【合格体験記2022】帝京大学 医学部医学科 藤森創さん(芝高校) ~合格連絡は入学式直前の3/31。現役時とは異なる確かな手ごたえ。一番の苦手科目だった物理を得点源に変えられたことで他科目にも変化が・・・最後まであきらめなかった逆転合格ストーリー

藤森創(ふじもりはじめ)さん

帝京大学 医学部医学科 

芝高校

 

 

入試データ

帝京大学 医学部 医学科

帝京大学では、最大3日間の受験の機会がある。

2 日または 3 日受験した場合、「試験日ごとの学科試験 3 科目の合計点が最も高い日」が採用される。

試験科目も英語+2科目と合計3科目であり、苦手な数学や理科1科目を回避できる。

詳しくは「医学部入試研究所みらい」HPから帝京大学の入試要項で確認できます。

 

―お名前と進学先をお願いします。

 

藤森創です。帝京大学医学部です

 

―ほんとうにおめでとうございます!

 

ありがとうございます。

 

―高校はどちらですか?

芝高等学校です。

 

―中高一貫の男子校ですか?

はい。

 

―藤森くんが初めて一会塾に来た時。何年生の何月くらいですか?

高校1年生の3学期だったので、1月か2月その辺りだったと思います。

 

―じゃあ、高1の終わりくらいに来てくれたのですね?

はい、そうです。

 

―きっかけはありますか?

家から近かったって言うのが正直なところだったんですけれど。成績を軌道に乗せたいなと、高校1年生の時くらいから、少し上の大学を目指そうと思っていました。医学部って言う明確なイメージはなかったんですけれど、そろそろ勉強を頑張りたいなっていう気持ちがあって、一会塾に入ったっていう感じですかね。

 

―入ったら、N君がいたの?

 

そうです、入ったらN君がいたんです。

 

 

―じゃあ、別に友達がいるから来たわけじゃなくて。そろそろ、危機感があっていらしたということですね。

 

はい、そうです。

 

N君だけでしたか、芝高校の友達は。

 

そうですね、一会塾の恵比寿校にいたのは、N君だけでしたけど、武蔵小杉校には、芦田君がいました。

 

 

 

 

3人が同じ学年でやっていたんだね、なるほど。

 

 

ー高校2年生の時、一会塾に入って安定した時期を過ごす訳だけど、その時に習っていた科目は覚えていますか?

化学がメインであとは数学だったと思います。そうです。あ、英語やっていました。鍋谷先生の授業を受けていました。

 

―ちょっと聞きにくいことを聞いてもいいですか?学校では藤森君の(成績的な)立ち位置っていうのは、真ん中くらでしたか?

めちゃめちゃ下です。

 

―それは、中学からなんとなくポジションが決まっていたの?

中学の時は1番下でした。高校1年の時、高校入りたての時に盛り返して真ん中より少し上くらいにいたんですよ。なんですけれど、高校2・3年上手くいかなくて、また下の方にきちゃって。でも、がんばって浪人生活1年続けたら、医学部に受かっちゃったっていう感じです。

 

 

―なるほど。いやいや、「受かっちゃった」はないと思うよ。先生方も認めるくらい相当努力されました!ただ、成績的には苦労したんだね。中学の時とか頑張らないと上に行けないっていう。やっぱり、芝高校自体もレベルが高いし、みんな周りが出来るしみたいなのがあったのかな。

 

そうですね。

 

 

 

 

―受験の時のことは覚えていますか?中学入試のときですね。

 

中学入試の時は、受かるだろうなって思って受けていましたね。

 

―そうなんだね。早咲きと言うか、小学校の時は、けっこう算数とか得意だったのかな。

 

小学校の時は、全科目得意だとずっと思っていましたし、芝より上の学校も受かると思っていましたけど、変な言い方すると「芝でも十分だろう」って思ったんです。僕は、その上の所のギラギラした奴らと戦うのが「苦手だな」って言う気持ちが少しあって。そういう気持ちで芝に行ったら、そういう気の合う奴らがいたって感じでした。

 

―じゃあ、学校はハマったんだね。ちょうどいい所にね。

 

本当に、芝は僕に合っていた高校でしたね。

 

 

 

―小学校の時に通っていた塾の名前を聞いてもいいですか?

