昭和大学 薬学部 薬学科 総合型選抜入試 現役合格
古屋采音さん
品川女学院高校
~昭和大・初の総合選抜型(AO)に挑んだ采音さん、昭和大学への愛を貫いた逆転合格、キーワードはダンス・小論文・化学そして、人とのめぐり合わせでした~
-お名前と高校をお願いします。
古屋采音(ふるやあやね)です。品川女子学院高校です。
-合格された大学はどちらですか?
昭和大学 薬学部です。
-入塾のきっかけなどをお聞かせください。
中3の終わりくらいに、母から「そろそろ塾に入った方がいいんじゃない?」って言われました。私の得意科目が数学だったので、理系の方に進むかなと思っていて、理系の塾を調べていたら、たまたま一会塾を見つけて、相談しに行こうという風になりました。
中3の2月くらいにはじめてこちらに来て、入塾は高1の4月からです。
-それまでは塾は通われていたんですか?
中2の時に、1年間だけ個別指導のユリウスの雪が谷大塚校に行っていたんですね。ただそのときは、行っていただけというか・・・・、受験というよりは、学校の勉強を大学生に習いに行っていました。
-雪が谷大塚校だったんですね。
小学生の時は、早稲アカに通っていました。それで、品川女子に入れました。
-じゃあ、塾っ子ですね?
そうですね、早稲アカもだいぶ通いました。小4から3年間。
-高1の4月から一会塾に来てくれて、最初の面談のことを覚えていますか?
関さんに、塾の説明をしていただきました。高1のころは、英語がとにかくひどくて、最初は英語とあと化学もやっていたんですが、数学が好きだったんでやりたい!どうしてもやりたくて、夏から数Ⅰを追加して取り始めました。
進路指導スタッフ 関(せき)
-高校化学は4月からあったんですね。
はい、ありました。川原先生に教わりました。
-早くから川原先生に習っていたんだね。高1の最初から習っていたのは少数派ですね。それは、薬学に行くって決めてたからからって言うのはあるんですか?
薬学に行こうって決めたのは高1の6月くらいでした。私はテレビドラマに影響を受けやすいタイプで。小さい頃からコードブルーとかドクターXとか医療系のドラマを見てきて「ああ言う大きな大学病院で医療の仕事に携わる仕事がしたい」と思っていました。でも私の性格上、医師みたいな命を扱う仕事はできないなと思って、それ以外の仕事を探している時くらいに一会塾に入塾して、医療系に進むには数学・英語・化学が必要だと分かっていたのでその3つを取っていました。
化学科 川原講師 ↑写真をクリック
-早くから受験で使うかもしれない科目を意識したって言うことですね。そこが古屋さんの成功のポイントかもしれないですね!普通は高2とか高3とかになってから焦りながら受講されるパターンが多いと思いますね。
でも・・・成功はしてないです。化学はすっごい苦手だったんです。高1・高2川原先生だったんですけれど、何も身になってないまま高3になちゃって「これはヤバイ」ってなった失敗例です、本当に(笑)
-それは、最後まで苦手で終わったということですか?それとも途中から光を見出したんですか?(笑)
光は見出したんですけれど・・
高2で受けた化学のテストが、すごく悪かったんです。相当悪いんです。私も薄々このままじゃダメだなと思っていました。高1・高2と川原先生だったから、高3も川原先生にしようってなっていたんだけれど、高2の3月に佐藤雄一郎さんとの面談の時に、すごく言いづらそうに「来年の化学なんだけれども、古屋さんの成績上、下のクラスにしないか」という相談があったんです。川原先生の春期の授業を3回受けた時に、高2の時と人数が違う、1時間にやる量も全然違う、スピードも違う。「わあ、もうこれダメだ」と思って、正直私もその「下のクラスにしないか」という言葉が欲しかった、待っていたところがあって、佐藤雄一郎さんから言われた時に即答で「下のクラス行きます」って言いました(笑)。
