S.Tさん
昭和大学 歯学部
カリタス女子高校
-合格おめでとうございます。一会塾は知ったきっかけなど覚えてますか?
元々中学2年生の時に塾を探していて、一会塾も含めて色々体験授業なども受けて、その時は母の薦めもあってある大手予備校の中学部に入塾しました。
-中2から予備校へ通われていたのですね?
実際は中3~高2まで自由が丘で、最後の1年間だけ医学部専門の市ヶ谷校舎に通っていました。途中で私には合っていないということに気づきました。その時にはもう遅かったかもしれないですが・・・浪人という選択になったので、そこで塾を選び直して中2の時に体験に来た一会塾に行ってみようということになりました。
-よく覚えてくださいました(笑)。その大手予備校は優秀な生徒さんが沢山いて、かなり授業も本格的だったのでは?
一番は自分が質問したい時に質問出来なかったことが大きかったです。大手さんなので当たり前なんですが。あとはテキストのレベルがかなり高くて、今思えば当時の自分にとってはあまり意味のない予習・復習ばかりに時間を割かれていた気がしています。
-その大手予備校さんでは、元々通われてた自由が丘校でも国立医学部対応の授業などはあると思いますが、やはり医学部を目指すなら市ヶ谷校ということだったのですか?
医学部コースはお茶の水か、市ヶ谷だったんですが、自由が丘だと理系英語とかになって、取れない授業があったので市ヶ谷校に通いました。実際に通った市ヶ谷校は校舎もすごく大きくて、ワンフロアがとにかく広いです。高1~3年・浪人生までいるので生徒の数も多かったです。それから周りが優秀な人ばかりでした。周りの人の制服とか見ると偏差値の高い高校ばかりで、自分自身のレベルも分かるし厳しいんじゃないかと疎外感を感じていました。あとは先生方も出来るのが前提で授業を進めるので、こんなこと質問しちゃいけないかなとか。質問自体が一人5問までの予約制で、なかなか自由に質問できる環境ではなかったです。その上コロナだったので、質問自体が難しくてどんどん落ちていっちゃいました(笑)。
-Tさんが最初(中2生)のころに一会塾に来ていただいた4~5年前は、今よりもかなり規模が小さくて、ご両親の印象的にもきっと町の小さな塾としか映っていたことと思います。
そういう面も多少はあったかもしれませんが・・・やはり私自身も両親も当時は大手に入っておけば大丈夫だと思っていたんですね。それが大きな間違いだったと今は思っています。
-現役で届かなかった合格へ向けて再チャレンジすることになって、他の塾さんは検討されましたか?
実は親に申し訳ない気持ちもあって自分で家で勉強しようかと思ったんですが・・・両親とも相談して医学部受験は塾の力も借りないと無理だということで、一会塾に面談に来ました。過去に大学の説明会などに参加した関係で、もう怖いくらい色々な塾から沢山の資料が送られてきました。でもこじんまりしたところのほうが自分には合っているかもしれないと思って一会塾に決めました。一会塾の自習室は座席が全部で50席程度。その大手さんの自習室が3部屋で各200席ずつくらいあったのでこのくらいの規模がちょうど良いなと実感しました。
一会塾の自習室
-逆に小さすぎて不安になりませんでしたか?
自習室を見たときに「おおっ!」となりました。でも逆に安心感がありました。それに一人一人がすごく頑張って勉強している自習室だったので、私自身も勉強に集中できる環境になり、意識も変わりました。
-そうでしたか。ところでコロナの感染拡大の影響を受けたのは何年生の時でした?
私の場合は高2の学年末試験が急に無くなりましたね。高3になってからは学校もオンラインで、市ヶ谷校舎の授業は前半は無くて、たぶん夏休みから対面授業が復活したと思います。
-それも塾の授業がうまくいかなかった原因の一つですかね?
そうですね。自覚のないまま、いつの間にか受験生になってて・・・気づいたら受験生、気づいたら受験勉強していたという感じでした。
-コロナはたしかに受験生にはかなり不利な状況ですね。高3の1学期は先生が勉強方法を指導したり、受験生が勉強方法を確立する大事な時なんです。それが学校も塾も対面が減ってビデオなどに変わってしまい・・・それで半年くらい落ち着いて勉強できないまま、2学期になっちゃたんですね。
そうですね。特に前半は、きちんと学習スタイルを確立できてなかったと思います。
-なるほど。ところで一会塾で習ってた先生を教えていただけますか?
