岡田航大さん
東海大学 医学部 医学科 進学
早稲田実業学校高等部
その他の合格大学
日本大学 医学部医学科
~打ちこんでいた野球も肩を壊して断念。内部推薦も放棄し、文系にいながら迎えた無謀な現役医学部受験。一時はニートになりかけたものの捲土重来!医大へ再チャレンジを決意、たった1年で夢を叶えた逆転合格物語~
―ではまず、小学校から高校までの話を聞かせてください。早実は、所謂『お受験』をして入られたとか?
はい。小学校から高校まで同じ場所です。
―そのまま中高に上がっていって。その間塾に通われたことはありましたか。
中学に上がるときに近くの個別塾に行ってました。
―早実で小中高と過ごしていく中で、医学部を志望するに至るまでを教えてください。
少し長くなるんですけど…。まず、自分は小4からずっと野球をやっていて。中学は外部のリトルリーグのようなチームに所属して、高校に入ってからは部活で続けていました。かなり本気で取り組んでいたんです。
―早稲田の野球部は甲子園にも出場するようなすごいチームですよね。
はい。一年生の頃は内野手の中から選ばれるバッティングピッチャーに何回か呼ばれて、チームにも結構貢献していました。早稲田の野球部はA、B、その他といったようにチームが分けられているんですけど、秋頃にはAチームのノック(守備練習)にも入ったりもしました、まあベンチにまでは選ばれなかったんですけど。でも、もっと練習を続けていけば、ベンチも夢じゃないのかな、と自分の中では手ごたえを感じていました。ただ、そう思っていた矢先に、バッティングピッチャーやりすぎたことによって、肩を壊してしまって、もう全然投げれなくなっちゃったんですよね。
―えっ。
病院に行っても、特に炎症があるわけではないと言われてしまいました。でもずっと痛い状態が続いてしまって。それで、自分の代が最高学年になったときに、このままいても活躍は望めないと感じました。だから高2の8月に野球部をやめて、これから何をしようと改めて考えたんです。自分は高2の文理選択の時点では、ずっと野球をやっていこうと思っていたので、文系を選択していました。でもこのまま早稲田の文系に進んだら、イメージの話にはなりますが企業に就職してずっとデスクワークでカチカチ…っていうのは面白くないなあとなって。自分を変えたいと思って、父が医師なので医学部目指してみようかなと思いました。そこからこことは別の医学部の専門の塾に通わせてもらって。まあそこでもまた挫折をするですけどね。(笑)
―なるほど、野球から医者へ、面白いご経歴ですね。その塾にはいつまでいましたか。
高3の8月までいたんですけど、学校の勉強と理系・文系の両立が本当に大変で、破綻したんです。(笑) 早実の文系クラスは特にそのまま早稲田への内部進学が多いこともあって、相当文系教科の負担が大きかったですね。数学は数Ⅲが週に二時間あるだけで、もちろん理科は何もない。その分、現代文、古文、漢文、日本史、世界史、地理、政治経済は授業に全部組み込まれていて。
―文系にいて、医学部に行くのは普通はかなり難しいですよね。
最初は医学部の勉強をメインに、学校の勉強はまあ落ちない程度、と思ってやっていたら、前期末、政治経済で赤点を取ってしまったんですよ。卒業試験が12月にあったんですけど、医学部入試の直前期じゃないですか。そう考えるとこのままなら、今以上に学校の勉強をできるはずはない。これは無理だ、と思って。
―卒業できない!となったわけですね。ネガティブな方に行ってしまったと・・・
そうなんです。(笑) だから自分はそこであきらめちゃったんです。しかも、周りは部活も引退して体育祭だ、文化祭だ、と盛り上がっているんで、自分もいいや、と流されてその輪に加わりました。11月ごろに、ギリギリあった早稲田大学進学の権利を放棄していたので、外へ出るしかなかったんですけど。
―それは孤独だったですね・・・
めっちゃ孤独でした。結局卒業まで何もしない状態が続いて…。そんな時に親戚から、海外の大学もいいんじゃない、という話をされて。オーストラリアにその親戚が関係している学
校があったんで、卒業前に旅行がてらシドニーまで一人で見に行ったんです。それで、いい街だな、ここで勉強するのもありなのかな、と思いました。でも、いざ留学しようとなったときに、コロナがぶつかっちゃって。
―ああ、なるほど。ちょうどその時期にコロナが来ちゃったんですね。
もうコロナで、オーストラリアはダメ、来るなってなっちゃって。まあでも今思えば良かったんだろうなと思います。留学って『逃げ』だったんですよね。海外に行けば、大学受験もせずただ英語を学んであっちの大学で卒業ができるっていうのが、自分としては色々逃げた結果の選択で…。それもコロナで強制ストップ、また何もしない日々に戻って、バイトしたり遊び呆けたり、もうニート生活みたいな感じでした。(笑) それが4月から、一会塾に入るまでずっと。
―一会塾に入塾したのはいつ頃でしたか。
2020年の12月です。
―そうだったね。では、入塾のきっかけを教えてください。一会塾はどうやって見つけたんですか。
留学の目処も全く立たないし、親からそろそろ他の受験を考えたら、と言われて。そうだなあと思っていた頃に、親がネットで、医学部専門の塾を探して見つけてくれたんだと思います。先に父が面談に行って、その後に体験授業を受けました。他の塾にも行ってみたりしましたが、自分が一年浪人するというのを思い浮かべたときに、一会塾の方が明るくてここでなら一年間頑張れそうだなという雰囲気で決めました。
―12月に入塾ということは他の人が受験に向かおうとしているときですよね。入ってからはどう勉強を進めて行きましたか。
3月までは基礎固め。そこから受験学年として現役の子たちを同じ授業を受けて、一部個別をやっていました。
―入塾当初の自分を振り返ってみていいかがですか。
まず全く勉強してない状態で塾にポーン!て来たので、入塾したての時はとりあえず塾には毎日来ようと思ったんです。実際来れてたんですけど…。今一年間思い返してみると、正直、あの時期が一番頑張ってたと思います。やっぱり知らないことがどんどん入ってくるので、無我夢中で勉強していました。
恵比寿 校舎長&数学科 川浦講師 ※↑写真をクリックすると自己紹介をご覧いただけます
「川浦さんには数学の質問などでとてもお世話になりました」(岡田さん)
―なるほど。そこからまたリセットされて、新学期。3月4月を迎えて、そこから10か月。受験勉強が失速してしまったときもあったとか?