校舎長 数学科 佐藤雄一郎講師
4月から千葉先生になって、すっごく合っていたんです!千葉先生の教え方が・・・丁寧で。そのクラスが確か、私と他に3人で合計4人だけだったんですね。最初。馬鹿みたいな質問にも全部丁寧に答えて頂けて教えて頂けました。川原先生は応用とかも盛り込むんですが、千葉先生は本当に重要な所だけ、ここさえ覚えておけばいいって言う所を簡単に教えて下さって。あと千葉先生はその場で問題を解かせて、私ができるまで授業が進まないってくらい、付きっきりで教えて下さいました。それで化学が好きになったんです。今から振り返ると、その1年で受験生としての基礎学力、知識が身についたのかなって思っています。
-それは良かったですね!その時に佐藤雄一郎さんに声をかけてもらったこともそうだし、少人数なところに千葉先生と来たら、確かに最強ですね。
化学科 千葉講師 ↑写真をクリック
はい。たぶん、私から「下のクラスに行きたい」と言えなかったと思います。川原先生に申し訳ないって言うのもあっただろうし、2年間も受けていたのに何してたんだって言われそうで・・・・
-川原先生のクラスは上位クラスだからどんどん進むと。薬学部に行ってから困りそうですねからね。薬学は入ってから化学ばっかりって散々聞いてる訳ですよね。
はい、ぎりぎり間に合ったかなって思います。
-おめでとうございます。数学が好きだっていうことですが、どんな具合でしたか?
高1が佐藤雄一郎先生に習いました。高2の4~6月が増子先生で、それからクラスが1つから2つに分かれて、7月から再び佐藤雄一郎先生に変わりました。高3は佐藤悠太先生に習いました。
-数学も化学と同じで高2まではゆっくりやっていたけど、高3ではかなり早くなったと感じましたか?
最初、英語と化学しかとってなかったので、数学をやりたくてしょうがなくて、高1の夏から佐藤雄一郎先生の数学をとったんですが、そしたらその授業がすっごく楽しくて、もうすっごく楽しくて、今までだと数学はまだ解けるから継続できていたっていうところがあったんですが、佐藤雄一郎先生に習ってからは、自分から進んでやるくらい好きになったんです。
-佐藤雄一郎先生の授業の何が良かったんですか?何があっていたんですか?
何でしょう、うまく説明できません。ただただ、私に合っていました(笑)。少人数で私の出来具合をきちんと把握しながら進めてくださって、だんだん「面白いなあ」と思うようになっていきました(笑)。
-数学は3教科の中では好きだし、ある程度点数も取れるしっていうことで高3になる感じですね?
逆に高3になるまで数学しかやっていませんでした。英語も化学もまったくおそらく(本気では)やっていなかったですね(笑)部活が結構大変で。ダンス部だったんですが全国を目指すような強豪校で、2つの大会で全国7位になりました。学校では、歴代最高のチームでした。
-バブリーダンスが有名ですけど。同じ系統のダンスですか?
はい、あの登美丘高校と同じ大会に出ていました。
-はー、大変ですね。体力。あれ見てたら、キレッキレで瘦せるだろうなって見てましたけど(笑)
そうですね(笑)
-数学が好きで、化学が苦手、英語は普通?
英語も嫌い・・苦手でした。でも英語は嫌いだけど、一応中1からやっていたから、まあそれなりにはできていた感じでした。平均ないかなってぐらいですね。塾の英語は高2と高3が同じ先生だったので、すごいやりやすかったです。石井先生に習っていました。高2で一年間習ったものを高3でもう1回同じプリントで復習みたいな感じでした。その2度塗りが、私にはとても良かったです。
英語科 石井講師 ↑写真をクリック
-たとえば学校の中で、実力テストや定期テストなどのご自身の順位とかわかるんですか?真ん中とか上の方とか?
