東海大学 医学部 医学科
岡田真衣さん(ICU高校)
~中高一貫校から高校受験でICUへ。医学部志望のきっかけはICU高校で国連に勤める先輩医師の話を聞いたことでした。医学部志望者のほとんどいない高校から医学部受験に挑戦!そして一会塾との出会い。紆余曲折を経ての医学部合格~
おめでとうございます。一次試験、たくさん通られましたね。
一次は5個です。そのうち2つは二次を辞退して…他の所と被ってしまったので。
≪1次通過の医学部≫
北里大学 医学部
聖マリアンナ医科大
帝京大 医学部(2次辞退)
埼玉医科大 医学部(2次辞退)
東海大学 医学部(進学)
やはり東海大学は優先順位が高かったんですね。お兄さまが東海大学の医学部でした、それも東海を選んだ一因ですか
はい、兄も同じです。なので心強いとは思ってます(笑) でも、兄のことはあまり意識してなかったです。
医学部を目指した経緯を教えてください。
医学部は中学までは全然考えてなくて。高校は、受験で入ったんですけど、もしかしたら今後医学部受験の可能性があるかもしれないって思っていたので、がっつり附属校という学校は選ばないで、外に出ることを考えた学校にしました。それで入学して、高1くらいの時に、学校の講演で国連の方が来てくださったことがあったんです。その内容が自分にとっては結構衝撃的な内容でした。
国連の方は外国人の方でしたか?
日本人の方でした。たぶんICU出身の方だったと思います。その方の話を聞いて、私も将来医師として、発展途上国の支援に携わりたいなと思うようになりました。そこからちょっとずつ考え始めたんですけど、その時はまだ本気で勉強って感じではなかったです。
国連の方ですときっと、国境なき医師団とかの話だったのかな。それでびびっと来たっていう感じで。中学校は桐朋女子。こちらは中学受験して入られたんですか。
小学校が桐朋学園小学校っていう私立の所で、桐朋学園中学校へはそのまま進級しました。その後、外に出ようと思って、高校受験でICUを受けました。私は中学で陸上部に所属していたんですけど、他の部活よりも先輩と話す機会が多い部活だったんですよね。そういう中で、中高合同で部活動はやるので、高校生の先輩からよく話を聞いていました。それを聞く上で、中学生ながらに将来の自分の高校生活が思い描けてしまって…それはちょっと面白くないなって思い、一度外の世界へ出てみようと思いました。
それで早稲田アカデミーさんに通って、高校受験でICU高校に行かれたんですね。ICUって偏差値70くらいはありますよね。どのくらい勉強されたんですか
1年間くらいでした。英語は比較的ずっと得意だったということも志望校を選んだ理由の1つでした。
ICU入っていかがでしたか。今までと違うところは、ありましたか。
そうですね(笑) 英語での授業とか…でも慣れですねあれは。英会話とかも中学のころと比べたら上達したかなと思います。
それで高1の時に国連の方の講演会を聞いて、医学部いいなと思ったと。発展途上国の支援に女医さんとして行くというのは、そんな簡単にできない険しい道だと普通は思いますが、周りの反応はどうでしたか。
両親はすごくその選択を応援してくれました。でも、私、友達には自分が医学部志望だってギリギリまで言ってなかったです。学力が全然足りてなかったので言うのが恥ずかしくて…。「その学力で医学部なんて何言ってんの?」みたいな反応されるんじゃないかって思ってました。
ICUの中で理系に進んで、ICUは文系のイメージが強いのですが、理系の勉強はいかがでしたか。
あんまり勉強、勉強って感じはありませんでした… (笑) みんな結構、推薦を取ってしまうのもあって。3分の1が推薦で内部進学、もう3分の1が推薦で他の大学へ、残りが一般受験という具合でした。医学部を受ける人は、同級生ではほぼいなかったと思います。
高校3年生のときの受験勉強の様子を教えてください。
単純に勉強不足でした。勉強時間が全然足りてなかったです。今、浪人して合格してふり返ると、自分で「何でこの勉強をやってるのか」っていうのを理解してなかったですね。例えばこれは基礎力を上げるためにやってるんだとか、そういう目的意識がなかったように思います。ただでやってる状態でした。
そのような形で、現役の受験のときは、医大を4つくらい受けましたが、手ごたえをつけめないまま、入試が終わってしまったという感じでした。
たくさんの予備校の中で一会塾を選ばれた理由はなんでしたか
やっぱり、いつもスタッフの方がすごい気にかけてくれたことですね。私はとても人見知りなので自分からグイグイいく感じじゃないんですけど。でも一会塾の先生方は向こうからどんどん声をかけてくれて、私にとって孤独じゃないと思える塾でした。
現役時と浪人されたときで、学力はどの程度差がついたでしょうか。特に入試のときの手ごたえはいかがでしたか
それが、受験当日、手が動くんですよ(笑)。問題見て、確実にとまではいかなくても、とりあえずこれで解いてみようって手を動かせて、違ったらこっちだなってすぐ軌道修正できたりとか。そういう、解法がすぐに思いつくようになったところはとても差を実感しましたね。
―量と質、両方上げられたと思うんですけど、各科目、どんな風に力をつけていったんですか。
数学は本当に先生の授業の問題しかやってないです。仲野先生の授業では毎回小テストがあってしかもそれが張り出されるんですけど、悪い点数取りたくないと思ってそこをモチベーションに何回も復習しました。
生物は、得意というよりは好きでしたね。勉強するのも苦じゃなくて、私にとっては息抜きが生物という感じでした(笑)。
高橋靖先生の授業では、年間の授業の進め方がすごく自分に合っていたなと感じます。夏までは、知識をずっと入れて、夏からは徐々にレベルを上げて問題演習ができて。そこでいっぱい記述式の問題もたくさん解いたので、しっかり記述力も身についたなって思います。
逆に化学は本当に嫌いでした(泣)。数学よりももっと嫌いで、授業も苦痛だったんです(笑) 授業受けて、復習しての繰り返しで、たまに昔の単元とか振り返って復習とかしてみると、そのたびに忘れてて。「まだこれもできるようになってない」っていうことが本当に苦痛で。やるしかなかったです最後は。
高3のときから英語は得意だったそうですが、たとえばメディカル英語という授業でさらに磨きがかかった感じでしたか
鍋谷先生の授業でメディカル英語(医療系英語)をかなりやりこんだので、入試本番でびっくりするようなこともなくなりました。私は結構感覚で読んでいっちゃうタイプだったんですけど、鍋谷先生は一文一文の構造を解体して教えてくれるので、そこを新しい視点として入れました。(鍋谷先生の授業を受けてからは)普段は速読気味に、早く読んで行くのですが、仮に分かりにくい英文に出会っても、きちんと分析できるようになっていました。つまり、英語の読み方において緩急がつけて読むことができるようになっていました。英語と生物でかせいで合格するというのが私の戦略でした!(笑)。
小論文や面接・志望理由の対策はどのようにされましたか?