目黒駅前にある希学園っていう所です。

 

―そういえば同じ帝京に進学されるA.Mさんと同じ塾だったのですね。一会塾では、中学受験の塾友と再会された感じですね?

 

僕は分かっていましたけれど、最初、彼女は気づいていなかったと思います。

 

―中学受験のときから紐解いて、藤森くんがどうやって医学部に入るまでに数学や理科を磨いていかれたのか、もっと聞かせて欲しいのだけれど、“余裕”で入ったはずの芝高校でどうして一番下になってしまったのかな?

お恥ずかしい話なんですけれど・・・人間関係が上手くいかなくて。なんか悪びれちゃったと言ったらおかしな感じですけれど、自分を強く見せようというか、勉強は実力があると思っていたんですけれど、その他がたぶんすっからかんだったんですよ。それでも、周りになめられたくないっていうか、自分をすごく見せたいっていう気持ちがずっとあったんだと思います。1年生の時は、(他の人からすれば)ちょっとめんどくさい奴だったんです。だから、友達とも、全然仲が良くなくて。休み時間とか放課後とか図書室にいるような、そんな過ごし方をしていたんですね。だから、テストでどこが出るかとか寝ちゃったら全然分からなくて。そのままテストを受けて、点数悪くて・・・・これを繰り返してしまった感じです。

 

 

 

―だから、ちょっとすねちゃったっていうか。なるほど思春期というか多感な時期のプライドみたいなものが微妙に働いてしまう・・・・何となくわかります!そういう中学時代だったんですね。それも青春なんだろうけどね。

 

ハハハ()。でも、中2くらいから、色々上手くいくようになって、気の合う友達も見つけて。そこの辺から少し順調になっていきました。

 

 

―医学部に行こうって決めたのは何年生?

高校2年生くらいから、医学部に行くんだろうなっていう流れがありました。一会塾を選んで、そこがたまたま医学部専門の塾だったということも・・・。さらに、自分の父が医師である、そこまで揃ったら、僕は医者を目指すだろうなって思って医学部を目指したんです。でも、高校3年生の5月末くらいなんですけれど、自分の祖父が、癌で他界しまして、その時に、やっぱり自分は医者って職業に就かなきゃいけないって思いました。医学部に出す志望理由では高2のころに医師を目指すようになったと書きましたが、今考えると、本当に肝が座ったのは、やっぱり祖父が亡くなった時でしたね。そのとき強く「自分が医者になって、自分に誇れる人間にならなきゃだめだな」って思うようになったのだと思います。

 

 

―ありがとうございます。よくわかりました。現役高校3年の途中になってから意識に変化があったのですね。

 

そうですね、そのとき決意が固まったという感じですね。

 

―そして、どうなんだろうね。現役で医学部に入るっていうのもなかなか厳しい。

 

そうですね、正直、医者になろうって決めたのも6月くらいだったんで、ちょっと厳しくはありましたよね。実際、全然(成績的には)手も足も出ずっていう感じで共通テストも実際のテストも受けた感じでした。

 

 

―それでは得意不得意でいくと、4教科、最終的に得意だった方から言ってもらえますか。

 

物理・数学・化学・英語ですね。

 

―なるほど。ただ物理は最初から得意ではなかったんだよね?

 

そうです。

 

―物理の変化について聞きたいんだけれど。どういう風にして成績は上がっていったの?

 

高校3年生が終わろうとしている時の私の物理の偏差値は40ちょいくらいだったんですけれど、他の科目もそれくらいだったんですよ。英語なんて39とかで。でも、そんな成績の中で先生の授業を聞いても分からないわけですよ、そのレベルですから。なんですけれど、高校3年生の終わりの頃に、物理の鳥田先生とすごく仲良くなることができて、色々教えてもらっている内に「僕の所に質問にきていいよ」って言ってくれたんですよ。社交辞令だったのかもしれないんですけれど、僕は「やっと自分が頼れる、しがみつけば答えてくれそうな人を見つけた」って思って、毎週毎週、水曜日だったと思うんですけど、8時ちょっと前くらいに授業が終わって、そこで鳥田先生が出てくるので、その後ずっと質問して。ちょっと迷惑だったかもしれないのですけれど、下手したら10時くらいまでいくような、そういうのを高校3年生が終わって2月の真ん中くらいから4月くらいまでずっとやっていただいて物理の基礎が身についていきました。