うーん。12月から3月までは周り(一会塾でのクラス授業)は高2生と同じクラスで受けていたので、授業はレベル的に挫折ということはなかったんですけど。4月からいざ、浪人生クラス始まったら、特に数学が周りに自分より頭がきれるような人が何人もいて、受けていた仲野先生の扱う内容自体レベルが高くて、ついていくのに必死という感じでした。そこからあまり受験勉強が順調に行かなくなっていったように思います。生物は高橋靖先生で変わらなかったんですけど、化学は先生は変わらず川原先生でも、高2クラスの時からレベルが一気に上がってしまい、これが受験レベルかって思いました。
生物科 高橋靖 講師 ※↑写真をクリック
―ちょっとした挫折感みたいなものを味わったんですね。医学部受かるレベルってこうなんだ、という感じで・・・
そうですね。ある程度行ったら、またさらに上に行かないといけないっていう。最初のその時期はもう塾の復習だけをして、なんとかするという感じでした。
―英語は元々苦手科目だったそうですが、見事合格ラインまで達しました。ご自身でどのような手ごたえでしたか。
英語は他の教科と違って、上がった感じがしなくて、気づいたら上がっていたという感じです。一回模試で点数が爆上がりしたんですけど、それで「あ、出来るんだ」、みたいな。(笑)
―それはいつ頃の摸試でしたか。
第二回河合塾記述模試です。第一回は、英語は200満点中70点くらいで、二回目で110くらいまで行きました。それで関さんに「英語伸びたね」って言ってもらえて。その時点では半信半疑だったんですけど、そのまま勉強を続けて行ったら、第三回で153点まで取れました。そこで自信がつきました。
岡田さんの英語を担当
―数学も伸びたでしょ。
そうですね。でも伸びたと思う反面、まだまだ伸びる余地はあったなと思います。ただ、数学はある程度自分の中でここまで頑張ろう、というのを決めてその最低限をやっていたんです。その分、理科につぎ込まなきゃいけなかったので。
直前期に岡田さんの個別指導を担当した数学科 増子講師
―理科というのは、化学ですか。
はい、生物もです。まず生物は6月から8月くらいまで嫌な単元があったことから、ずっと逃げ続けていました。『生殖と発生』と、『動物の環境応答』という所なんですけど、その単元は入試でも最頻出の山場なんです。
―なんで逃げるの。(笑)
難しいし、他もやばいし…。まだ時間あるしいつか何とかなるだろと。(笑) そんな感じで思っていたら、9月10月あたりに受けた一会塾の理科だけのレビューテストで生物が最下位を取ってしました。ダメージ大きくてほんとにメンタルやられたんですけど、でもやらなかった自分が悪い、このまま逃げ続けたらさすがに落ちるな、と思い直して。そこからは資料集とか授業の板書とかを何周もして、そのうちに生物は面白いな、と思うようになったんです。結果的には得意科目になりました。
「河野先輩には、生物がスランプの際の質問・相談相手になっていただきました。」(岡田さん)
―テストでショックを受けてから頑張ったことで全体的に仕上がったんですね。
まあ穴もあったんですけど、自分が得意な、好きなところが本番で比重多めに出た、というのにも救われたと思います。
―東海大学は理科1科目なので、占める割合が大きいですからね。
そうなんです。しかも偏差値換算で標準化されるので、ちょっと自分が周りより出来れば、跳ね上がる。
―じゃあそれが受験の決め手の一つだったなかもしれない、と。
―英語の問題はどうでしたか。東海のものはレベル的には全然できると思いますが。
いや、時間がなくてそんなに…。(笑) ただ、記述あるじゃないですか、和訳と英作文。それは絶対に採ろうと思って。直前期に鍋谷先生の個別で対策して、自分的にはこれが功を奏していたかなと思っています。周りは結構書けてなかったみたいで。
―やったところが成果を出して実を結んだら嬉しいですね。
めちゃくちゃ嬉しかったです。しかも、自分的に東海は狙っていた学校だったので。日大はN方式の対策を全くしていなくて、まあ出来るだけ頑張ろうという感じで受けて受かってたんですけど、東海は狙って受かったというのが自分の中ではすごい嬉しかったですね。
―東海を志していたのは、どういう所に惹かれてだったんですか。面接ではどういう志望理由で攻めましたか?