英語は鍋谷先生と石井先生、数学は悠太先生と竹之内先生と個別で後藤先生に教わっていました。化学は川原先生、生物は熊谷先生です。小論文は原田先生、宮下先生のコミュニケーション個別指導も夏は受けました。
-では、一会塾の授業はいかがでしたか?
一番大きかったのは・・・数学が苦手だったんですけど、春期講習の段階でほぼ1から教えてくださったので、私にとっては助かりました。例えば初めてベクトルの授業をする回も、大手では基本的なところは生徒が知ってる前提で行われるので、基礎知識がないままよく分からないことをしている感じでした。
塾の進度は学校の1年先取りなので、そこでもカリキュラムが嚙み合っていなくて、先に塾で勉強しているはずなのに、後で学校の授業で基礎レベルをやったとしても、全然効果を発揮できませんでした。毎回の定期テスト対策で終始してしまって、今思えば基礎的なところからちゃんと勉強できていなかったです。
-なるほど。本来数学に苦手意識があって、ちょっとやそっとじゃ解決できない状況なのに、結果的に3年間そのままになってしまったと。
そうです。それで高校3年間があっと言う間に過ぎてしまっていた感じでした。
-数学の学校の成績はいかがでしたか?
高2までは良かったですが・・・高3になってからはちゃんと勉強できてなかったと思います。
-カリタス女子についてですが、中高一貫校で、高校入学者はいなかったでしたっけ?
いないです。高3の時に私立文系が2クラス、国立文系1クラス、理系が28人くらいの少人数で2クラスでした。内訳は生物・化学選択で1クラス、物理・化学選択で1クラスです。
-同じ学年で医学部を目指される方はいましたか?
数名・・・10人はいかないくらいですね。ただ北里と聖マリアンナの学校推薦を受ける人は多くて、それを除くと、結局4人くらいしかいなかったと思います。それぞれ大手や色々な塾に通っていました。
-ありがとうございます。一会塾での勉強はいかがでしたか。塾内テストや河合模試を受けた感触など・・・
塾内テストは毎回結果に左右されて泣いたりしてました。本当に自分でもなぜか分からなくて、佐藤雄一郎先生に相談とかもしてました。最初の2か月間は成績も下のほうで、自分でも「どうしてこんなにひどい点が取れるの?」って思ったり。一度悪い点を取ってしまうとトラウマになって、また悪い点取ったらどうしようって不安になったり。でも我慢して復習などを続けていたら、少しずつですが、点数が安定するようになってきました。
校舎長 数学科 佐藤雄一郎講師
-数学は一番苦労しましたね。時間も相当割かれたんじゃないですか?
1年間のうちで半分は数学に費やしました。前期はほとんど数学だけで、それがなかったら本当に今の自分はなかったと思います。
-それまで(数学については)理解不足があったところに、小人数クラスで初めてその弱点をテストでさらされたりして・・・一気に状態が表に出て来てしまったという感じでしょうか?
ホントにそうですね。
-では次に理科の学習については、いかがでしたか。化学は◎、〇、△、×でいうとどれでしょう?
△ですね。無機・有機は得意だったんですけど、理論化学はすごく苦手で最後までつきまとってました。
-授業では進度も早いけど何とかついていけましたか?
苦手だったので毎週毎週大変でしたね。でも化学は高校のほうでも、カリキュラムを繰り返し何周もやってくれていたので、数学と違って基礎知識が無い訳ではありませんでした。川原先生のテクニックを自分のものにできるよう、毎週予習復習・テスト勉強をしていました。
化学科 川原講師 ※↑写真をクリック
-最後のほうは成績も上がってきましたもんね。生物はいかがですか?
生物は〇くらいです。生物の勉強が好きなので、教科として得意という感じでした。
-なるほどなるほど。生物は上位クラスを受講されていました。授業での様子はどんな感じでしたか?