数学は頑張れば、一桁とかで。
-うぉーすごい!
でも・・・英語と化学は下の方でした。
-品川女子は理系クラスと文系のクラスの割合はどれくらいですか?
高3は、理系2クラス・文系2クラスです。理系は、合わせて55人とかです。なので私の代は小人数でした。
-薬学部を高1の時ぐらいから目指していたということですが、早くからオープンキャンパスとかに行ってたんですか?
そうですね、はじめて行ったのは高1の夏でした。「オープンキャンパス行こう」って思ったよりも前に、医療系の何科にするかで悩んでた時に、佐藤雄一郎さんと初めての面談があったんです。そこで「進路どうしましょうか」って聞かれて「医療関係がいいです。大学病院で働きたいです。」って言ったら、「薬剤師とか最近大学でも働いてる人多いよね。」
ってポロっと言ったのを私は聞いていて、「薬剤師って大学病院でも働けるんだ。」って言うのを知りました。それで、そのすぐ直後に高校で大学出張授業があって、それに昭和の薬学部があったんです。「お!これいい!!聞いてみよう」ってなりました。
聞いてみたら、ちょうど昭和がチーム医療に特化していて、臨床薬剤師の育成をやってるって事で「もうこれじゃん!!」私がやりたいのとマッチしていて、帰ってすぐにお母さんに言って「オープンキャンパスに行こう!」ってなりました。高1の6月ですね。
-色んなタイミングがあったんですね。まさに一期一会です。
そうですね、すごい早かったです。決めるのが。トントントンと。
―学校に昭和の薬学部出身の薬剤師さんが来たんですか?
いえ、准教授の方がいらして、薬学部を紹介しに来てくれました。その時は、色んな学校から来てくれました。20校くらいあったと思います。
―すごい!大学の先生が来てくれたんですね。品川女子高校の用意してくださるそのような機会、とても良いですね。
早稲田とか慶応、青学とか色んな文系があって、そこにちょうど医療系の薬学部の昭和があったんです。
-古屋さんのオープンキャンパスに行かれたとき(高1 2019)は、コロナが流行る前年ですね。コロナじゃない夏の8月に行ってみたと。そしてコロナが来る高2(2020)を経て、コロナ中の受験(2021)となりました。ここに古屋さんの書いてくださった、薬学部総合型選抜のまとめがあります。
それは、高3の6月ごろ開催の説明会で聞いたものです。旗の台キャンパスには行けなったですけど、昭和大学附属病院で働いている薬剤師さんの見学ツアーみたいなのがあって、実際に(働いているところを)見たんです。そしたら、もう、かっこよくて!
実際に見るものって想像と違うじゃないですか。そこで、しっかりと昭和の薬学部に決めました、ちゃんと。
-素晴らしい。そこから、やる気が高まったはず!ですね。そして、化学本気にがんばろうってならなかった?
ならなかったです、数学頑張ろう!って(笑)なりました。
-面白いですね(笑)
佐藤雄一郎さんからも散々言われました。「いつやるの?」って。
-時間が過ぎました、高2になりました。もう1回オープンキャンパスに行くんですか?
高2はコロナで一切なかったんです。早めに行っておいて(高1で行けて)良かったです。。高2は学校もほぼ、オンラインで。なんもやる気が出なかったです。逆に部活だけは、大会もあってそっちにすべてを注いでいました。
-では高3になりました。推薦を受ける経緯はいかがでしたか。
最初は昭和の公募を受けようかなと思っていました。6月にオープンキャンパスに。コロナ明けにやりますって行ったら、この情報をもらえました。
「速報!!」ってスクリーンに出て「今年から総合型選抜やります!」って。
―この年から推薦の名前が変わってね。学校推薦型選抜と総合型選抜に変わって、その節に昭和大学が、いち早く取り入れてって言う感じだと思います。
取り入れてやり始めたんだけど、一般的に、学校推薦型選抜は学校の成績を中心に見る。総合型選抜は学校の成績以外、特に学科試験以外の要素を判定するのりみたいなのが多いんですけれど、やっぱりそういう印象を受けましたか?