なんかイメージが自分の中で良かったですね。志望理由としては、救急救命に少し興味があって、東海は救急救命が強いので、このことを話しました。あと、東海大学の校風として『良医』という患者さんのことを第一に考える、治療だけじゃなくて寄り添うということを掲げていたのが良いなと共感しました。
―東海大の反応はどうでしたか。
ずっと頷いてくれてはいたんですけど、その後に自分絶対落ちたな、と思うことがあって。(笑) 年配の方が試験官だったんですけど、なんか最後に「ご苦労」と言われて。自分は、「ご苦労」というのが「オッケー、君はもういいよ。ここまで来てくれてありがとね」みたいな感じで言われたのかなと思って、すごい気にしちゃったんですよね。
―その受け取り方は・・・・岡田くんの性格が表れてるね。
こんなんじゃ医者は持たない。(笑)
―メンタル面は少しずつ修行していってくださいね。(笑)
―一会塾の生活の中で、良かった点・悪かった点を聞かせてください。どういう印象でしたか。
雰囲気はアットホームで、自分が落ち込んでたりしたら絶対に川浦さんと関さんが声をかけてくれて、本当にそれがありがたかったです。だから、毎日来たいというか、行きたくないって思わないような塾でした。
―仲野先生の数学クラスは盛り上がっていたと思うんですが、いかがでしたか。
そうですね。自分はいじられ役だったんですけど。(笑) 一体感というか、仲野先生クラスという絆というか、あったと思います。
恵比寿校の教室
―クラスみんなで一緒に頑張れたということですね。
―話は少し戻りますが、レビューテストの挫折など、大変なことはたくさんあったと思います。どうしてそういった山を乗り越えて行けたと思いますか。
友達の存在に助けられた部分があったのかなと思います。今年のうちの既卒の代は年関係なく現役生含めてめっちゃ仲良かったんですよ。みんな、僕が落ち込んでても、声かけてくれたりとかして、もちろん友達に対して悔しいと思うこともあったんですけど。環境的に前向きでいられたという点で周囲の人たちの存在は大きかったです。
―一番話したスタッフは誰でしたか。
関さんですね。自分がメンタルブレイクすると、勉強の話から入って、世間話とかもしてくれて。ちょっと長く話過ぎたかなっていうのもありましたけど。(笑) でも他にもお世話になった方が多すぎます。本当に色々な方に支えていただきました。
進路指導スタッフ 関
「関さんには、いつも励ましてもらっていました」(岡田さん)
―では、入試期間の話を聞かせてください。生活リズムが変わったり、手ごたえが良くなくて気持ちが下がったり、そういった試験が始まってからのコンディションはどうでしたか。
元々自分は、普通の授業期間は結構体調を崩しがちだったんですよ。でも、試験期間は問題なく乗り越えることができたんですよ。入試を控えている前日でも変わらず9時までやろう、というのを決めてやっていました。一会塾にいると安心感があるので、むしろずっといたい、という感じで。(笑)
―そうだったかもしれませんね。(笑)それは良かったです。
―高橋優子先生に二次試験の対策をしてもらったと思いますが、どんな印象ですか。
優子先生は、本当に一人ひとりを覚えていてくれるんですよね。実は塾に入ってすぐの2021年の受験は、(記念受験として)昭和大学だけ受けたんですよ。
―そうでしたね!
昭和の志望理由を書くってなって優子先生に初めてお会いしたときに、色々と赤裸々に自分について話したことを、その後約半年経っていても、覚えていてくださって。いつも励ましてくださいました。「いい医者になるよ、岡田くんは」と。
もちろん志望理由や面接対策でもお世話になりました。ただ、日大の前日の面接対策で、めちゃめちゃダメ出しを受けて、泣いてしまったんですけど。(笑) あんな厳しい優子先生見たことなかったです。
メディカル・ディベイトの事前説明をする高橋優子講師
(岡田さんは最前列に)
メディベイトに参加するリーダー役の医大生
(右端が岡田さんがいつも相談していた順天堂大の河野先輩)
―本気で受かってほしかったんでしょうね。もうちょっとのところまで来てるのに…!
て。
そうですね…。でもその指導があったおかげで、日大も頑張れました。優子先生にはたくさん声をかけていただいて、本当にお世話になった内の一人です。
―紆余曲折あって医学部を目指すことにしたけど、挫折感を味わい、さらにコロナで止められて…と。またそこから再出発して、大逆転、医大生ですよ。本当におめでとうございます。
ありがとうございます。
―今日はお時間いただき、ありがとうございました。