久保田響さん
成蹊大学 理工学部 理工学科 機械システム専攻
横浜翠陵高校
―第一志望への合格おめでとうございます。
ありがとうございます。
―入塾は、いつ頃か覚えていますか。
高3の8月末ですね。
―入塾のきっかけ、動機などはいかがでしたか。
ずっとサッカー部だったんですけど、その頃(8月末)に引退して、そろそろ受験勉強に切り替えなければなと思いました。
―なるほど。サッカー部は結構大変だったんじゃないですか。
そうですね、週6で練習がありました。
―ポジションとか聞いてもいいですか。
センターバックで、一応スタメンで。
―すばらしい、スタメンでセンターバック。活躍されていたわけですね。それでひととおり試合が終わったのが8月末。
7月末から始まる試合があって、1つ勝って、その後負けてしまって、そのタイミングが8月末でした。
―では、高校生活はサッカー部が中心だったんですかね。
そうですね、一番時間をかけたのがサッカーでした。
―一会塾はどういう風に見つけてくださったんですか。
学校帰りに寄りやすいということと、家からも近いということを条件に探して、検索した時に、前を通ったことがあるなと、見覚えがあったので。
―それで、8月末に来て、夏期講習の後半から受けたんですよね。その時に受けた授業は覚えてますか。
体験で数学、物理、英語を受けて、実際にその後授業を受けたのが物理と英語です。
物理は岩佐先生、英語は石井先生でした。
英語科 石井講師 ↑詳しくは写真をクリック
―ありがとうございます。一会塾に来るまでは、他の塾も行っていなくて部活ばかりだったと。だけど大学受験することは決めていたんですか。
そうですね、大学は行くつもりでした。それで、成蹊大学にオープンキャンパスに行っていて、自分の学力と相談して、頑張ればいけるというところで、一番行きたいと思っていました。
―なるほど。オープンキャンパスに行ったのは成蹊だけですか。
あと東海大学と神奈川大学も行きました。
―夏休みぐらいに行ったんですね。それで成蹊の印象が良かったと。
はい。
―久保田くんは、塾での生活は、週2回物理と英語の授業がある時だけ来ていた感じですか。
それ以外の日も結構、自習室を利用してました。
―自習室も活用してくれていたんですね。授業の印象をお聞きしたいんですけど、岩佐先生の物理は途中参加でしたが、ついて行けましたか。
岩佐先生は面倒見がすっごく良くて、学習方法の確認というか、僕の学習方針を立ててくれたりしていて、やるべきことをしっかり提示してくれたので、信頼してやっていくことが出来ました。
物理科 岩佐講師 ↑詳しくは写真をクリック
―物理って4月からの組み立てを元に8月、9月は演習をしていくイメージなんですけど、その点は、大丈夫でしたか。
はい。物理が一番伸びたのと受験の当日も物理には自信を持って挑むことができました。
―それは良かったー
そうですね。岩佐先生のおかげです。直前に個別指導もお願いしていて、個別では数学も岩佐先生に少しみてもらったりしていて、演習で分からないところも岩佐先生に聞いたりして、勉強面は勿論ですけど、本番直前のメンタル面でもすごく助けていただきました。
物理科 岩佐講師
―そうだったんですね。本当に良かったですね。
石井先生の英語はどうでしたか。文法と読解両方、受講されていました。
英語科 石井講師
英語はだいぶ苦戦しました。(笑)ずっと苦手だったんで。だけど石井先生の授業を受け始めて、考え方が変わったというか、まあまだ得意ではないんですけど、苦手意識は薄れていきました。入塾前とは全然違っていました。
―それは良かったです。塾を選ぶときのポイントってありましたか
そうですね。それでちょうど武蔵小杉に一会塾があったのと少人数という点で選びました。
―そうなんですね。久保田君の自宅から横浜翠陵高校までは、結構遠いかと思いますが、学校は生徒さんは、色んな所から来ているんですか。
僕が結構珍しい方です。実は高校受験で失敗していて。公立志望だったんですけど落ちてしまって、滑り止めの私立は適当に決めちゃっていたので。今は行ってよかったと思っているんですけど、入学前はマジかぁーみたいな感じでした(笑)
―実際入ってみて、どんな高校でしたか。自由な校風ですかね。
うーん、形は厳しいけど、実際は自由とも、少しユルいとも・・みたいな感じですかね。(笑)
―部活が盛ん。
それほど盛んじゃないです。きちんと活動してるのは、サッカー部、野球部、ダンス部ですかね。