総合型選抜は、「昭和に行きたい!」っていう強い思いと、「こんな薬剤師になりたい!」
ってしっかりとした思いを持っている人が受かっている感じだと捉えました。学科試験というよりは「思い」で決まる部分があると思います。昭和大学の「臨床薬剤師になりたい人をとりたい」というメッセージだと理解しました。
一般に、昭和大学の推薦だったり一般入試は面接があって、でもその面接は本当に短い時間(数分)でやるけど、総合型選抜の面接は長いし、そこを確かめる感じなんだね。
(資料を見ながら)
-②郵送書類としてって言うのは、個人情報が書いてあるんですね、どんなことを書きましたか?
5年間ダンス部に在籍して、ビデオ係とか2年の教育係をやりました。高校ダンス選手権全国大会行きました。全国7位になりました。
-文化祭、企業体験などしましたと。これは企業に行ったんですか?
いえ、企業とコラボして商品を開発するんです。学校の文化祭の企画の中にあって(実は)やらなければいけなかったんです(笑)
-推薦入試にあたっては一会塾で志望理由書対策講座をⅠ期(前期)授業で受講されていました。そこではどんなことをされましたか?
私は、高2の1月から宮下先生の授業をとっていました。実は最初、「なんだこの先生は」って思ってしまいました。
私は国語が大嫌いなんですね。文を書くことも嫌い、文を読むのも嫌い。だけど、昭和の公募は小論文があるんです。昭和大が総合型選抜をやることをまだ知らない時期のことです。
絶対取らないといけないから、やるならできるだけ早くとっておけばって言われて高2の1月からやっていました。そうしたら、赤ペンで真っ赤に修正されて・・・・
―「なんなんだ、この先生は」って感じで(笑)
メディカル系イベントで熱弁を揮う宮下講師 ↑写真をクリック
本当に。泣いた時もありました。わーって言われて。
-わーって言われた(笑)何て言われるの?全然ダメだよとか言わるの?
そうです、「これじゃ受からないよ」とか。私、全部話し言葉で書いてたので、そう言う大人の専用の言葉みたいなのを全然知らなくて・・・
―「友達に書いてるんじゃないんだから!」みたいな?(笑)
そういう感じです。
―そうか、言葉の選択とかそう言う作法みたいな。文章とは、論文とは。「推薦の志望理由って言うのは、大学へのラブレターなんだから、誠意が伝わるように。これじゃ何にも伝わってこないわよ」って感じですか?
はい、そういう感じです(笑)
―じゃあカルチャーショックでしたね。何回もやるうちにやっぱり良くなっていくものですか?
いや、全く(笑)。そのまま、高3の4月からもずっと小論文の授業があって、週に1回、1個ずつ書くんですけれど、褒められるようになったのは8月後半くらい。そこまで一切、褒められませんでした(笑)
―地獄ですね(笑)けなされ続けて。厳しい先生って言う事だね。妥協しない。
そうなんです。全部言ってくれる。ダメなところを全部言って下さる。
―それは、きっと宮下先生の愛情であり、ポリシーですね。
私の方も7月くらいから、だいぶわかってきました。「これは、私の為に言ってくれている」って思えるように成長したのだと思います。
―良かったですね、辞めないで。
この授業のおかげで総合型選抜を受けようと思えるうようになれたのかもしれません。
―たしかにこれが支えって言うか、動機になったのかもしれないですね。
最初は宮下先生の授業は受けるつもり全くなかったんです。小論文が苦手でしたし、面接なんてやりたくないし。学科もないからこんな方式で受かるわけないって思って「私は受けないです」って言っていました。
ただ私が「昭和入りたいって」って言っても、色んな先生から「北里は?」「星薬科は?」ってすごく言われていて、「私は昭和に行きたいのに、なんで先生たちは違う大学を勧めてくるんだろう。」って思っていました。
そうしたら、佐藤雄一郎先生に「(そんな事を思うくらい昭和に行きたいなら)昭和受けるしかないじゃん!」って言われました。それでようやく、「受けよう!小論文もちゃんとやろう!!」って腹が座りました。それが高3の5月・6月くらいです。
数学科 佐藤雄一郎講師
-良かったじゃないですか。そこまで突き詰めてから出願に至れば・・・受け方が全然、変わるよね?