そうですね。メディカル小論文の先生に添削してもらったことで自分では絶対思いつかないような構成が作れたり、面接対策では、色々深堀りして私のことを聞いてくれたので、自分でも「あ、そういえばこんなエピソードあったな」とかそういう発見がありました。志望理由に関しては、先生との対話を通じて完成させていきました。私は、中学の陸上部で、同学年の中でも私一人だけ得意な種目が無かったんです。他の同級生は短距離がすごい得意だったり、高跳び・幅跳びがあったり、色んな分野にそれぞれ『この分野ならこの子』っていうのがあったんですけどね。私は全然そういうのが無くて、中学2年生の時に一回それをやだな、と思った出来事があって。それでその時に、自分は選手としての功績としては部に貢献できないかもしれないけど、他のことで頑張ろうと思い直したんですよね。だから練習に一番早く来て準備したり、声出しをすごい頑張ったり、練習に絶対に休まないで行ったり、そういうのを重ねて、そしたら先輩が「よく頑張ってるから、記録も伸びると思うよ」って声をかけてくださることもありました。最終的に私は中距離走が自分に合ってるなっていうのを見つられて、納得いく形で3年間を終わることができました。という話を書きました。
そうやって書いた志望理由は実際の医学部の2次試験では聞かれましたか。
はい、ICU高校ことは、よく関心をもって聞かれました。特に北里と聖マリでは「英語は強いんですかとか?」などと。
受験生活を振り返って、これから受験生する人へのアドバイスはありますか。
頑張っていれば、1年間本当にあっという間だったなって思います。なので、本当に1日1日を大切に頑張ってやって欲しいでしね。
受験当日のことなどお聞きします。連続日程での医学部受験、大変ではなかったですか。
よく分からないですけど(笑) 元々健康だし、精神的にもそんなに波がある方ではないので。普通にがんばれました(笑)途中の埼玉医科から9日間連続になっちゃったんですよね。昭和と東邦の間が本当は2日空いていたんですけど、二次試験がそこで入っちゃって。それで結果として9日間連続になってしまいました。
一般入試一次が受けながら途中で二次の対策もしたんですか。
はい、一次終わったところから、面接対策を行っていただきました。
―良かったです。ご両親は、どんな風に声をかけてくれましたか。
本当に、悔いなく終われてよかったねって、家族みんなで喜んでもらえました。
一会塾についてお聞きしたいんですが、印象に残っているエピソードやスタッフとのやり取りなどはありますか。
関さんにはすごくお世話になりました。医学部受験の最初が、国際医療福祉大で2つ目が杏林大学でした。どちらも数学が全然できなかったんですね。1年間一番数学に時間をかけてきたのに、こんなに出来ないのかってちょっと1回、杏林の後にメンタルブレイクしてしまったんですね。その時に関さんがすぐ声かけてくれて、1対1で丁寧に勇気づけてくれました。そのあとで、もうほんとに頑張ろうって思い直して最後まで行けたので本当に感謝してます。そのおかげもあり、杏林の後が聖マリだったんですけど、聖マリは意外と手ごたえがあって。その経験もあり中盤で持ち直すことができました。
―一会塾の先生は総じてどんな印象ですか。
先生方はほんとに一人ひとりをちゃんと見てくれているなって思います。例えば、澤田先生の授業は、あんまりこの問題を当ててほしくないなっていうときに絶対当てられて(笑) 私が分かっていないことを分かってるんだろうなって思いました。ありがたいんですけど(笑)
―本当によく頑張りました!お疲れ様でした。何科のお医者さんになりたいと考えてますか。
救命救急に行きたいです。小学校3年生の時に、出先で腹痛になって、そのまま救急搬送されて、手術したことがあるんです。そういう経験があって、救命救急のお医者さんかっこいいなと思ったのがきっかけですね。
人手不足の問題もあるし、生命の判断が任される場所なので一番大変な場所と言っても過言ではないと思いますが、ぜひ夢に向かって頑張っていただきたいと思います。今日はありがとうございました。
ありがとうございました。