 

物理科 鳥田講師 ↑写真をクリック

 

 

―藤森くんの熱意に先生もお力を貸してくださったということですね。

 

はい。

 

―なんか、ときどき怒られてなかった?(笑)「なんでさっき言ったことが分かんないんだよー」みたいな。

 

はい、本当に分からなくて()。でも、鳥田先生は怒ってもしっかりと教えてくださいました。僕は独善的で頑固な所があって、「自分のやり方でできる」って思ってたんですよ。せっかく塾に来て先生に教えてもらっているのに、何だか知らないけど、「この問題は、先生が教えてくれるよりも自分が考えたやり方の方がいい」って思ってしまうんです。もうそういう思考回路ができてしまっていて・・・でもやっぱりそれだと分からないわけですよ。間違えて、自分のやり方の解き方だから誰にも質問出来ず、そのまま放置してたみたいな感じでした、それまでは。それを鳥田先生ははっきりと「だからダメなんだよ~!」としっかり言ってくださいました。

 

 

―そういうことだったんですね。藤森くんは、頑固だったんだね。

 

そうなんです。そんな状況を鳥田先生が見て「藤森君は、頭がいいよ」と「頭はいいけど、天才じゃないから、ちゃんと先生の言われた通り努力しよう」と言われたんですよ。それを言われた時に「その通りだな」と素直に思って、この先生に僕は物理を教えてもらいたいなと思ったんで、ずっと、鳥田先生に引っ付いて物理を教えてもらいました。

 

 

―高3の4月から鳥田先生に習っていましたか?

 

高3の夏休みくらいから、鳥田先生の授業は受けていました。でも独りよがりのまま2月頃に医学部の受験がありました。それでそのときは医学部後期入試は、受けずに2月、3月、4月と、鳥田先生に継続して教わりました。一会塾での、浪人生の授業が始まるまでの間は、ずっと鳥田先生に習っていました。

 

 

―そこで、物理が覚醒したのかな?

はい。4月始まった後の、一会塾で受けさせもてらった河合の模試で一会塾の中で2位になっていました。

 

―おー!やったじゃないですか!!

 

やっぱり自分の自信にもなりますよね。物理ができていないときは、どれほど自分が足りていないかって言う事も分からないんですよ。要するに、今自分が出来ていないなって言う科目を出来るっていう風に持ってくるのに、どれだけ時間がかかるかわからないから、めちゃくちゃ辛いし、怖い訳なんですよ。でも、まず1つ「できる状態に持っていったっていう事実」が自分の中ですごく嬉しくて、(同じようにやれば)勢いづいて数学も英語も化学もできるんじゃないかって思えたんです。

 

―さっきのお話では、偏差値が全部40くらいだったんですよね?

 

はい、そうなんです。でも最後の最後は全科目60くらいまで持っていくことができました。

 

 

―という事はね、高3の時に受けた医学部の感覚、試験会場に行った感覚と浪人の時に試験会場で解いた感覚はもう全然違うんだね。

 

全然違いましたね。

 

 

 

 

―どう違うの?

覚えていますけれど、帝京で物理を解いていた時なんですけれど、解きながら「この問題って基礎のこれとこれが出来ていればできるけど、みんな解けない問題だろうな」って思いながら解いていたんです。結構難しくて、複合型みたいな問題を出してくるんですけれど、それも、「(僕が)現役の時だったら、絶対解けないな」って、「でも(今の)僕なら解けるな」って。その時に、この1年成長したんだなって言うのをすごく感じました。

 

―物理で、3か月こだわって質問しまくって、殻を破れて、「これが出来るってことか!」って納得したんだね。

 

はい、そうです。

 

―で、浪人生の時は、真木先生のクラスだったのかな。

 

そうです。真木先生の授業は本当に無駄なところがなく、先生の授業の復習だけを4月下旬からやるようにしてから模試で高得点が取れるようになりました。物理の現象を原理から説明してくれるので、公式を忘れることがなく安定した成績なりました。医学部受験の特効薬って言ったらおかしいですけど、過去問を解いている時に真木先生のテキストの凄さを感じました。やっぱり、基礎をちゃんと固めた上で、真木先生の授業を受けるって言うのが最適解。自分の物理の実力をもっと上に上げる上ですごく役に立ったなと実感しています。

 

 

物理科 真木講師 ↑写真をクリック

 