そうですね。あと入試日が9/1~14で、公募より1か月早かったので「もっとやばいな。」って言う焦りもありました。
昭和大学 薬学部 総合型選抜 入試データ2021
出願期間:9/1~14
定員:20名
書類:調査書、活動報告書、志望理由(400字以内)
1次試験:10/2 面接・小論文・アンケート
2次試験:10/23 ①グループワーク(問題解決型PBL方式) ②発表 ③レポート作成
合格発表:11/1
―学科試験の無い総合型選抜。すごくいいじゃないですか!
でも、私は受かると思ってないので、同時進行で3教科と小論文を普通に受験するつもりで勉強していました。過去問とかもやっていました。
―出す書類は、活動記録・成績証明書・400字詰めの志望理由書ですね。この志望理由書は、宮下先生に見てもらったんですね? 最初はけっこう駄目出しされました?
はい、もう何十回も駄目だしされてしまいました。
―ほんとうは、3回くらいじゃないんですか?
そんな3回だなんて(笑)2~3か月くらいずっと書き直し続けましたよ。でも、最終的に見たら私が伝えたい事は綺麗に収まってるんです。とても不思議でした。
小論文・志望理由 宮下講師 ↑写真をクリック
―芸術的なんですね。じゃあ記念すべきとっておきの志望理由書で臨めたのですね。この経験はきっと就職試験の時も生かされますよ、きっと。
私一人じゃ駄目かもしれないです(笑)。志望理由書は公募用に作っていたので、6月にはもう完成していたんです。それで、あとは小論文だけ対策すればってことになっていました。
―書類を通過した人だけが受けに行くんですか?何人くらい来ていましたか?
いえ、一次は全員です。50人です。
ー最初は、小論文からですか?ここに書いてくれているのは、90分で2問あって、
古屋さんの「受験報告レポート」より抜粋
問1は「フェイクニュースとは。フェイクニュースの問題点と対策。あなたはどう考えていますか600字で書きなさい。」
問2は「解熱剤。どちらが安全で効果があると思うかグラフから読みとれること。どちらが優れているか、その理由を書け。」ですね。
問題文と解熱剤の表があって、そこから効果と安全がわかるように自分でグラフを書けっと言った感じです。難しかったんです。4つの数値があるんですが、グラフは2本で作れみたいな感じで条件がありました。初めての試験だったので、何が出るか分からなくて難しかったです。
―問1の600字の方は先に一生懸命書いたと。90分あるから、40分とか50分くらいで書いたのかな?後半、問2をやってこれ難しいなと思いながら、できるだけ分かる範囲で書いたと。埋めたは埋めたって感じですか?
はい、全部は埋めました。それが終わって、アンケートを書いてから面接です。
―アンケートの中身は、3つ。自己PRを書く・自分が薬剤師に適していると思う点を書く・高校生活で頑張ったことを書くですね。A4で3分の1くらいずつですかね。それを元に面接されるんですか?