―じゃあみんな何に一生懸命だったんだろう。
結構僕みたいに公立に落ちて来たっていう人も多かったので・・・人それぞれかもしれませんね。
―そんな中で、久保田君は高1からサッカー部に入ってきちんと活動して、週6も練習して頑張って、その時は何か目標とかあったんですか。
高1の時は無かったですね。本当に何も無くて、ただ漠然と高校に行ってましたね。
―そうかそうか。で、高2になって変化はありましたか。
高2の時にコロナになって、3か月ぐらい休校で部活も無くて、再開しても短い時間しかできなくて。だけど高2の秋に3年生が引退してからは、部活に対する意識が変わりました。
―自分たちが一番上になって。
かなり積極的に取り組むようになりました。
―その頃はコロナの影響も少なくなっていたのかな。
いやぁ、相変わらず活動できる時間は少なかったです。
―じゃあ色々と制約があってストレスがたまる中でやっていたんだね。
理系を選んだ理由はいかがでしたか。
自分の得意・苦手の観点から、文系という選択肢はなかった感じでした(笑)高2から文理選択があって、うちの学校は特進・国際・文理っていう3つのコースがあるんですけど、文理コースは私立受験、特進コースは理系でも古典があるような、国立受験を見据えた感じのカリキュラムでした。だけどその時は受験の事なんて全然考えていなくて、漠然と理系いいかな・・という感じで文理コースの理系に。文系科目が、高1の時はもう赤点ギリギリとかだったですね。
―そうなんだ。(笑)じゃあ、何かにモチベーションが上がりにくいような状況が続いたんだね。コロナで部活も制限されちゃうし。それでまあ、でも高2の秋に部活を本気でやり始めて、高3夏まで頑張って、いよいよ大学受験秒読み段階になって塾に来ると。本来であれば、4月に来て1年かけてやるようなところが一般的にはあると思うんですが、やっぱり部活が大変だったんですか。
うーん、受験のことを考えたくなかったというか。
―少し逃げていた部分があると。
逃げてましたね、だいぶ。
―そっか、それが大きな理由だろうね。だけど、受験しなかったら浪人かとか、就職かとか、そういう可能性を秘めていた中で、やっぱり大学は行きたかったんですか。
そうですね。大学はやっぱり行っておいた方がいいかなと思ってました。
―そんな中、塾に通ったわけですが、学校と塾は違いましたか?
そうですね。学校では入試問題の解き方の授業が高3になってからあるんですけど、僕は授業をあまり真面目に受けていない方だったので、塾に来たらもうやらざるを得ない感がありましたね。
―なるほど。(笑)ある種、消極的な人生を歩んできて、だけど塾って自分で選択して来るわけだから、その時点でだいぶ能動的じゃない。そういうのでかなり違ったんじゃないですかね。勉強って自分からやるとこういう感じなんだ、みたいな。今まで全くなかった環境に変わったことで頑張れた部分もあるんじゃないですか。
そうですね。塾に入ってからはそこそこ自習室にもいたと思いますし、勉強はできるようになったかなって思いますね。
―きっと生まれ変わったんですね、意識が(笑)
それで、勉強の面白さを体感して、休むことなく来てくれていたんですかね。
8月に入塾して、10月ぐらいまでは週1~2で来て、家でちょろっとサボってました(笑)、でも10月頃からは毎日、来れる日はいつも来てましたね。
自習室
受付ラウンジ
―東海大学の工学部も合格したんですよね。すごいじゃないですか。半年ぐらいの受験勉強で合格するなんて。
まぁ、確かに「やった」って言えるのは4~5か月ぐらいでした(笑)
―ほぼゼロからのスタートだとしたら、すごい合格だと思います。数学だって大変だし、物理なんてもっと大変だし。やっぱり奮い立って、やらなきゃっていう思いが強かったんですかね。本当によかったです。ところで一会塾で進路相談や受験相談はだれと行いましたか?
はい。進路相談は新保(しんぼ)先生にして担当していただきました。
進路指導スタッフ 新保(しんぼ)
―受験校を選ぶときとか。東京都市大も受けていて、機械系、原子力と受けているんですね。
原子力は補欠でもいいから都市大にひっかかればいいなと思って受けました。
―そっか。まだ来る可能性はあるのかな。
もう合格通知が来て、辞退しました。あと神奈川大学も合格してました。
―ということは、ほぼ全勝ですね。ほんと、改めておめでとうございます。
今日はありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。