 

―なかなか合わなかったジグソーパズルがハマったって言う感じですか()

そうです。綺麗につながった。現役の時は、真木先生の授業は難し過ぎて何を言っているか全然分からなかったんですけれど、それが分かるようになって、逆に周りの子達が苦しんでいるときは、それを横目に見ながら「俺、物理できるんだ!」「物理が武器にできるんだ!」って思っていました、すみません。

 

 

―後半の方は、完全に自信のある科目になっていたということがよくわかりました。

―そうは言ってもね、物理みたいに、数学とか化学とかもそんな上手くいかないはいかないと思うんですが・・・

 

数学は本当にできなかったんですよ。浪人に入って、微分すらちゃんとできなかったんです。今もはっきり覚えています、微分積分が僕にはできなくて・・・そんな状況でも、頑張らなくちゃなっとは思っていました。物理以外の科目で、ずっとやっていたのは、この1週間、自分がどう言う勉強方法をとったかをメモにとったんです。1週間ごとに授業があるじゃないですか、その度に、「この週は復習を何回やりました、何周やりました。予習を何回やりました。」みたいな感じで。対照実験みたいな。自分に合った勉強方法を探していました。浪人生活って単調、マンネリみたいな感じでやる気がなくなってきたりするじゃないですか。でもその方法で、毎週毎週、やることが変わっていくと、自分の中でも、楽しさみたいなものが生まれて、楽しくやりきれていたなって思います。

 

 

 

 

―具体的には、どんな風にやっていましたか?

 

 

日付の書いてある日記帳みたいなものに、今週の数学はどういう風にやりましたみたいな事を書いてやっていました。あと、最初の頃は、恵比寿校の関さんが、毎週授業の前にやる数学のテスト結果を教室に張り付けるんですよ。僕は全然できないからもちろん最下位なんですよ。でも、夏前くらいになってくると、出題範囲が1つの単元なので、ちゃんとやれるとポンと1位になったりするんですね。個人的にすごい気が楽だったのが、最初、最下位だったので、もう抜くだけだったんですよ。だから、最下位になってもプライドが傷つかないし、1位になったら「今週頑張れたな」「今週いいやり方を見つけられたな」って思えて。関さんからは刺激的な短期目標を与えてもらいました()

 

一会塾で、1月に行われる「出陣の儀」 ダルマの目入れをする藤森さん

 

 

―数学Monthlyテストも小テストも?

 

そうです。すごいやりがいがあったテストでした。

 

※月1回あるマンスリーテストは、数学の授業の4週間分の一会塾統一の復習テスト

小テストは、各講師が授業内で行う復習テストのこと、毎回、結果が掲示される。

 

 

―なるほど、それを見せつけられたことによって、できた時は嬉しいし、出来なかった時は原因がはっきりしていると。

 

そんな感じです。

 

―休まずに、着実に数学も力をつけていきましたね。

 

―化学は好きになれたのかな?

化学は好きになりましたね。化学も好きですけれど、物理が一番好きって感じでした。化学もなんなら英語も好きなんです、実力が伴わないだけで・・・(笑)

 

―嫌いであった訳ではなかったのですね。藤森くんらしいです()

 

元々は嫌いだったんですけれど、浪人1年で好きになりました。

 

―たぶん、藤森君は反応が分かりやすい生徒だったと思うんですよ。分からない時は分からない顔をする。分かったら、喜んでくれるっていう、教える方にとってはすごく分かりやすいから、先生もあれだけ一生懸命に教えてくださったと思うんですね(笑)

 

 

―数学は先生方とはコミュニケーションいかがでしたか?

 

数学は、佐藤悠太先生と小田先生と仲野先生と川浦先生に習っていました。

 

 

数学科 佐藤悠太講師 ↑写真をクリック

 

数学科 小田講師 ↑写真をクリック

 

数学科 仲野講師 ↑写真をクリック

 

数学科 校舎長 川浦講師  ↑詳しくは写真をクリック

 

 

―校舎長の川浦先生は、総合数学演習で習っていましたかね?

はい。演習をやってもらっていました。

―恵比寿校のオールスターに習っていたんですね()

 

はい、そうです(笑)

 

―最終的に苦手な英語も安定してきたって感じすか?

