞きました。1年生は週5で登校していますが、2年生からは週3になります。自分の時間を作ることもできるので、より充実した大学生活を送れるという面でも慈恵はとてもおすすめです。