・・・何というか奥が深い授業ですね。ただ聞いているだけだと多分何も習得に繋がらなくて、問題をちゃんと演習しながら受けると違いました。なんで先生がそういう講義をされているのか理解できて、すごく意味のある授業なんです。あとは上のクラスということで基礎部分はあまりやらないので、自分の理解度を明確にして、分からない場合はしっかり質問していく必要はありますね。
生物科 熊谷講師(医学博士)※写真をクリック
-なるほど。生物は比較的得意な感じで受験に臨めた感じでしょうか?
はい。自分の得意分野が出たのもありますが、順天堂の自己採点では8割くらい採れていました。特に実験考察分野の取り組み方や考え方は熊谷先生の授業で1年間鍛えられて、実際にその点数に繋がったんだと追います。
-それは自信に繋がりますね。問題の数学はどうでしたか?佐藤悠太先生と竹之内先生でしたね?
佐藤悠太先生は最初の授業の時「本人が勉強しないと意味がない」とか色々厳しいこともおっしゃっていたので、正直怖いと思ったのがファーストインプレッションです。そういうイメージがあったからこそ、緊張感を持って、次のテストに向けてちゃんとやらなきゃと思って頑張りました。でも1年間受けて実は、すごく優しい先生だと気づきました。分からない事を質問しに行っても、(こんなことも分からないの?っていう雰囲気をだされる先生も多いと思いますが)、悠太先生は本当に一から丁寧に教えてくださって。最初から理解するために、インターネットを色々探して解説ページをわざわざ印刷して渡してくださったりして、よくフォローしてくださいました。
数学科 佐藤悠太講師 ※写真をクリック
-困っていて、でも努力を続けていたTさんに色々手を差し伸べてくれた訳ですね。
はい。ありがたかったですね。最後まで数学は焦りみたいなのはありましたが、苦手意識は1年間でだいぶ無くなりました。
-竹之内先生はいかがでしたか?
数Ⅲはずっとすごく不安で・・・。春期授業を受けた時に「この先生の授業なら数Ⅲが分かる」と感じて、個別の授業も受けさせていただきました。短い期間で数Ⅲを何周も教えていただいたので、段々分かるようになりました。
数学科 竹之内講師 ※写真をクリック
-割と短い期間に繰り返し学習することで、1、2、3周と段々に理解が深まっていくということですか?
そうですね。佐藤悠太先生も竹之内先生もどちらも、繰り返しやっていただきました。やっぱり数学は繰り返すことが大事だったのかなと思います。
-英語は比較的得意だったと思いますが。
そうですね。文法問題以外は問題ない感じです。
-途中から英語は追加されましたか?
メディカル英語は最初から取っていました。英文法の個別指導を後期からの石井先生に教わりました。
英語科 石井講師
英語科 石井講師 ※写真をクリック
-何か得るものはありましたか?
それまで品詞分解して長文を読んだことがなくて、品詞分解の大切さを改めて実感しました。読むスピードや理解が深まったと思います。
-鍋谷先生のメディカル英語はいかがでしたか?
まず英語って触れていないと廃れてしまう部分があるので、毎週英語に触れる機会があってよかったと思います。病気以外にもいろいろなトピックに触れていたのもよかったです。鍋谷先生の雑談が面白くて息抜きにもなっていたんですが、受験前には『やってきたことがあるなら大丈夫』と真剣な話をして励ましてれました。それが印象に残っています。
英語科 鍋谷講師 「メディカル英語」担当 ※↑写真をクリック
-夏に受けたコミュニケーション個別指導の宮下先生には志望理由書を見てみてもらいましたか? 1年前の志望理由書と今年書いた志望理由書で何か違いはありましたか?
はい。かなり違ってました。一応去年書いた志望理由書を先生にお見せしたんですが、全然ダメって言われて(笑)。先生と色々なお話をすることで、本当に自分が伝えたいこととか、どうして医者になりたいかということを明確にできて、自分でもこういうことかって気づきながら、手直ししていきました。
小論文・志望理由担当 宮下講師 ※↑写真をクリック
-1年前の志望理由書はどんなふうに準備したんですか?
自分で書いて学校の担任の先生にお見せしました。先生方も一度に沢山の生徒の書類を準備しないといけないので大変だったかと思います。
-それを宮下先生からは具体的にはどんなダメ出しされましたか?
もう全然ダメって言われました。気持ちがこもっていないと。ホントに行きたいの?医者になりたいの?ということを問われました。
-原田先生のメディカル小論文は毎週受けてくれていました。医学部コースだったら、高1から知識としては勉強されてたと思いますが、どうでしょうか、必要なものでしょうか?