 

文章題をめちゃめちゃ読めるようになりました。医学部の問題になると、知識問題・文法的な問題が、頭のいい人と差が出てきちゃうんですけれど、文章は対等くらいに闘えるくらいになっていました。一番最初の頃、英語は本当に出来なくて。澤田先生だったり、浅野先生だったり、ずっとアドバイスを聞いたり、七田先生に質問したり、そういうのを毎日繰り返していたら、最終的に本当にギリギリでしたね、文章を読めるなと思い始めたのが、12月くらいで、その時に

 

「自分のペースで英文が読めるようになってる」

 

って思いました。

 

「要らない部分は、頭の片隅で意味を理解しながら、ちゃんと読まなきゃならない部分はしっかり和訳できるな」

 

って思えるようになっていました。その時に自信がついたというか、自分の成長が実感できました。

 

 

英語科 浅野講師 ↑写真をクリック

 

英語科 浅野講師 ↑写真をクリック

 

英語科 七田(しちだ)講師 

 

 

―やっぱり、たまたま受かるってことはないと思う。現役の時と比べたら、すごい力がついて、試験会場に臨めたんだね。

 

はい。

 

―良かったです!・・・ただでも、ここから医学部受験の恐ろしさというか、1次試験を通過したとしても、2次試験を通過しないと医学部には合格できない。帝京の繰り上げを待って、待って、最後に来ましたよね?そのあたりお聞きしていきますが・・・よろしいでしょうか?

一番最初、岩手医科大の一次に藤森君が軽々と通ったとき「おー、すごーい」って思ったし、(恵比寿校の中で)最初に合格を手にするのは藤森くんかなって、先生方も思っていたんですよ。でも・・医学部の壁ってやっぱりきちんとあって、中の中じゃ受からないっていうか、中の上の上じゃないと受からないみたいな、厳しさを感じましたか。

 

やっぱり、岩手の面接が落ちたってわかって、その後に帝京の面接が落ちたってわかった時に、実力が足りないっていうのはあったと思いました。面接もはじめてだったのでそうそう簡単には通してくれないのかなっていうのもありました。中学高校とワンダーフォーゲル部だったんですけれど、学園祭とかに参加しなかったですし、生徒会にも参加しなかったです。だから、そういう所で、団結したっていうエピソードが少なくて、自分の事がアピール出来ていなかったんじゃないかなって思いました。医学部入試の中盤あたりでは・・・化学とか数学とか焦るとボロボロミスが出ちゃって・・・そういう所がビシっと決められる人が受かるんだなってそのときは思ってしまいました。それで辛い気持ちになりました。焦れば焦るほど、ミスって起きちゃうっていうか中盤ごろの入試でしたね。

 

―医学部の場合、英語・数学と理科2あって、4つの内2つ上手くいっても受からない。3つ目が上手くいかないと受からないみたいな感覚がインタビューしているとよくあります。だから、物理が上手くいったとしても、数学で計算ミスしちゃってこけちゃったりとか、すごい差が激しくなるのが数学ですよね、印象としては。そういうので馬が合わないとやっぱり、一次突破いい点数いかないと2次で逆転も限界もあるかもですね・・・

―では帝京の面接対策をしたときのことを聞かせてください。

 

帝京の面接対策を前日にやっていただいきました。ただ今年はちょっと違ったんですよね。例年では、パーソナルな質問の後に、トロッコ問題みたいなのが出るんですよ。

 

―トロッコ。有名なやつだよね。

 

「作業してる人が1人いて、そこにトロッコが流れます。でも、レバーを引くとこっち側に突っ込んで多くの人が死んでしまうけど、この人は助けられます。あなたはどうしますか?」

 

みたいな。どっちも答えがないような問題が毎年、帝京の面接の恒例だったんですけど、僕が受けた時は

 

「テストまで7日間あります。1日4時間勉強すれば、あなたはそのテストでいい点数が取れます。最初の2日間、学校がハードなスケジュールで勉強を2日間サボってしまいました。残りあなたは5日間使ってどういう風に勉強しますか?」

 

っていう問題が出ました。「え?」って思うじゃないですか。僕は確か次のように答えました。

 

「元々分担した合計時間があるんだったら、それを5日間に均等に埋め直して色々やり繰りします。」

 

―それで終わったんですか?それとも、その後質問が続きましたか?