はい、そう書いてあったんですが、そんなに意識されなかったです。
―面接時間は15分だけれど、実際にかかった時間は12分とありますが、12~15分くらいなんですね。面接官が2人、受験生は1人。大きな広間にパーテーションで区切られていていました。
会場がざわざわしていて、面接官の方の声が聞き取りにくかったです。
-けっこう、たくさん質疑をされたんですね。「ワクチンは打ちましたか」とか。面接を始める前と後は礼をしなくて良いと言われましたと書いてありますね・・・
宮下先生とは、礼も通して練習していたんですけれど、みんな同じことをやってくるので、そこはいいですよって言う配慮が、昭和はありました。
―お昼休憩があるとはどこにも書いていなかったが、実際は30分の休憩があったと。お腹すきましたよね(笑)何時集合だったんですか?
朝の8時半集合でした。終わり時間は、面接の時間によって違います。面接が受験番号順なので、遅い人は3時とか。私は1番だったので(笑)1時過ぎくらいでした。
―受験番号1番!それは縁起が良い。おめでとうございます。50人で1番でしょ?すばらしい。願書ができてる人だから。初日に出しましたね?
はい、0時を回ってからWEBで入力しないといけないんですが、入力したら1番でした。
―1番ってわかったですか?
受験番号が300001だったんで(笑)
-2次試験は10/23、グループワーク。PBL(問題解決型)形式ってどんなものですか?
5人で1つのグループでホワイトボードとか使って話し合って、一つの議題について意見を出し合って、それを発表してそれぞれでレポートを書くっていう感じですね。
-「SDGsから解決する項目を選び、それを解決できるように、オリンピックの新競技やイベントを具体的に考えなさい。」 5人1チームで。2次に残ったのは何人?その内の男女比は分かりますか?
2次に残ったのが30人です。男の子が10人いない位です。
―「20分各自で考える時間があった。資料を配られた。そのあと90分5人グループに分かれて1組になってグループワークをする。グループで1つの意見にまとめる。」各自でと書いてありますが、みんなでやるんではなくて、まずは1人1人で意見をまとめるんですね?
グループワークの訓練の様子(武蔵小杉校) ”メディベイト2021″より
はい、1人1人で。まずは1人で喋らないといけない設定です。
―「で、60分間で、さっきとは別の5人グループになって、1人ずつ発表する。」
さっきとは別のグループになる意味は、ただ単にばらけさせるためでしょうか?
別々のグループの意見を聞くっていう。「うちのグループではこう言うことを話しあいました」みたいな設定でしたね。
―協調性や対応力を見ているんですね。寮生活でどいう言う行動をとるかって。どういう協調性があるか。
-「他の発表もメモをとる」 これは自分がそうすべきだと思って、ここに書いたのんですか?
いえ、渡された用紙に、他の方のメモ欄があったんです。なので私は書いておきました。
―そして、「最後の60分は自分の班と他の班の発表を踏まえて・・・」ということは、自分の班と他の班、グループごとの発表もあったりしたんですか?
60分の発表で、自分が発表したものと、他の4人の発表も踏まえて、この問題に対する最終的な自分の意見をレポート用紙にまとめました。
―1200字もあったと。これは、ちゃんとした小論文ですね。全部埋められましたか?
はい。全然1200字では自分の意見が書ききれませんでした。
―小論文をやっていた甲斐はありましたか?
大体分かっていたので、これも宮下先生に対策してもらったんです。2人でこの一連の流れをやってもらいました。「小論文とレポートは違う」ってところから言われて。そこをすごく言われました。
―なるほど、今はその違うを説明できますか?
小論文は相手に伝える、相手を納得させる文章。レポートは自分の考えを・・・
―ちょっと言葉にするのは、難しそうだね。レポートって言うのは、必ずしも自分の意見じゃないかもしれないよね。報告書なんでね。
ああ、そういうイメージです。
-宮下先生とシュミレーションできたってことは、このような試験形態ってわかっていたんですか?
細かい所までは分かってはいなかったですけれど、オープンキャンパスが何回かあって、全部行ったんですが、そこで情報をゲットしました。直前の9月まであったので、新しい情報をその都度ゲットしていました。
―それだけしっかりと対策をされて勝ち取った合格、ほんとうにおめでとうございました。
ありがとうございました。