はい。以前の大手予備校では理系論文という授業を取っていて、その時は必要性を感じませんでした。一会塾では後期から取ったんですが、正直最初から取っておけばよかったと思いました。人として最低限知っておかなければいけない社会的な知識もそこで教えていただきました。
メディカル小論文 担当 原田広幸 講師 ※↑写真をクリック
-なるほどたしかに一般的に医学部受験生の中には小論文を削ってしまう人がいるかもしれません。
そうですよね。でも毎週書いたり考えたりする時間があるのは、とても意味があると思います。順天堂大学みたいに小論文まであるところなんかは、受験前は疲れて何も出てこないかなと思ったんですが、実際は最後まで手を止めることなく書ききれたので、絶対にやったほうがいいと思いました。
-ありがとうございます。塾の受付のスタッフの中では一番誰と話しましたか?
成美さんですね。一回10~11月頃に精神的に落ちてしまって、逆流性食道炎になってしまったんです。この浪人生活一生続くんじゃないかと思っちゃったり。数学がある程度伸びてきて、やっと人並みに成れたらふとした瞬間にガクッときてしまって、何をしていても自分が何をしているか実感が湧かないような状態。自分的にはきつい状態でとにかくやるしかないとずっと頑張ってきて、それまで一度もなかったメンタルブレイクになっちゃいました。うちの親は最初から医者という職業に就くことに反対で・・・自分からやりたくてやり始めたことなのにどうしてこうなっちゃうんだろうと悩んだり。10月に入ってまだ半年近くあるのに、このままじゃ絶対に無理だと思ってしまって・・・・
進路指導スタッフ 成美侑李
-それは大変、ネガティブな考え方に陥ってしまったんですね。
はい。数学の授業中に急に精神的に不安定になってしまった時に、成美さんにお話をきいてもらったりもしました。スタッフの方全員が自分の状況を理解してくれて、佐藤雄一郎さんも電話をくださったり、皆さんに励ましていただいている間に、そうしている時間がもったいないと思えるようになってきて。それで気持ちを切り替えることができて、乗り越えることができました。
-成美さんに色々悩みを聞いてもらったり、スタッフみんなに励まされて立ち直れたんすね。成美さんに相談してもらって良かったです、ほんとに。
ほんとうにありがたかったですね。
-いざ受験時期に入ってどうでしたか?
大変でした。コロナの感染者がずっーと1万人超えで拡大していく中で、塾で感染するかもしれないし、私自身がうつしちゃわないか心配でした。それで自習室には通わず、父の診療所のスタッフルームで勉強することになりました。塾は勉強する場所、家は寛ぐ場所という感じで、家ではなかなか集中するのが難しかったので父の職場を借りて勉強していました。
-お父様の診療所のスタッフルームで勉強していたんですか!ご両親が協力してくださったんですね。ところで元々Tさんが医者を目指そうとした、最初のきっかけなど覚えていますか?
中学校で将来のことを考えたときに、歯医者の父の診療所を間近で見てきて、患者さんを診察する姿がカッコイイなと思っていて、最初は歯科医師を目指していました。その後、あるきっかけから医学部に志望を変えました。
-そして最終的には医学部ではなく、歯学部に行こうと選択を決めたんですよね。その理由を教えてもらえますか?
まずは親に1年間チャンスを与えてもらったからこそ、これ以上無理だと思えるくらい、この1年間本当に死ぬ気で頑張ってきました。自分の限界まで悔いの残らないように勉強できました・・・それで元々の志望だった歯科医師の道に切り替えられたと思います。
-1年間やってみて、去年の自分と今年の自分を比べるといかがですか?
去年の受験の時は、本当に正直受けながら落ちてるなと思っていました。それが今年は手ごたえがあって、自己採点してみても、期待をもって結果を待つことができました。
-そういう意味でも悔いはなかったということに繋がりますね。最後に答えにくいことを承知でお伺いさせてください。一会塾を選んで悔いはなかったでしょうか?
もちろん悔いはないです!色々な先生方とスタッフの方に支えられて、すごくいいい環境で勉強できたなと思います。ほんとうに1年間、ありがとうございました。
-こちらこそありがとうございました。