 

続かなかったですね。面接時間10分と決められているんですけれど、7分くらいで終わっちゃったんです。面接官2人いらしたんですけれど、その2人の先生の態度が、割とそっけなかったです。

 

―ドキッとしますね。

 

そうなんですよ。しかも僕の面接が一番最初だったんです。先生方がどういう風に対応しているかわからないままでしたね。

―10分で合否を決められてしまったら、怖いですね。

 

ハハハ。そうですね。

 

―質問が35つある中の1つでしたか?

 

上記の問題が1つあって、その前に色々質問がありましたね。例年では本学志望理由は聞かれてはいなかったんでけど、今年は「帝京大学を志願した理由を教えて下さい」って聞かれました。

 

―ところでいつ、帝京の合格通知来たのはいつでしたか?

 

3月31日でした。

 

―3月31日。

はい、そのとき自分は、次の入試に向けて自習室で勉強していました。その時読んでいた英文があまり頭に入って来なくて、なんとなく嫌な感じだなと思っていました。すると、スマホが鳴り出して。今時、電話なんて来るわけないから「絶対それだ!」って思ってとったら、女の人が「帝京大学受験なんちゃら課ですけれど・・・」っていうのが来て。

 

―来るとしたら、もう本当にギリギリのタイミングでしたね。「ヤバい、きた!」と思って。自分であわてて電話に出たんですね?

そうです、僕が出ました。

 

―それで「事務局です」と。で、名前確認されて?

はい。

 

「藤森創さんでしょうか?」

 

「今回あなたは、帝京大学の繰り上げ合格の資格を得ました。どうしますか?」

 

って。僕、その時にパニックを起こしちゃって。もう明日、もう1度、浪人生活が始まるって時に、帝京に入っていいものだろうか?って錯乱しちゃったんですよね。

 

「すみません、返事を待ってもらえますか?」

 

って聞いて、時間がちょうど12時くらいだったんですけれど、

 

「じゃあ、2時までにご返答下さい」って言われて。

 

父親と母親に急いで電話しました。そしたら、父親が

 

「まず落ち着つきなさい。そして早めに電話して進学させていただきますと言いなさい。」

 

と言ってくれました。その後すぐに帝京に電話して

 

「私、帝京に行きます。・・・・・」

―ちゃんと言えたんだね!

 

はい、そうです()

 

―親御さんも、藤森くんの動揺を理解されて、気が気じゃなかったんじゃないかな?

 

そうです。自分が一番信じられなくて。大学側には迷惑かもしれなかったんですけれど、何回も

 

「本当に受かったんですね」

 

っていう確認の電話をしました。

 

―何回したの?

3回しました。

 

―3回したの?()3回とも「はい、受かりました」って言ってもらえたのね。

 

2回は僕がして、さすがに3回目は申し訳なくて、3回目は母親にしてもらいました()

 

―録音したくもあるよね。分かります、その気持ち!

 

本当に。もしかしたら、いたずら電話かもって思って。

 

―良かったねー。すごい。

 

 

―それで、入学式はいつなの?

 

4月4日でした。

 

―すぐじゃない。

 

本当にすぐでした。

 

―しかも、そこから手続きして、書類とかも取りに行って。

 

書類はその日中に郵送されてきました。

 

―4月4日入学式で。行ってみたら、けっこう友達がいましたね。

 

あ、そうです。元々、1年先に帝京に入っていた同級生だったN君がいることは分かっていたんですけれど、同じ芝高校で4年間同じクラスだったメンバーが3人いました。だから、彼らと固まっていて話しながら、今は楽しく過ごしています。

 

―みな、1個上学年?

 

同じ歳です。僕以外に3人医学部志望のやつがいて、彼らが、僕と同じく1浪して、全員他の塾だったのに、帝京に来たんですね。別に口裏を合わせた訳でもなく()、たまたまだったようです。

 

―呼び寄せましたね。

 

ははは()、そうなんですよ。

 

―芝高校はそんなに医学部志望者が多いのですか?

医学部志望者は毎年、そこそこいるんです。60人くらいいるのかな。

 

―へえ、すごい多いね。ここからはちょっと大学に入ってからのことをお聞きしますね?

―帝京大学では対面での授業を重視するようですが・・・

 

はい、全部対面です。

 

―それは、方針として決まっているのですか?

 

決まっています。コロナ禍での注意喚起もいろいろとあります。ご飯を食べる場合1テーブル4人までとか、色々決まりがあります。あとは、国内旅行・海外旅行とか、泊りは禁止など。

 

―泊り禁止なの?けっこう辛いね。

 

そうなんですよ。でも、他の学校の話を聞いてると、対面授業すらやっていない医学部がありました。その医大の授業の単位は、ネットに上げられる授業の動画を見て、何個見たかで単位が取れるっていうようなそんな感じなので、対面はすごく嬉しいし、新歓もまだ始まっていない学校も多いらしいです。帝京の新歓は4月の初めの頃に始まっているので、それで色々行っています。

 

 

―確かに大学によっては1年生の授業は全部ZOOMや映像でってなるかもしれないけど、帝京はそういう所にこだわりがあって、その代わりに規則が厳しいと。新歓をやれてるってすごくないですか。

 

すごいですよね。

 

―オリエンテーション期間っていうのがあるのかな?

いえ、部ごとに決めていて。今な感じで僕もびっくりしたんですけれど、今はインスタグラムとかで予約を取るんですよ。 例えば、帝京大学テニス部っていうのがあって、インスタグラムで「今年入りました帝京大学1年の〇〇です。部活に入りたいんですけど、新歓やっていますか?」みたいなことを聞いてから、行くんですよね。

 

―それは、組織のインスタがあるってことですね?

 

そうです。

 

―○○部のインスタとか。そこのメッセージに入れるんだね。

 

そうです。

 

―それで、何部に入ったの?

まだ入っていないんですけれど、テニス部と柔道部と卓球部の3つの新歓に行ってきて、どこに行こうかなって考えています。

 

―新歓っていうのは、新入生歓迎イベント的な?

 

初心者でも、最初からやってくれるよっていうデモみたいな。

 

―楽しそうですね!

 

そうなんです。楽しいんですよ!()

帝京って、入る前は、ちょっと怖いイメージがあったんです。お金持ちがいっぱいいて、みんな留年して・・みたいなそんなイメージがあったんですけれど、実際に行ってみると、人も良いですし、何より気が合う人が多いです。先輩方もすごく優しいです。

 

 

帝京大学 板橋キャンパス

 

 

―全然世界が変わったね。

 

本当そうです。3月31日に電話が来てなかったら、もう1回浪人してるかもしれないし、タイミング悪くて電話に出られなかったら流れてしまうかもしれないと思うと・・・

 

 

帝京大学 建学の精神

 

 

 

―ほんとうに、そうだね。ところで一会塾で一番、喋ったスタッフや講師は誰でしたか?

 

関さんとはめちゃめちゃ喋りましたね。先生は満遍なく喋ったかな。

 

 

進路指導スタッフ 関(関) 化学担当

 

 

―わからなかったら、すぐ聞きに行ってたのかな?

はい、そうです。最初、英語は実力が無さ過ぎて、質問ができなかったんですよ。でも、英語科の七田先生は、スタッフ講師としてずっといらっしゃるので質問して、徐々に僕がどれくらいのレベルかわかってくれる先生が多くなったんで、澤田先生とか鍋谷先生とかにも質問に行くようになりました。あと、自習室が閉館した後に先生の許可を得て、単語の暗記を毎日22時までしていました。英語の暗記の週間の無かった自分にとってはとてもありがたかったです。

 

 

進路指導スタッフ 兼 英語科 七田講師 

 

―では、一番話した関さんとのやりとりの中で印象に残っていることはありますか?

僕は最初の頃、出来なさ過ぎたんで、自分の勉強スタイルも定まってなかったんですよ。勉強のスタイルって色々あるじゃないですか、復習少なめでもいける人とか、予習が多い方がきれいに頭に入る人とか、授業でしっかりノートをとってそれで済ませてしまう人とか。

僕が今どういう状況かっていうのを、関さんに話して

 

「昔、これこれこうやって上手やっていた生徒がいる」

 

って話を聞いて

 

「じゃ、それを今週やってみよう」

 

って、自分の方針を決めるのを手伝ってもらっていた感じですかね。

 

―頼れる姉貴的な存在だったのかな?

 

はい、本当に良かったです。

 

―今日は、ほんとうにいろいろと聞かせていただいて勉強になりました。ありがとうございます。

 

こちらこそ、ありがとうございました。

 

 

 

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